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2009年12月15日
子育てを家庭に任せてはおけない!-2~@共同体では、子供はみんなで育てる~
みなさん、こんにちは。
シリーズ『子育てを家庭に任せてはおけない!』の3回目をお届けします。
プロローグ『@人類滅亡に繋がる精神破壊の元凶』に続き、前回の『そもそも精神破壊って何?』では現在の精神破壊の実態に迫り,精神破壊は決して特殊なものではなく、ごくごく身近にあることがわかりました。
では、その精神破壊が社会問題となる以前、かつての日本での共同体の子育てはどんなものだったのだろうか? それが今回の追求テーマです。
原始時代だけでなく農業生産の時代もそうであって、例えば農家は、今日の家庭の様な単なる生殖と消費だけの場ではなく、それ自体が一個の生産体であり、従ってそこには、自然圧力をはじめ様々な闘争圧力が働いていた。
だから子供たちは、働いている両親の背中を見ているだけで(学校など無くても)、健全に育っていったのである。
村の子どもたち(写真はこちらから)
現在でも子供たちが親の背中を見ること自体はおそらく変わっていないはず、にもかかわらず健在には育たなくなってしまった?・・・・「現在の家庭での子育て」と「かつての共同体の子育て」の違いって何?
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●闘争・解脱など多重の紐帯で結びついたオヤとコの関係
民俗学者の柳田国男氏は『都市と農村』(1929年・昭和4年)の中で、次のような趣旨を述べています。
日本の農村の半分以上は親類のことをオヤコと呼んでいた。オヤコやイトコのコは家の子のコである。家の子は労働単位であり、これを指揮するのがオヤであった。そのオヤは共同体の作業の頭であった。本物の親よりも長男のことをオヤカタと呼ぶ方言が広く知られているが、それは総領が労働の頭としての機能をもつ名残りであった。親類をオヤコと呼ぶのは、労働のための共同体が今日よりはるかに強大であったことを示している。現在のように家族の父母に限ってオヤと呼ぶことは、かなり新しい現象である。
るいネット『オヤとコ。』より
農作業をする子どもたち今昔~農作業を手伝うこともは今も昔も変わらない
(写真はこちらとこちらから)
私婚を中心とする親と子、特に近代以降の一対婚家庭での親と子は、その紐帯を血縁関係、せいぜい解脱にしか拠り所を求めるしかなくなっています。人として、実は非常に淋しい関係といえます。
外圧を前にして、生産を第一課題として統合されていた共同体内では、成員それぞれに役割・課題も与えられ、オヤとコの関係は解脱・闘争など多重の紐帯で結びついていて、濃密であったと思われます。オヤに対するコの信頼感も今の親と子の関係よりもはるかに高かったに違いありません。また、数十人といった規模の共同体では、成員どうしお互いの関係も多重であり、現在の親子関係よりもはるかに人としての充足感(共認回路の充足)も大きかったに違いありません。
るいネット『オヤとコ。』より
「解脱・闘争など多重の紐帯で結びついたオヤとコの関係」は、一人の子供に幾重にも義理の親子関係を結ぶ「仮親」にも見ることができます。例えば、
【誕生前~誕生直後】
・帯親(妊娠五ヶ月目に締める岩田帯を贈る人)
・取り上げ親(産婆とは別に出産に立会い、臍の緒を切る人)
・抱き親(出産直後に赤子を抱く人)
・行き会い親(赤子を抱いて戸外に出て、最初に出会う人)
・拾い親・貰い親(丈夫に育つよう、形式的に捨てた赤子を一次的に拾って育てる人。後日、実親が譲り受ける)
・乳付け親・乳親(生後2日間、お乳を飲ませてくれた女性)
・名付け親(三日祝い・七夜の祝いなどのときに名前をつける人)
【生後数年間】
・守親(4,5歳まで面倒を見た子守役。6,7歳で子守奉公に出される子供も多かった。)
・帯親(3歳ではじめて帯び付きの着物を贈る際に帯を贈る人)
・帯解き親(女子7歳の帯解きに立ち会う親成人~結婚)
・へこ親・回し親(成人式にふんどしを贈る人)
・前髪親(男子が前髪を落とす成人式に立ち会う人)
・烏帽子親・元服親・具足親・鎧親・お歯黒親・カネ親・筆親(武家の元服時に立ち会う人)
・毛抜親(古く女子の成人式で、眉毛を抜く人)
・杯親・仲人親(婚礼時に仲人を務めた人)
これは、乳幼児の死亡率が高かった時代、成人するまでに何度も生死の危機を潜り抜けなくてはなりませんでした。だからこそ、節目節目の通過儀礼が大切にされ、子供の成長を親類や地域の人々で見守る「絆」を深めていったのですね。それぞれの仮親の役割は一時的なものでしたが、子どもと仮親たちの繋がりは一生続いたようです。
このように多くのオヤコ関係があったのは、子どもは「家の跡取り」であると同時に、「村の子ども」でもあると考えられていたから。「村の子ども」、誰もがそう考えていたから、ひとつの家庭の中で親のみによって育てられるのではなく、たくさんのオヤたちから期待を受けて育てられたのです。
●多様な教育ネットワーク
このように共同体では、オヤコを血縁の父母だけに限らず、多くの大人たちとの関係の中で子どもたちが育つことが当たり前だったのですが、さらに広い「教育ネットワーク」も存在しました。
◇宮参りで地域に仲間入り
赤子がはじめて地域とかかわりを持つのが「宮参り」であった。氏神をお参りして赤子を氏子にしてもらう儀式で、これを機に村の一員となった。
・・・・
三歳の「帯祝」以後は、帯を締める正式な着物に替え、神事や参詣に参加した。また、頭髪を結い髪にする「髪置」もこの頃行った。さらに、五歳の「袴着」を経て、七歳の祝いを済ませた子供は地域の子供組に加わった。『新!歴史士道館~江戸期の教育』より
るいネット『江戸時代の子育て~仮親と子育てネットワーク (2)地域ぐるみの子育て』経由
◇地域の教育組織(子供組・若者組・娘組)
一定年齢から一定期間加入する「子供組」「若者組」「娘組」などの集団が各地に存在していた。これらはいずれも同世代の青少年が集団生活や共同作業を通して教育・訓練される社会教育組織であった。
『新!歴史士道館~江戸期の教育』より
るいネット『江戸時代の子育て~仮親と子育てネットワーク (2)地域ぐるみの子育て』経由
◇「換え子教育」
江戸後期の農村指導者、大原幽学が提唱した教育法です。
わが子に養育料をつけ、一定期間、他家に預けて教育してもらう方法で、一軒に1,2年ずつ預け、これを数年間続けた。なかには10年以上預ける場合もあった。家々の格式やしきたりが違う家庭に子供を託す、まさに「他人の飯を食わせる」教育を、幽学は村の中で実践することで理想的な子育てと村作りを進めたのである。
『新!歴史士道館~江戸期の教育』より
るいネット『江戸時代の子育て~仮親と子育てネットワーク (4)幼児教育の三悪』経由
これは、いわば「長期ホームステー」のようなものですが、余裕のある場合でも他家に子どもを預け、その代わりに他の家から子どもを預かるというものだったようです。幽学の「子供仕込み心得の掟」は、「預かった子を家中のものが可愛いと思うようになり、人目を忍んで落涙する程の愛情をかけよ」から始まり、「ただ情の深いのが極上である」で結ばれます。つまり、子どもは苦労するためにではなく、他家でも充足体験を積むために「換え子」に出され、大人も血縁には変わりなく子どもは愛おしいのだと知るのです。
このように、大人の仲間入りをするまでの間、様々な人々との重層的な関係や集団の中で育てられました。そこには大勢の人間が深くかかわって一人の子どもを育て上げていく、網の目のような教育システムがあったのです。
●「子育て」+「生産活動」が、母親たちの充足源
そして、子育てにおいて、なによりも大切なのが母親と子どもの関係。母親の「心」を通じて幼児は、母親を取り巻く人々との関係や外圧状況を潜在思念で感じ取るもの。だから、母親自身が安心・充足して子育てをすることが大切です。
大家族制度で知られる飛騨白川郷からの民俗学者・江馬三枝子氏の考察です。
飛騨白川郷の大家族の家々では、一軒の家の縁側に、エズコ、エズメなどと呼ばれる藁でつくった入れ物が六つも七つも並べてあり、その容器に赤んぼうたちを入れて、母親たちは田畑に出かけた。赤んぼのほうは母親の帰りを待っている。
仕事を終えて家に帰ってきた母親は、まず泣いている赤んぼに乳を飲ませる。それは誰の子でも差し支えない。その赤んぼ満腹して泣きやみ、まだ乳が出る場合には自分の子に飲ませる。だが、前の子に充分飲ませるために、自分の子が飲み足りないことがある。すると次にやってきた母親に自分の子供を渡して、乳を飲ませてくれと頼み、また働きに出かけていく、といったふうであった。
この話は真の共同生活を確保するためには、女たちの育児の共同性にまで及ばないとならぬことを示唆している。子供が生まれた場合、母と子の強固な紐帯が生まれて、他者との連帯を脅かすようになる。白川郷の場合、それがたくみに抑止されている。
るいネット『共同体では、子供はみんなで育てる。 』より
女たちの農作業、その合間に。(写真はこちらとこちらから)
農地が乏しい白川郷では、農地と労働力の確保のために3層、4層の切妻合掌造りが発達し、分家を認めず、長男以外に正式な結婚を許さない大家族制度が生まれました。分家ができない兄弟は、他家の女性の元へ通い内縁を結ぶ妻問い婚をし、生まれた子どもは女性の家で育てられました。養蚕が主要産業だった白川郷では、成人した子どもたちが貴重な労働力。特に養蚕作業に欠かせない女手は、家業に精を出すため嫁がずに子どもを生むのが習慣でした。
(合掌造りの茅葺屋根は30年から50年の耐久性がありますが、その葺き替えには数百人もの人手が必要で、村中が協力して役割を分担し、共同で屋根葺き作業を行う「結」がつくられています)
上記の事例は、生産集団である共同体を基盤とし、その共同体を維持するための規範に基づく行動が残存していたといえます。共同体を構築し、維持するには生産・闘争過程だけを共同にするだけでは不十分で、子を育てるといった生殖過程も包括しなければいけないことをあらわしています。また、誰の子というこだわりなく育てていくことで女性の自我も自然と抑制される、または自我が萌芽しないといったほうがいいかもしれません。
意識が個人に分割された現代でのお互いの助け合いといった母親たちの動機に比べると、集団に立脚している分、女性の強さを感じます。
るいネット『共同体では、子供はみんなで育てる。 』より
ここで注目したいのは、「母親たち」が「子育て」と共に「生産活動」も担っていたこと。
母親の充足には子どもとの親密なスキンシップなどの親和が欠かせませんが、加えて母親が廻り人々との共認充足を得ていることもまた必要です。子育て共に生産課題も担う。そこには集団の「課題」があり「役割」があり「評価」がある。それが母親の活力源、充足源になったのだと思います。白川郷の母親たちには、現在の密室家庭で孤立した母親のような「子育て不安」は皆無だったのでしょう。
生産活動と共に子育てをみんなで担う母親たちの安心・充足に包まれ、子どもたちは親和充足を十分に受け取り健全に育っていったのだと思います。
闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が一体となった共同体では、「子育て」は日々の生産活動・生殖過程と一体になった集団課題(みんな課題)であり、充足課題だったことが分かります。
課題を共認し、役割を共認し、規範や評価を共認して存続してきた共同体では、それらの共認内容に強く収束することによって、各成員の意識も集団も統合されてきました。それゆえ、誰もが同じ想いで子育に係わるったはず。充足体験を塗り重ね、生産技術を身につけ、一人前の共同体の仲間へと育って欲しい、と。
そのために大人たちがやるべきことは、充足課題である日々の生産活動・生殖過程をそのまま子どもたちに見せることであり、子どもたちがそれを実感できる多様な機会や場を用意すること。一方、子どもたちは、そんな身近な大人たちを真似ながら、「遊び」や「手伝い」などを通じて、生産技術や集団規範を身につけ、課題・役割・評価を仲間と共認する充足を積み重ね、一人前の共同体の一員に育っていった。
「だから子供たちは、働いている両親の背中を見ているだけで(学校など無くても)、健全に育っていった」
のだと思います。
前回の現代社会の精神破壊の実態に続いて、今回は共同体の子育てに迫ってみました。次回はこれらの事例を踏まえ、「闘争と生殖の場の分断がなんで問題なの?なんで分断されたの?」の追求に進みます。ご期待ください!
投稿者 sachiare : 2009年12月15日 TweetList
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コメント
投稿者 hajime
仮親・・すごいですね☆
これだけたくさんの親がいて、見守ってくれていると思うと、すごい安心ですね♪
成長過程一つ一つを、とても大切に意味のあるものとして受け止めていたのも分かります。
それだけ、子どもに対する期待も大きかったということなのだと思いました。
まさに網の目のような教育システム☆
なんとなく、昔って集団の中で育ってたから、何もしなくても育っていったという風に考えていたのですが、これだけ、集団の一員としての期待が大きかったということだったんだと思いました。
みんなの子供として育つというイメージがすごく湧いてきました(*^^*)
投稿者 たてこ
こんにちは、hajime さん。
『親子間で、社会人同士として社会のなんでを考える』読みました。
>親子関係を離れて、子供は親を一社会人と見なし、親も自分の子供でなく、社会のことを一緒に話す小さな社会人と考えてみればよい。
現在の家庭では「子どもを一社会人と見る」ことが出来ない。それは密室家庭の中に子どもを囲い込んでいることが大きな要因だと思います。まるで自分の所有物のごとく、、、
子育てには、社会に開かれた場が必要なようです。
投稿者 さいこう
こんにちは、たてこさん
>みんなの子供として育つ
子どもは可能性に収束して、自ずと遊び、学び育って良くもの。その可能性とは、みんなの期待に応えたい、という思いなのだと思います。
その思いを育むには、周りの大人たちが、集団のため、みんなのために、日々の生産活動や解脱に取り組んでいることが一番。
生産活動を担うことが、そのまま子育てになっているから、みんなで育てるという思いになるのでしょうね。
投稿者 さいこう
>だから子供たちは、働いている両親の背中を見ているだけで(学校など無くても)、健全に育っていったのである。
今や、子どもに親の(大人の)背中を見せてはいけない。そう言ってもおかしくない状況ですね。それもそうです。思い通りに動かないと機嫌が悪い母親。いつも疲れた顔をしている父親。休日は、ゴロゴロしている父親。
特に父親なんかは、子どもが少し大きくなると、話すこともなくなる。また、広く大人の世界をみても、「真似してみよう」と思える大人がどれほどいるのか?少なくとも、テレビや新聞・雑誌などからは、なりたい大人像は見えてこないのではないだろうか。
このままでは、いけないですよね。
改めて、親・大人の役割として、
『親子間で、社会人同士として社会のなんでを考える』
この記事には、大きなヒントが示されているのではないでしょうか。
一言で言えば、親が「実現派の社会人」として、子どもに接する事。