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2010年06月27日

新たな時代の教育制度の提案に向けて~アジアの教育制度(貧困の圧力と教育、伝統教育の崩壊)~

こんにちは!よしたつです

これまでイギリス、ドイツ、フランス、北欧、アメリカの順に西欧諸国の教育制度について分析してきました。

教育と一言で言っても、欧州諸国は未だに貴族などの階級制度を色濃く残す国という特質から、明らかに進学ルートの時点で差異があり、生まれた家柄で道の大筋が決定してしまう教育を許容している部分がありますリンク1リンク2リンク3リンク4)。

一方で、フランスやアメリカのように、表向きは「自由・平等・友愛」の近代思想を強く打ち出した教育を掲げてはいますが、その実態は一部の「知的エリート層」と「庶民層」を明確に区分する教育がなされていますリンク5リンク6リンク7リンク8)。

更に、同じ福祉国家であるはずの北欧に関しては、スウェーデンとフィンランドでは歴史的強大国と弱小国という立場の違いから、国民性の意識に差異が生じ、教育理念の根底の出所が異なるため、全く逆の結果を導き出していますリンク9)。

ここまでを簡単に振り返ってみても、教育は、それぞれの国の置かれている状況や立場、歴史、国民意識で多種多様な様相を呈していることが理解できますリンク10)。

そして、今回からは、今まで長い間追求してきた西洋諸国から離れて、日本に比較的近しいアジアの国々の教育制度の実態に目を向けて見ることにしましょう。

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今回の投稿で注目するアジアの国々は、中国、韓国、インドです。これらの国に共通していることは、『貧困の圧力が全的にかかっている社会である』という状況がひとつと、もうひとつは『今まで続いていた伝統教育から単線型の近代教育を導入した』ということにあります。

特に前者の『貧困の圧力が全的にかかっている社会である』ということは、私権上位になるために各家庭で教育熱が過熱する構造と直結してしまいます。それは、結果として都市部を中心に親の過期待、過干渉を助長することにもつながり、おまけに豊かさの実現のため一人でも多くの優秀な国民を育成する、国家プロジェクトとしての位置づけともリンクされ、急速に容認され、進展していきました。

しかも、そのような環境下で育てられた子供たちは、強力な圧力(親や祖父母からの過期待)と常に対面した形で生きていくことを強いられるわけですから、そこで、期待に応えられない多くの子供たちは自分の境遇や能力を否定し、自殺率△、犯罪率△という形の数字として表れてしまいました。また仮に一部の成功者(受験の勝利者)になったとしても、成功体験が受験である以上、他人を成績の良し悪しだけで判断したり、エゴを肥大化させて権利に溺れたりと、自己正当化の姿勢を崩さない大人になってしまう傾向が強いのです。それが中国や韓国の役人が(日本もそうですが)『民のための政治などできない』という理由のひとつにもなっています。また、試験制度の弊害を象徴している現象に、中国と韓国では『賄賂の受け取り、脱税は当たり前』と言う風潮が庶民レベルにまで浸透していることからも伺い知れます。

さらに、このような教育熱は家庭における教育費の負担を押し上げ、親の経済力が、子供の将来を規定的してしまう一面もつくりあげています。この『経済格差と教育』の問題は、小泉政権以降、貧富の格差が顕著に見え始めた日本でも良く言われるようになりましたが、そんな比ではないことは容易に想像がつくでしょう。

参考:
中国の異常な教育熱
韓国の異常な教育熱

また、もうひとつの『今まで続いていた伝統教育から単線型の近代教育を導入した』という点で言えば、中国、韓国、インドも、知識の暗誦による伝統的教育を基本としてきたことから言えば、今まで受け継がれてきた土着の学問や教育体制を否定し、近代科学の教育を受け入れた(受け入れさせられた)ということが、今の教育体制の大転換につながっていることがわかります。

特にインドの場合、紀元前1000年前からヴェーダの学問を文字なしの暗誦で継承してきたことは有名で、その後発達した宗教・哲学・論理学・文学・文法学・法学・経済学・政治学・数学・天文学・医学・美術・建築などの知識も基本的に師匠から弟子への知識の伝承を韻文にのせた暗誦によるもので代々継承し続けてきており、その教育を受けたものの博学さは他のものの追随を許さないほどのものであったと言うことからも、その頃の教育がどれだけ素晴らしいものであったかが垣間見れます。

戦後は、中国、韓国、インドの3国共、伝統教育をほぼ完全に捨て去り、中央政府の管轄の下、近代思想をベースとした近代教育が全土を当たり前のように覆い尽くし、知識の蓄積と処理能力だけを評価の指標にした人を対象化しない機械人間を創出していく社会が出来上がってしまったのです。

以上からも、試験制度は無能な人間しか生まない、また、本来の共認動物として必要な能力を失わせてしまうことがわかったのではないでしょうか。
これからの日本の教育を考える際にも参考にしていくべき認識だと感じました。

次回は今回のシリーズ投稿の総集編を扱います。是非楽しみにしていてくださいね。

投稿者 staff : 2010年06月27日 List   

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コメント

すごい☆☆☆
こうやってまとめてくれると、置かれた外圧状況、立場、歴史、国民意識によって、大きく変わってくることがよく分かりますね☆

アジアの教育についてもすごく納得でした!
国家プロジェクトとして位置づけられた→だからこそ、ここまで教育熱が高くなって、いびつな現象まで現れてきたんですね(>_

そして、それまでの伝統教育を潰してしまった近代教育!
近代教育ってそもそも何のために導入されてきたの?ぜひともここを明らかにしたいですね♪

投稿者 たてこ : 2010年7月1日 17:22

>たてこさんへ

嬉しいコメントありがとうございます。
アジアの教育は、富国強兵の世界の動向の中、(西洋の)近代科学との力の差を歴然と感じたことで、今までの伝統教育を一気に捨て去り、加速度的に近代教育を導入しました。

その結果、貧困の圧力と私権の抜け道としての試験制度が受験戦争を誘引し、大人も子供もおかしな状況に陥ってしまいました。

>近代教育ってそもそも何のために導入されてきたの?ぜひともここを明らかにしたいですね♪

そうですね!先のような社会の異常さや閉塞感からも、これからは、このような視点が非常に重要になります。教育が本当は誰の為のものなのか?疑問を感じずにはおれません。

投稿者 よしたつ : 2010年7月8日 18:57

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