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2011年03月12日
【男の居場所はどこにある】 ~男女の対立史 性権力と占有権力のせめぎあい~
「男の居場所」シリーズは、前回から人類の歴史を遡りながら、人類の集団(社会)の構造が、どのような経緯を経て変化してきたのかを見通してみようという段階に入りました。
前回の記事では、以下のようなことが明らかになりました。
①人類の集団は元々母系の集団(社会)であった。
②現代ごく一般的に見られるようになった父系制の家族(社会)に転換したのは、遊牧という生産様式が登場してから。遊牧という生産様式に適した集団の構成原理として父系制の集団(家族)が登場した。
③遊牧部族発の掠奪闘争が玉突き的に広がり本源集団がことごとく解体されてしまった結果、父系制の集団→社会が常態化し、大きく見ればそれが現代まで繋がっているとみなせる。
今回は、父系制への転換以降、男と女の間の力関係がどのように変化していったのかを考えてみたいと思います。
現代の若者たちから見ると、「男と女の力関係」という見方そのものが??かもしれませんが、男女の力関係→婚姻制度は私権時代を通じて歴史の底流で大きな影響を及ぼしてきたものです。
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「男女の力関係」については、個々の男女の関係はわりとわかりやすいと思いますが、社会を貫く構造として男女の力関係を見極めるのはけっこう難しい問題です。
そこで、社会の基本構造を規定する重要な要因になっている婚姻制度を通して、男女の力関係の変遷を見てゆきます。
以下、「私有婚のはじまり」から引用
遊牧社会では、女性が結婚する時に羊=婚資を持って嫁入りしました。ところが都市国家が成立すると、男の方から女の人に結納金を払ってお嫁さんを迎えるように変ります。つまり婚資の流れが「女→男」から「男→女」へ逆転してしまったのです。
「婚資」とは、あまり聞かない言葉ですが、結婚の際に嫁側あるいは婿側が持ち込んでくる財貨のこと。持参金や結納金などもこれに含まれます。
遊牧が始まる前までは、人類は母系集団の中で暮らしていましたが、遊牧という生産様式を始めたことによって父系集団(家族)が登場すると、それ以降、掠奪闘争の広がりを経て父系制が人類集団の主流になっていきました。
遊牧が始まったころは、人類にとって自然からの外圧(生存圧力)はまだまだ強く、遊牧という生産様式の下では女たちの生産力は男たちに比べて圧倒的に劣っているため、父系の遊牧部族に嫁ぐ際に自らの食い扶持を持参するような意味合いで羊などを婚資として持ち込んだものと考えられます。その後、農耕が始まり定住するようになると婚資は男たちが提供するものへと180度逆転しました。
どうしてこのような逆転が起こったのでしょうか?
1.遊牧は男の生産力(地図を読む力や羊をてなずける力)に大きく依存する生産様式であるため、より生産力の高い男が勇士としてたたえらえ、結婚も勇士資格を持つものにのみ許される勇士婚となります。掠奪闘争が始まっても、生産力の中身が戦争で相手を倒す武力にかわるだけで、上位集中の勇士婚という形は同じです。
2.ところが豊かな灌漑農地を手にし、武力の基盤となる圧倒的な生産力を手にすることで都市文明が起こり、半安定状態に入ると、男たちの能力に差がつかなくなります。そこでは勇士の資格が形骸化し、それまで勇士の資格がなかった男たちの女が欲しいという欠乏が高まります。(結婚したいという男たちの需要が増大)
3. 他方、女の方は、掠奪闘争によって集団が解体したため、遊牧時代にもまして不安が強くなります。そして生存基盤をより強く、結婚相手の財産(土地やお金)に求めるようになります。結婚相手を決める親も財産の増大につながるよう結婚相手の品定めを行うことになります。つまり結婚したいという男たちの需要がたくさんあるため、女(とその親)は結婚相手を容易に決めずに、何処に嫁ぐのが得かを計算し、女(とその親)にとってより有利な条件を示してくれた相手を嫁ぎ先に選ぶようになります。(これを性的商品価値の発生といいます)
婚姻制度としてみると、男たちの能力差が大きく表れる遊牧の社会では、相応の能力を身につけないと結婚出来なかった。すなわち、勇士として認められた者だけが女を獲得する(結婚する)ことができる制度でした。
ところが、灌漑農耕がひろがり半安定的な定住社会になると、男たちの能力差は目立たなくなり、勇士でなくても女が欲しい(結婚したい)という男たちの欲求が高まりました。かつての本源集団は既に解体され、婚姻は個々の家族の欲求に基づいて行われるようになっていたので、需要がより大きい男の側から婚資を提供するというかたちに逆転してしまいました。
4. こうしてメソポタミアの時代にはお嫁さんに銀500g(当時の平均的な男たちの年収の約3年分)を払わないと結婚できないという程、お嫁さんの価値が上がっていきました。さらに高貴な女性と結婚するためには命がけで宝物を探さなければならないというような事態まで起こったことは、かぐや姫伝説のような神話が世界各地に広がっていることが証明しています。
このようにして遊牧時代は女が婚資を払っていたのですが、掠奪闘争が半安定状態に入った都市文明時代以降、男が結納金を女(とその親)の方に払うように変ったのです。つまり、かつての集団が結婚相手を決めていた時代=集団婚が終わり、男がお金の力で女の人を買い取る制度=私有婚が始まったのです。
男が婚資を出して女を獲得する(結婚する)ということは、実は男にとっては楽な話ではありません。かつての「勇士」資格に代わって財産の多寡が問われるようになる、ということになっていった訳です。
女にとって安心して暮らすことができた母系の本源集団が解体され、父系の集団の中で男が所有する財産(私権)に頼るしか無い存在になったため、夫になる男を通して財産(私権)を確保することが目的になってゆきました。
親が娘の婿を選ぶ際には、娘が安定した暮らしが出来ることを望み、さらに娘を通して自らの家族の私権獲得まで繋がるようになることを望み、より多くの婚資を提供できる男を選ぶようになっていったのは当然でした。
男と女の力関係という観点から見ると、男が所有する私権によって女を獲得するという関係、男の力(財力=私権)によって女を所有するという関係と見ることができます。
しかし、それだけでは収まらないのが人間の社会。一筋縄ではゆきません。
私権時代の男たちが私権を獲得しようとするのは何のためかということを考えてみれば、最終的には女を獲得するため(できれば、より上位の女を獲得したい)ということになります。そのことをわかっている女たちは、性的な魅力に磨きをかけて男たちを懐柔しようとしてゆくことになります。
建前としては男たちに従いながら、男を懐柔してゆき、家庭の中の差配の内実は女たちが握るというような現象が至るところで現れるようになってゆきました。古代メソポタミアの男たちが、女房たちに頭が上がらないといった嘆きを発していた記録もあるようです。
このような様子は、現代の多くの家庭でも見られるのではないでしょうか。
遊牧の時代を経て、農耕を中心にした武力支配国家が登場して、本格的な私権時代が始まりますが、その後も男と女の力関係はいろいろな要因によって変化してゆくことになります。
今回はここまでとして、男と女の力関係の変遷について、次回さらに突っ込んで考えてゆきます。
=続く=
投稿者 wyama : 2011年03月12日 TweetList
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