高齢化が悲惨とは限らない②~自ら社会を掴み社会に応えていくことが活力になる |
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2015年11月02日
教えずに、気づかせる。ひらめきの瞬間を共に喜ぶ。
小3の長女が宿題をしている時、珍しく私に「これわからない」と見せてきました。
問題『1箱8こ入りのおまんじゅうがあります。35人に配るには、何箱必要ですか?式と答えを書きなさい。』
問題を一緒に読んだ後、あえて「この問題の解き方はね…」と説明しようとしてみました。
すると、「ちょっと待って!!いきなり言わんといて!それじゃ自分でやったことにならないやん!」と慌てて私の口をふさぎました。
何がわからないのか聞くと、「5箱あれば8こ×5箱=40こで足りるし4箱では32こで足りないから答えは5箱ってわかるけど、たぶん割り算でしなさいって問題だと思うから…。“おまんじゅうを人に配る”って聞くと、割られる数がおまんじゅうで割る数が人の数のような気がするんだけど、それじゃ何箱必要かわからない…。」とのこと。
「えっなにその“割られる数”・“割る数”って。いきなり式を作ろうとするんじゃなく、まず文章をよく読んで、シンプルに考えてごらんよ」という私に、
「でも(担任の)先生は、問題を読んだらまず“割られる数”はどれですか?“割る数”はどれですか?って聞いてから、式を書くから…」と長女。
それじゃ“こういう問題の時は、これが割る数でこれが割られる数で”って、パターンで暗記してるみたい!?とゾッとしたので、
「問題の状況を絵に描いてイメージしてごらん。○○ちゃん(長女)がもし配る人だったら、どうやってみんなに配る?」と尋ねました。
すると・・・
娘「みんなに1列に並んでもらって、おまんじゅうを1つずつ渡していく(人を○、おまんじゅうを●で表し、1列の○の横に●を描き、●を8こずつの箱に囲んで数える)。そしたら1.2.3.4.5箱いる。」
母「おぉ、何箱必要かわかったねぇ!それじゃ、1人1人に手渡していくよりもっと早く配る方法ってありそう?」
娘「おまんじゅうの箱をずらっと並べて、箱の前に順番に並んでもらう。(●8こを1つの□で囲み、その前に○を8人ずつ1列に並ばせていく)」
母「なるほど。そっちのが早そうだね。じゃこの絵さ、○と●おんなじ数だけ描くのちょっと大変じゃない?もっと楽な方法ないかな」
娘「まず35人を8人の固まりに分けてグループを作ってもらって(ここで35÷8=4余り3とメモしてから⑧を4つと③を1つ描く)、グループに1箱ずつ渡して分けてもらう。5グループできるから5箱必要だと思う。あれっ、式もできた!」
と、次々と配り方を思いつき、すっきり式と答えが導きだせて、二人で「やったー!」と喜びあいました。
子どもの“わからない”を“わかった!”に変えるのって難しいなぁといつも感じます。
何をどこまで教える、助言するかは、子どもの理解度や欠乏を見極めないと自己満足や押し付け、過保護になってしまう。
さらに、安易に答えや解き方を教えてしまうと、子どもの考える機会を奪ってしまうし、子どもだってつまらない。それが続くと、教えてもらうのが当たり前で自分でものを考えられない大人になってしまいそう。
それよりもまず、子どもがあきらめずに、答えを出せるまで思考し続けられるために、一緒に問題を音読したり、日常の場面や絵で例えるなど、具体的にイメージできるようなヒントを提示したりして、子ども自身に気づかせる、そしてひらめいた感動を共に喜びあって次への思考の糧にすることが大事だと感じました。
投稿者 hoiku : 2015年11月02日 TweetList
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