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2010年12月23日

家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(12)~まとめ

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これまでこのシリーズでは11回に亘って家庭教育と社員教育の同質性を導き出そうとしてきました。これまでの記事をおさらいし、更にまとめを行なってみたいと思います。

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家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(1)プロローグ~子育て=人を育てるということ

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一見全く異なる場であるように見える子育ても、社員教育も「人を育てる」という意味で同じであり、本来これらは同一軸線上で一直線に繋がっている(いた)ものなのだということです。つまり、成長し、最終的に社会に出て仕事をしていく上で不可欠な同化能力、期待に応えていく能力や姿勢、外圧を察知し対象化する能力・・・これらの基盤は、全て本来家庭教育にある(あった)はずです。

 
と考えました。
 
家庭教育と社員教育の本質はともに「同化教育」にあると言うことです。
 
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(2) ~同化して充足する

そして、同化教育に先立ちまず同化について考えてみました。

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「同化して充足する」、言い換えれば、「充足しながら人は成長する」という事だと思います。順調にその能力を伸ばしていけば、人は成長していけるのですが、それを度々阻害してしまうのが、不全捨象の機能(自我機能等)や誤った観念(人と違った事をする方がマネをするよりすばらしい≒個性教育等)ではないでしょうか。

同化=充足であり、充足(体験)=成功体験→成長であると考えました。
 
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(3) ~子供の「なんで?」を喜び続けたい
 

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子育てでは充足体験を一緒に味わうことが重要なのです。仕事においてはそれが成功体験となるのだと思います。

このように人が育っていくには肯定観や肯定視が重要であると思います。

子どもの「なんで?」の問いかけをわずらわしいと思うのではなく、ともに考える喜びがあることについて考えました。
 
前回の同化=充足=成長体験に加えて子どもの「万能感」に着目しました。「なんで?」はそれを発することで何でも解決できる万能感に基づく発信なのだと考えました。この「なんで?」に応えることなく過ごしてしまうと、「なんで?」を封印するだけでなく応えてくれない人に対する否定視も生じます。

今や成長するにしたがって、不可能視が増えてゆく社会である。出来ない理由が増えてゆき、出来ない理由を考えるという思考こそが、大人の社会であり仕事であるがごとく。
そういう思考は、子供の万能感や大胆な可能性の切り口を、ことごとく潰してゆくことになる。そして、その思考の根本には人に対する否定視がある。

 
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(4) ~成長する=同化能力を向上させる!
  

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子供が接する世界が【親子空間⇒仲間空間⇒大人への仲間入り(社会空間)】と広がるにつれて、その期待や課題が広がり(難易度が上がり)、その課題を同化し応えることで充足を得る。このことで人は成長するのだと思います。つまり同化能力の獲得=人の成長なのです!!

更に同化教育について考え、同化すべき対象が広がっていき、同化能力もよりいっそう深化していくのが、本来の成長過程であると考えました。

家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(5) ~外圧への同化が活力源

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「外圧=内圧」というのは生命原理と言えます。また、内圧が出ている状態=がんばっている状態=活力が出ている状態であると言えます。」「外圧をしっかりと掴むためには、外圧に同化することが不可欠です。社会に出てからも同化能力というのは、非常に重要な能力なのです。

同化の対象として「外圧」について考えました。生命原理とも言うべき「生きる力」は、外圧に如何に適応するか→内圧、活力へと繋がる根本原理であることについて考えました。
 
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(6) ~ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」
 

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日常生活や子育てと生産過程が一体化すれば様々な同化対象が身近に存在し、常に同化の経験(訓練)を積む事になります。そこでの同化対象は、更に上を行く先輩たちで、彼らが何の仕事をしているかと言うより、常にその道を極めようとする姿勢にこそ同化の可能性がある。

と、外圧と同時に仲間、先人に対する同化について考えました。

ヘヤーインディアンに限らずかつての「家庭」は、自給自足の生活で家庭と職場が一体でした。子どもたちは働く大人たちを間近に見て真似をしていきました(子どもだけでなく大人同士も真似をしたりして同化しているのでしょう)。

対して、現在は家庭と職場が分断され、それだけでなく、学校と言う別の空間もあったりして、現代人は同化対象を見出しにくくなっているようです。そもそも家庭、社員などの「区別」も、かつては殆ど無い「同じもの」だとも言えます。

家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(7) ~“ごっこ遊び”が世界共通なのはなんで?!
 

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面白いことに、人類の「遊び」は「生き抜く術の予行演習」という意味で、動物と全く変わらない、不可欠の様式であるということですね。ただ、人類の場合は、本能機能(肉体)だけでなく、共認機能(心)や観念機能(頭/認識力)の発達も集団による遊びによって育まれるという点が動物とは異なる点です。そして、もう一つ注目すべきは、古今東西普遍的な遊び様式と言えば“ごっこ遊び”であり、その本質は大人たちの「真似」であるという点です。

 
と考え、同化の訓練が、子どもの遊びに既に登場していることについて考えてみました。
 

人類においても「遊び」と「生産・労働」、は繋がっている・・・と言うよりもそもそも、本質的には“同じもの”であり、それが分断されてしまっていることに違和感を覚えずにはいられません。また、「真似る」とは、「同化」することであり、人類は「遊び」を通じて仕事はもちろんのこと、生きていく上で最も大切な「同化能力」を自然と鍛えてきたのだと思います。

 
家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(8) ~“子育てパパ”って何?!
 
これまでと少し視点を変えて、現在の子育ての潮流を見て見ました。特に男性の子育て収束に着目し、
 

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現在の家庭収束は、社会課題ではなく個人の課題に過ぎず、父親が子育て収束すればするほど社会とのつながりを遮断し、本当に教えなければいけない集団性、社会性を破棄しているように感じます。

と警鐘を鳴らしました。
 
家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(9) ~“会社の中に家族がある”って本当?!
 
更に視点を変えて、「家庭的な(運営をする)企業」を探索し、
 

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人生の中で、仕事に費やす時間が大多数を占める。そんな働く時間こそ、充足できるようにしていきたい。近年特にそういう意識が現れてきていると思います。充足→活力UP→成果UP→また充足したい。会社集団の中で対外的な闘争課題を担うためには、「家庭的」という言葉に代表される「充足」という《親和共認》がベースにあるということだと思います。

 
最新の事例として、家族の役割を分断してきた企業の中に家族的関係を求めることの可能性について考えてみました。同僚との距離を縮め、より踏み込んだ関係を構築しようとする試みであると思います。
 
家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(10) ~“家業・企業の可能性”
 
では、家族が企業的な生産活動を求める「家業→家業複合型企業」への提言について扱いました。
 

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「そのプランについて、あーでもない、こーでもないと一緒に考えているうちに、親父と戦友になったような、楽しい時間を過ごせました。…父親が家庭企業を取り巻く外圧状況に同化し、それを内圧=課題として捉えることで、活力が沸き、どうしたら上手くいくかと考え続ける。その思い、行動が、子供にも伝わり、子供にも父親を通じて社会=みんなの課題が感じられ、自分も何とか期待に応えたいと充足課題として同化できたからでは無いでしょうか。

 
前回の家族を求める企業も、今回の家業を企業に展開しようとする家族も、両方存在する現代は、これまで分断された家庭と企業(社会)を再統合する段階に来ているように思います。
 
家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ!?(11) ~“共同体企業「類グループ」の紹介”
 
社員(共同体)教育の実現体として共同体企業「類グループ」を御紹介しました。ここで取り組んでいる「暗誦会」「感謝のトレーニング」は、企業でも家庭でも取り組める「同化」の習得法だと思います。そして、特に女性の充足が広がる様子は、今後の人材育成や子育ての大きな推進力になるように感じました。
 

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家庭でも、「充足」「同化」「活力」を高めていくために、これらの暗誦会、感トレを取り入れてみてはいかがでしょうか?文章の暗誦は、言語能力の向上に非常に有効です。しかし、一人で暗誦していてもすぐにつまらなくなってしまい、長続きしなくなると思います。そこでおすすめなのが、「親子で暗誦」。親子関係というのは、どうしても親から子へ色々と教えてあげないと、という意識になりがちですが、「子供と同じ地平に立つ」ということが実は重要です。そこで子供と課題を共有し、評価し合い、充足を共有する。そうすれば、家庭内に充足、活力が広まっていきます。また、暗誦を続けることで同化能力を高めていくことが出来ます。

  
この様に見てくると、これまでの企業や家族の有り方が変わりつつあり、共同体的な取り組みなども自然と発生してきて、人々の意識もはっきり変わり始めているという事実です。この事実をありのままに受け止めて、充足の可能性に向かっていくことが必要だと感じます。
 
彼らの充足を最大限伸ばすこと、その為の「同化能力」であり、大人や先輩が自ら実践して道を示すことが大事なのではないか、と思います。事例が企業や家業に現れています。社員の成長が先輩社員自身の充足にもなり企業の活力も高めています。
 
その様に考えてくると、同化教育が必要なのは子どもや新入社員だけでなく、むしろ彼らを導く側の方かも知れません。個人主義教育を受けた上の世代からの教えは、どんどん下の世代の個人主義的な不可能視や諦めを強め同化能力を衰弱させているのかもしれません。
 
一方、時代の転換が若い世代に顕著に現れるのもまた当然です。そして上の世代の古い観念に染まる前の万能感で、既に充足可能性に大きく転換しているのだとすれば、上の世代がこれに気付き、彼らの万能感に同化して、彼らの行く先を充足の可能性として見ることこそ現在必要なのだと言えます。
 
もう一つ重要なことは、充足は一人よりも大勢で作り出した方がより大きくなると言うことです。例えば、家庭で取り組む場合でも子どもと一対一で行なうより、他の人々も巻き込んで行う方が楽しさや充足も増すでしょう。
 
又、この間「外圧に同化する」ことについても、単なる圧力に同化する、というより擬人化するかのように「人類的な期待」として捉えられて初めてこれに対峙する活力も可能性も感じられるようになるのでは、と思います。
 
例えば先の企業では、社員の同化能力を高めることが企業の成果を高める上で不可欠であり生き残っていけないと考えています。このことは、更に若い子どもたちに教えて上げられればもっと高い効果を生むでしょう。つまり、社会の外圧=期待に応えるのは企業だけで無く、家庭においても必要なことなのです。
 
そして、これを可能にするのも同化能力です。
 
音読、暗礁会などは家庭でも充分可能です。例えば、企業などを変えていける有能な経営者やもっと昔の賢人などは、真似するに足る同化対象であり、先人に同化できれば彼らが何に圧力を感じどう対象化していたのか、理解できる(=同化できる)ようになるでしょう。
 
このことが最も大事な同化の訓練であり成長の実践かもしれません。このことは子どもだけでなく親子がともに取り組める課題で、子どもだけでなく親自身の同化能力を高めてもくれるでしょう。
 
こうした取り組みが現在求められているのだと思います。
 
 
最後に同化能力に関する二つの記事を御紹介します。
 
10/17なんでや劇場(7) 現代~近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す 
 
4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(3) 「興味関心発の理解」は近代のダマシ
 

投稿者 saito : 2010年12月23日 List   

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