【コラム☆感謝の杜】~日本人は「自然のままが良い」との感覚がある。 ~縄文人の価値観 |
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2015年04月09日
【コラム☆感謝の杜】~サプリメントは詐欺だ!
いまだにサプリメントで健康になると信じる人がいることが信じれない。
そんなものより、普通に美味しく食え、と言いたい。
るいネット より
サプリメントは詐欺だ、と発言すれば日本社会ではまわりの信用を失う。なぜなら物を売る人は根本的には善人であり、みんなのことを考えてくれるという素朴 な信仰があるからだ。日本には厳格に根付いた宗教がないので、このような風潮が、道徳律の代わりになっているのかもしれない。
だが、実際の所こんなひどいイカサマはない。強い薬を市販すれば死んだり副作用が蔓延して社会問題になるから、そういう薬の管理は「医者の処方箋」によっ て法律で服用を制限されている。それではコンビニでも買える薬というのは、思いっきり効果を弱くしておかなければならない。誰が飲んでも健康を害すること がないように。つまり早い話がまったくの効き目はないということ。
今、日本の百歳を越えるお年寄りは、1万人を越えたという。その誰もがサプリメントなどを食べたことがない。サプリメントは、不足している栄養を「補う」 物として創り出されたものである。サプリメントがもっと大昔からあったら、もっと大勢の人が長生きできただろうか?戦後の食糧事情が悪かったときは確かに ずいぶん多くの命を救ったことだろう。
栄養が不足しているとすれば、アフリカのいくつかの国のように、食料の絶対的な量や種類が足りない場合、もう一つは、都会に出て仕事に追い回されている独 身男性のように、自らの無知か怠慢によって栄養的なバランスがとれてない場合が考えられよう。さらにスポーツをおこなうということで、普段より特別な栄養 が必要だという人もいる。
日本の場合には圧倒的に後者の事例であろう。休みもままならない勤務態勢。そしてほかの楽しみを優先し、グルメには興味があるくせに材料を吟味し、きちんとした食事を粗末にする風潮。こういう環境では、当然のことながら人々は栄養失調になり、自らの健康をむしばんでいる。
では、サプリメントをこのような人々の前に広告を通じてその存在を知らしめると、どのような事態が生ずるであろうか?言うまでもなく、人々は安心してこれ までの栄養不足の状態を継続してもいいと思いこむ。それはそうだろう、サプリメントをポンと口の中に放り込むだけでそれまでの問題が解決するというのであ れば、誰でも喜んでその解決策を採用する。
かくして、サプリメントは、まず技術過信で、安易な解決策の大好きなアメリカ人の間ではなくてはならない必需品となり、アメリカ式をありがたがる人々の多 い日本でもこれに喜んで飛びついた。もっとも日本ではドリンク剤というものがあり、興奮剤を含んでいるだけのこの水に等しいものをありがたがって飲んでい る人が大勢いたから、サプリメントを受け入れる素地は十分できていたといえる。
サプリメントを作っている会社は、不況をよそに今はほくほくである。つまり日本社会の「健康不安」「潔癖志向」という精神病理を利用して、金儲けをしているわけだ。これは、戦争をネタに武器を売り大儲けする「死の商人」に本質的には同じだと言うことがわかるだろう。
スポーツドリンクというものも同様である。最近は、マラソンなど、普通の人々の中にも趣味が高じて、大会に出場する人が増えてきた。オリンピックの選手が そうなのだから、自分たちもこのスポーツをするからには特別な栄養素がどうしても大量に必要になると思いこむ。実際、学者たちはそのような成分が必要だと いう研究結果を発表している。
これも製薬会社の思うつぼである。自分たちが処方した成分配合が、最大の効果を発揮するがごとく宣伝し、人々はそれにすぐ乗ってしまう。人々には、栄養学 や化学物質に対する基本的な知識が十分にあるわけではないから、会社の宣伝は、心理効果を中心に発揮するように仕組む。テレビの座談会で有名人がしゃべれ ば、最大の効果を発揮する。
かくして、多くの人々が、薬さえ飲めば自分の求める効果が得られると「本気で」信じるようになる。これが現代社会の悲しいからくりである。本当は、人々が もっと勉強するなり、良心的な専門家に相談すればよいのだが、実際にそこまでやっている人はほとんどいない。みんなお人好しなのである。
その間にも、製薬会社は、心理学者たちと相談して、ますます狡猾な作戦を立てるが、いま述べたように普通の人々は防衛策を採るなどと言うことは思いもよらないから、彼らにしてみれば、赤子の手をひねるよりもたやすい。
サプリメントの値段は、人々の手に届くように設定されている。これが製品の効果の妥協点でもある。もっとよい効果を出そうと思えば、技術的に可能だが、そ うなるとコスト的に無理だ。従って、製薬会社は、「適当に」に効くという目安を勝手に作り、そのレベルで人々が手に入れることができるような調整を行う。
一人あたりの出費がたとえば500円ぐらいでもかまわない。相手は大衆全体だ。買ってくれる人々の数が膨大なので、その収入は天文学的数字になる。悲しいことに、この現実を認識している人は少ないし、これが現代メディア社会の宿命なのかもしれない。
そして製品は薬屋だけでなく、コンビニにも置く。人々はますます手近にあるサプリメントに手を出しやすくなる。コンビニにあるということは高級品ではないことの現れであり、人々が酒やタバコのように気軽に飲むことができる環境が整ったということだ。
サプリメントなど、まったく不要だということはすぐわかる。なぜかというと、バランスのとれた食事というのはどういうものか誰でもだいたい知っているし、 実際にそれに近づける努力をしているからだ。ただ調理が面倒くさいということだ。真夏の露地栽培の完熟トマトをガブリ、これで必要な栄養はたっぷりとれ る。
ここに30キロの小娘と、200キロを超えた小錦関がいる。二人ともサプリメントは「大人の一日所要量」を飲む。一方に一歩外に出ただけで花粉によって目 が真っ赤に充血するアレルギー人間がいる。その横には腐りかかったものを山ほど食べても下痢一つしない鈍感人間がいる。つまり個体差がものすごく大きい。サプリメントはそのような現実を全く無視している。さらに生物体に流れる物質の種類は大気に存在する物質の種類のように途方もない数である。その相互作用を知ることはとうていできない。
しかもビタミンやホルモンの発見でわかったようにそれらはごく微量で作用をもたらす。サプリメントの広告はどうだ?飲めば飲むほど効果が増大すると書いて ある。そして不自然なまでの「高濃度」!そんなものを体内に入れたらからだがびっくりし、たいてい肝臓がやられてしまう。
サプリメントは、これらの人々全体を対象にして売っている。専門的な勉強をしなくても、そんなのはインチキだと誰でも判るはず。
確かに風邪をひいたときや調子の悪いときに栄養ドリンク使ったりしますね。なんとなく、効く気がして安心するために飲んでいる。その安心感が製薬会社の詐欺に既に乗っているということなんですね。
サプリメントは使わないけど、栄養ドリンクは使っているというのでは、まんまと罠にはまっている。必要に応じて便利なものは使えばいいけど、口に入れるもので自然な食品以外は何らかのマイナスがあると心した方が良いですね。
投稿者 hoiku : 2015年04月09日 TweetList
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