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2013年01月10日

これからの充足のカタチ(4)~人類の本質は共有による充足

こんにちは 😀

でんかのヤマグチさんでは、「売り上げ第一で商品を売る」から「お客さんの期待に応える、お客さんと充足を共有すること」に軸がかわっていきました。また、シェアリングでは、モノを共有することはきっかけにすぎず、そこから生まれる人と人の繋がりが充足を生み出していましたね。

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人類の本質は所有することにあるのか共有することにあるのか、小さいこどもの様子から探ってみたいと思います。

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最近2歳を過ぎた息子を見ていて感じるのは「本質的に人類には所有欲は存在しない」と言うこと、そして「所有欲ではなく、共有による充足こそ人類の本質である」と言うことです。

年齢的に公園で同世代の子どもと遊ぶことが増えましたが、「半分こ」と言いながら、自分の持っているものや食べ物を人にあげる所を良く見かけます。私や妻、親族などにも、同じような行動を取り、逆に誰かが食べているものや持っているものを欲しがることも多くなってきました。

欲しがると言っても、それを「所有」したい「自分のものにしたい」訳ではなく、自分も「共有したい」と言う意識が中心の様子。その為、全部をあげると、大部分をこちらに戻してきます。また、食べ物であれば、「おいしいね」と話かけると、非常に嬉しそうに、「おいしい」と繰り返します。
このことからも、誰かと物を共有したり、共感することで、共認充足を得たいと言うことが意識の中心であることが解ります。
子供の頃は、”所有”意識はないので、相手に分け与えることで自分の分がなくなることに対する意識などなく、とにかく相手に「ありがとう」といってもらいたい一身のようです。
一方で、公園などで観察していると、同じような年齢の子どもで、「非常に所有欲の強い子を見かけることもあります。
そのような子どもを見ていると、親が「○○ちゃん、それは△△ちゃんのだから取ってはだめでしょう!」と叱っているケースが非常に多い。(兄弟などが居て、強制的に物を取り上げられているケースの場合もある)
このような叱られ方をしている子どもは、他の子どもから「貸して」と言われても、頑なになって怒っていることが多いと感じます。るいネットより引用

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どちらもよく見かけるこどもの行動ですね。今まで、こどもってこんなものかとあまり気にかけていませんでしたが、行動としては真逆で、後者は大人が普段何気なく言ってしまう言葉が大きく影響しているように思えます 🙁

 

このことから、『本質的に人類には所有欲は存在しないが、「取ってはいけない」又は「取られる」と言う所有観念(=私権観念)が、”否定意識と共に(=自我発生の下)で”植え付けられると、強固な所有意識が形成される』のだと考えられます。これは、人類史における私権意識の登場背景(実現論2_1_01)と同様の構造でしょう。
このように考えて見ると、次世代を担う子ども達に私権意識の残像を植え付け、可能性の芽を封じていているのは、子どもを育てる親自身であると言えるのではないでしょうか。
新しい時代の可能性を開き、共認時代と言う新秩序を構築していく上でも、次代に向けた子育て規範や体制を構築して行くことが非常に重要であると感じています。ところが、周りの大人が、「それはあなたにあげたものだから大切にとっておきなさい」と、”所有”することを薦める。
あるいは、「人のものを欲しがったり、とってはいけません」と教える。
こうして所有意識と、それを奪うことに対する否定意識が刷り込まれてゆくわけです。

私たちは、大人から所有意識やそれを奪うことに対する否定意識を刷り込まれることによって、最初から持ち合わせていた共有する喜びを、知らないうちに無くしてしまっていたようです。

”無垢”な子供の、”共有する喜び”の姿こそ、本来の人類の姿といえるのだと思います。
兄弟が多かったり、近所に親戚の子供がいたり、常にいろんな子供たちとひとつのものを共有してきた時代と異なり、一人っ子が増え、個室が与えられ、モノは個人個人が所有し、家族とでさえ共有することがなくなった現代ですが、誰もが共認充足を求める時代に変わった今こそ、”所有”する自己満足より、”共有する”仲間同士の共認充足の可能性に蓋をせず、あるがままの人類の姿、可能性を広げて行きたい』ものです。るいネットより引用

所有意識がないというのは先住民の生活でも垣間見ることができます。
るいネットより引用

私たちがこだわっていた『物やお金を所有すること』は、人類の本質ではありません。物やお金を所有することでしか評価されない時代の名残でしかないのです。
そんな時代の観念はもう必要ありません。人類の本質は共有による充足なのです。

これからの私たちの充足のカタチの方向性がはっきりと見えてきましたね。

さて、次は共認充足の場を地域に作っている「おばあちゃんち」を紹介します。
お楽しみに 😀

投稿者 noz303 : 2013年01月10日 List   

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