| メイン |

2010年10月16日

幼児虐待が起こるのはなんで?(6) 「親子」ってなに?

江戸時代までの共同体による子育てには、実際に「仮親制度」や「子ども組」といった地域ぐるみのセーフティーネットも、しっかりと形作られていました。制度は無くとも 充足規範が存在していた地域社会の在り方を、さらに追求していきたいと想います。

このシリーズ前稿では、江戸の時代の充足に満ちた子供たちの様子、それを支えてきた地域社会の有り方、そして今後の可能性?としてギャルママの実態などを探索しました。

%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC.jpg
↑↑↑これは後から出てくる伝説のチーマーです
今回はちょっと踏み止まって、「親子って何?」を考えて見ます。

親子にしろ、夫婦にしろ、現代の社会問題の代表選手。
⇒上手く行っていないって事は、自然の摂理に反している可能性が大きい。

少しトンデモかもしれませんが、原点に立ち戻ってみると大きな疑問がわいてきます。
動物たちの「親子」や「番」(つがい)は、シーズン限定。
巣立てば他人、翌年(シーズン)にはまた別の出会いが待っている。
同じ哺乳類で有りながら、人間だけが、親子も夫婦も永久的?なのはなんで?
そもそも、昔から本当に永久的なの?

 にほんブログ村 子育てブログへ

「親」と一言で言っても、生みの親、育ての親、お産婆、乳母、などと色々と有ります。

このブログでも以前に調べた事が有りますが、江戸時代にまで遡ると、名付親、取上親、鉄漿付(かねつけ)親、拾い親、ワラジ親、と様々な親が登場します。
この時代は、物心付くと丁稚奉公に出され、その先で生涯を過ごすことも多かったりと、江戸時代以前は血縁の親の存在感がとても薄い。
(TVの時代劇等では、現代と同じく濃ゆ~い血縁関係を良く見かけますが、史実を見るとこれが事実です)

庶民の間では特に顕著で、四婚五婚当たり前の町民や、夜這い婚の大らかな性規範を生きていた農民の間では、血縁関係は相当にファジーだったのです。
だからといって、一人一人が孤独なわけではなく、地域共同体がしっかりと皆を繋げてくれていたのです。
それは、何か事件が起きるとすぐに崩壊の危機になってしまう現代の核家族とは違い、確実な安心基盤として存在していました。
当然、その中では子育てにも何の問題も無かったわけです。

「子育てと〈甘え〉」(伊藤賀永)より抜粋

<江戸時代まで>
伝統的な子育てについての第二の視点は地域共同体における子供の位置付けである。
元来、日本の家制度では通説とは異なり、社会的関係が生物学的関係、すなわちいわゆる血の繋がりより大事にされてきたということがある。そのため日本では他国に較べて養子縁組が頻繁におこなわれた。
そして“親”という言葉も元々集団において仕事を分配する権限のある者を意味し、“子”はその
集団にあって仕事を分け与えられる者を示していたそうである。だから今日の使われ方のように、
生物学上の親と子に限ってはいなかった。そして“家”という言葉も昔は一つの建物に住む人々全
員を指すものであり、決して今日の“家族”のように狭い意味の血縁関係だけを意味する言葉では
なかったのである。

それでは実際の子育てはどのようにおこなわれていたのだろうか。
まず子育てはその“家”や地域にいる大人全員の責任と見なされ、今日のように両親の肩に全ての責任が掛かっているということはなかった。
またそれに呼応して江戸時代まではすべての社会層に渡って、子供が7歳以上になると教育や就業のために他の家に預けることが一般的におこなわれていた。
その時、子供と実の親との関係はというと、当然血の繋がった親子であるから情緒的に特別なものがあったに違いないが、しかし子供は親だけのものではなくて“家”に属するものと考えられ、同時に“家”は地域共同体を構成する一部と捉えられていた。
だから親は子供を自由に育てられない反面、今日よく観察されるように親のエゴや独善で子供を育てることを回避するシステムが社会にたくさん備わっていたのである。

<現代>
子供を神からの授かりものとする考え方は避妊や人口受精が広まった現代ではほとんど意味をなさなくなっている。
同様に子供を“地域共同体の子”とする捉え方も、近年では地域共同体自体が崩壊してほとんど意味を持たなくなったことで、なくなってしまった。
そして地域社会に代わって親と子を単位とした核家族が登場してきた。
また血縁以上の意味を持っていた伝統的な“家”
がなくなり、特に都市部では祖父母と一緒に暮らす三世帯家族すら少なくなっている。
その結果、血の繋がった親と子の絆とそれに対する思い入れが今までで一番強い時代になってしまった。
それに比例して、子供の教育に対する親の関心と支出と負担が増え続けている。
そして伝統的な“家”にいつもあった、親のエゴや独善に拮抗する力もなくなってしまった。
その結果、江戸時代の教育者がいつも警告していた子供に対する甘やかし、同時に拒否や虐待が現代の子育ての脅威になってしまったのである。

この論文から解るように、血縁親子の密室化の根本原因は、地域共同体の解体に有ります。

明治維新以降の地域共同体の解体は、近代思想と共に輸入された、市場化によって推し進められました。
市場社会では、資本が制覇力となります。
この資本力を拡大していく王道は、相続した原資を元手に、金を貸す(=投資)事です。
資本を確実に相続していくためには、血縁親子関係が重要となり、これは同時に、金貸し(=投資)する際の、保証人を担保する事にもなったのです。
同様に、税金を確実に集めるためにも、戸籍(=血縁親子関係)はとても便利でした。

このように見ていくと、明治以降、市場社会拡大を志向する統合階級や資本家(=金貸し)が、親子関係を美化して、庶民の統合軸として来たと考えられます。
一方の庶民としては、地域共同体が解体されていくほどに根無し草となり、血縁親子関係に縋り付くしかなかった訳で、実に巧妙な罠だったのです。

こうして、唯一無二の血縁親子関係が形成されて来た訳ですが、その後、現代の虐待などの問題を孕む親子関係にどうやって変質してきたのでしょうか?

最近では、親を「さん」や「ちゃん」と呼んだりと、友達みたいな親子が増えています。
(クレヨンしんちゃんでも元々は、「ミサエ~」と呼んでいたのを問題視されて、「カ~チャン~」に変更したとか)
明治時代の絶対的な権威を持っていた親(家長)とは大きな違いです。
また、親子関係といえば、反抗期は付き物ですが、最近ではこれもなくなってきています。
血縁親子関係もまた、変質してきているのです。

明治以降、戦後高度経済成長期までは、親も子も、より豊かになるために、「ガンバル!」事に異論はなかった。
競争社会、エリート志向、出世欲・・・・しかり。

ところが1970年以降、豊かさが実現されていくに従って、この共通の目標はドンドン輝きを失っていきます。
「物(金)より心の時代」というけれど、何を目標としたら良いのか?収束先が見えない時代への突入です。
こんな中でも、親達はこれまでの旧い価値観から、いい大学、いい会社へと導くしかないのですが、当然子供たちには納得いかない。
だから、子供達は反抗してきた。これが反抗期。
現象としては、積み木崩し、校内暴力、ツッパリやヤンキー。

ところが、バブル崩壊、金融危機等を経て、旧い権力が力を失っていくと、反抗対象の消滅により反抗期もなくなっていく。
更に、旧い価値観を捨てた(若しくは知らない)親達が現れてくる事で、親子が友達化して来たのでしょう。

一時話題になった、「チーマー」の出現は、この様な変遷をよく示しています。
バブルの波は、親達を兎に角多忙にした。仕事も遊びも大忙し!!で、子供を放置し始めた。
当然、「自分の個性を活かして」「好きにして良い」などと美化、正当化してはいたものの、実態は放置。
そもそも抵抗する対象をなくした子供達が放置された為に、すき放題し始めた。
これがチーマー現象。
有名私学毎にグループを作り、名刺を持ち、コンパやパーティーを企画して、利益を上げる程の行動力。
大人社会の旧い枠組みから開放されているので、それこそすき放題に遊んでいた。
これもやがてエスカレートして、社会問題化してしまうが、実はこのチーマーは、江戸時代の街を縦横無尽に駈回っていた子供たちに通じるのかもしれません。

そして、親たちがバブル景気が崩壊し、暇こいてくると、やるせなくなり、子供たちに擦り寄っていくと友達親子が完成する。
子供達側も同様で、仲間圧力にさらされ、とにかく充足に向うその対象は、親も含まれるわけで、相思相愛の親子関係が構築されたのでしょう。

相思相愛だからとて様々な問題を孕んでいます。
虐待までは行かなくとも、親子関係は相当に混迷しています。

「親には我が子は見えません。」

>前略<
この事例から考えさせられる点が幾つかあります。まずこの男の子はなぜ竹村さんからの働きかけがある前に、自分の口からお母さんに「しんどい」と言えなかったのでしょうか。多分この子にとって、お母さんの言うことが絶対であり、100%その通りにすることでお母さんの期待に応えていたのでしょう。友達と遊びたいとか、もっと他の事もしてみたいとかの気持ちを押し殺してまでも、けなげに言われた通りにしていたのでしょう。

 次に毎日接している母親に何故この子の変化が見えなかったのか。接する機会がずっと少ない竹村さんに見えたことが。それは母親にとって、自分の子以外と接する機会はほとんどなく、少し距離を置き、客観的に自分の子を見つめることが出来なかった為でしょう。それに対して竹村さんは、他の子の様子と照らし合わせながら、更にその子の過去の様子と比較しながら、肉体的、精神的変化を察知されたのでしょう。

 この様に考えれば、やはり親だけが自分の子を育てる限界が見えてきます。親が本人の将来を思い、良かれと信じて疑わないことが、その子にとり、一生を左右しかねないほどの重荷になってしまったり、親の期待以外何も見えない、自分の頭で何も考えないようにしてしまったり。

 もし親以外に常に周囲に誰かがいれば、ちょっとした子供の変化に気付き、助言も出来るし、様々な視点から子供に期待をかけることも出来ます。やはり子育ては親だけでなく、集団で取り組むべき課題ですね。

やっぱり、密室の中での親子関係はどうがんばっても上手くいかないのでしょうね。

今回、親子関係の変遷が整理できました。
「友達親子」は、他人が前提の「友達」と、血縁関係が前提の「親子」の造語で、なんとも矛盾する言葉なのですが、ひとつの可能性を示してくれているような気がしてきました。
相続を始めとする私権の紐帯として、血縁を唯一無二のものとしてきた価値観からの脱却です。
充足関係の一つとしての親子関係であれば、もっと他に充足できる関係が出来上がればいつでもそこから離れていける。
市場化の中で失った地域共同体に代わる集団を再生できれば、これが充足関係の基盤となり、虐待の無い大らかな子供たちが走り回る社会に出来そうです。
マダマダ可能性を検証して行きます。続きをお楽しみに!!

投稿者 gokuu : 2010年10月16日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2010/10/1105.html/trackback

コメントしてください