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2012年08月16日
勉強だけの子どもにはしたくない~プロローグ<子育て意識の変化>~
子供たちの運動能力低下が叫ばれた時期がありましたが、実は10年前くらいから少しづつ運動能力は上昇傾向にあることをご存知でしょうか?
『ベネッセ教育研究開発センター』より
昨今行われたロンドンオリンピックでのメダル総数は、過去最多の38個というメダルラッシュでした。また、オリンピック以外でもサッカーやベースボールと、日本人の海外での活躍が増えてきています。
こういった変化は、勉強だけではなく、様々な可能性を探索する潮流として、10年くらい前から子育てに対する意識が少しづつ変わってきていることが現れているようです。この意識は、一年前の震災以降かなり明快な形で顕在化してきているようです。
続きに行く前に応援の方、よろしくお願いします。。
■大震災や原発事故を経て、人々の意識の変化!
一年前に東日本を襲った大震災や原発事故は、被災地でなくとも「何とかしなければ・・・」「何かできることは?」と、人々の当事者意識を高め、節約運動やボランティア活動などに向かわせ、人々の意識を大きく転換させました。
一方で、社会をリードするはずの統合階級+学者たちの無能ぶりは明白で、一年経った今、明確なビジョンを提示しないまま再稼動に踏み切った状況です。彼らは、日本の最高学府出身の超エリート=試験エリートです。
しかし、TVに映し出される彼らの答弁は我々素人が納得できるような答えには、全くなっていません。なぜここまで意識のズレがあるのか?彼らへの不信感は高まる一方ではないでしょうか?この統合階級+学者たちと我々普通の素人との意識のズレはなんなのでしょうか?
■現在の学校の勉強をしすぎるとバカになる!
<川村渇真の「知性の泉」より引用>
学校の勉強が出来るのだから、頭が良いのではと勘違いする人が多くいる。これは大きな間違いだ。
学校の勉強は、正解のある問題が中心で、暗記すれば何とかなる。極端な言い方をすれば、頭を使わなくても解ける問題なのだ。ところが現実の世界には、正解のない問題が多くあり、正解のある問題よりも格段に難しい。これを解けることが重要で、頭が良いと評価する。
面白いのは、正解のある問題の解く訓練を長く続けると、正解のない問題を解く能力が低下する点だ。
疑問を持ったり創造することを押さえるために、頭の回転が悪くなるのが原因だと思われる。
現在の学校の勉強は正解のある問題を数多く解き。それを長期間続ければ続けるほど正解のない問題を解く能力が低下する。ということは、有名大学にはいるべく努力をすればするほど、社会にでてぶつかるような難問に応えられなくなるのです。
■既存の試験制度はみんなを導く人材を育成できない!
日本を動かしている官僚エリートの何と80%は東大出身(=試験エリート)だそうです。
学歴を得るのに必要なことは、入試問題への適応性と、その適応性を磨く時間を稼ぐ為、その他雑事への無関心になります。しかし、この試験への適正と他の事への無関心さは、今後の世の中に必要とされる「答えを出す能力」には決定的な致命傷となります。
今の社会で求められているのは、白紙(ゼロ)から組み立てることの出来る能力であり、試験制度で得られる能力と一致していないのです。
■自分のための学問では役に立たない!
本来、学問の原点である「学ぶ」「習う」は、廻りの人々や社会の期待・外圧を受け、自然と身につける(同化する)ものでした。学問が社会課題から個人課題に置き換われば、目的が自分だけの「職業化」、「お金化」していくのは必然とも言えるでしょう。
地位・お金といった私権獲得に変わる新しい目標を見出すためには、外向きに意識を転換し、社会に目を向ける必要があります。
現在、社会に目を向け始めた人達の中から、一緒に教え合い・学び合う場を求める潮流が現在成人になった大人たちの中に起こりつつあります。
■人の気持ちや痛みが分かり、世の中の必要なことに素直に目を向けることの出来る人の育成
この【勉強だけの子どもにはしたくない】シリーズでは、人の気持ちや痛みがわかり、世の中の必要なことに素直に目を向け、仲間と共に課題を発掘し、追求して答えを導き出せるようになれる人に育てるにはどういった“学び”が必要なのか?追求していきたいと思います。
そのために、仲間と共に課題を達成する体験や工夫を積み重ねる体験の場づくりや、子供たちが皆で成長できる仕組みづくりが必要です。子供たちが次代を切り開く、本物の思考力を培うにはどうしたらよいか?など、具体的に行われている事例も交え可能性を提示していきたいと思います。
投稿者 yidaki : 2012年08月16日 TweetList
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コメント
投稿者 極論は何も生み出しません
■人の気持ちや痛みが分かり、世の中の必要なことに素直に
目を向けることの出来る人の育成
残念ですが、そんな神のような人は
学校の勉強ができるできないに関わらずほとんどおりません。
勉強ができないから人の痛みがよく分かるというのは
ドラマや漫画で好んで使われる設定ですが
残念ながらただのフィクション。願望ですから。
むしろ勉強のできた人の方が
結果的に生活レベルの高い分、
心に余裕があり人格的に丸い場合が多いように思われます。
人間というのは状況によって変わる生き物ですから。