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2015年09月17日

こどもの頭は「耳のことば」でよくなる

教育の媒体としては、色々なものがありますが、耳から教わる教育は、近代において一番蔑ろにされているかも知れません。今はほとんどが目から入ってきますね。

近代は「教科書」によって、安く大量に同質の教育を施すことに成功していますが、文字の無い時代も含めると、圧倒的に耳から教育を受ける時代が長かった。

 

男と女の職場話 こどもの頭は「耳のことば」でよくなる より

 

  • 頭は「耳のことば」でよくなる●

 万葉集の有名な歌に

――そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり

というのが、あります。日本という国が、「言霊の 幸はふ国」つまり、ことばが豊かに栄える国なのだということをうたった歌です。日本人は、万葉集の昔から、自分たちの使うことばの豊かさを意識していたと考えることができるのです。  しかしながら、日本語が豊かだったのは、口で語ることばではなく、おもに目で見ることばだったように思われます。なぜなら、日本では、話すことばよりも、文書や記録のほうが、権威をもっていたからです。(中略)つまり、「目のことば」が「耳のことば」に優先するのです。

おとながこどもにことばの教育をするときにも、同じことがいえます。

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まず文字を教え、文字を読むことを教えようとします。幼稚園なども、競って文字の教育をしています。そうして、こどもが早く文字を読めるようになると、親はそれを喜ぶのです。まるで、声よりも文字のほうが高級だと思い込んでいるかのようです。

けれども、こうした「目のことば」優先による弊害には、ほとんどの親が、気がついていません。こどもたちは、幼いころから「目のことば」が重視されるあまり、「耳のことば」のしつけがおざなりになっています。いちばん刷り込みが行われなくてはならない幼児期に、きちんとした刷り込みが行われないですぎてしまっているのです。

(中略)

耳のことばが大切なのは、それが、子どもの知的発達にも、大きく影響しているからです。耳でことばを聴き分けることで、こどもの頭は良くなるのです。

たとえば、「聡明」ということばがあります。理解力や判断力がすぐれている、という意味ですが、聡という字を見ると、耳偏がついています。これは、耳で良く聴くことができる状態を表しているためです。明は、目がよく見えるという意味です。よく聴き、よく見られる人が聡明だということになりますが、このとき、聡つまり耳のほうが、明つまり目よりも先に立っていることがおもしろいところです。まず、耳で聴くことが、聡明の第一歩となるというわけです。

 

生まれてすぐに始まることばの教育は、耳のことばです。どんなに変わった親でも、生まれたばかりの赤ん坊に、文字を教えようなどとは考えないでしょう。だから、はじめのことばである母乳語は、かならず母親の話すことばになるはずです。

このごろは具体的な母乳語の段階から、抽象的な離乳語へ移る時期に、早まって文字を教えようとする母親も多いようです。とくに、早期教育を考える母親に、こういうあせりの傾向がみられます。ヨーロッパでも、昔は、三歳くらいのこどもに文法を教えたという例もありましたが、これはこどもにとってたいへん迷惑な教育です。のちのちの知的発育にも、影響したのではないかと考えられます。

この時期には、抽象的なことばを、耳から聴かせる必要があります。それでは、そのためにどうすればいいのかということになります。まず、お話を聴かせることです。お話は、一見、具体的なことばで成り立っているようですが、実は、超現実的な世界です。本当にあったことではない、フィクションなのです。たとえ実際にあったことでも、お話になった段階で、フィクションになります。お話はウソでかたまっています。現実には存在することのないおとぎ話や昔話を、耳から聴いて育つことで、こどもは聡になることができるのです。

脳の発達過程を考えるのは、人間の進化過程を考えるのが良いかもしれません。文字の発明、マス教育の発達はずっと後ですからね。最初はやはり、お母さんの語りかけ、なんですね。

投稿者 hoiku : 2015年09月17日 List   

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