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2008年09月13日

明治になって、都市部の男はどうであったのだろうか?

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画像は、ここ からお借りしました。

hiroakiさん に続いて、都市部の男に威厳はあったのか?を探ってみたいと思います。
同じく、 明治日本の女たち
には、都市部の上流夫人の様子が、農村とは対照的に書かれています。

 一方、日本の上流婦人は、結婚と同時に自由を放棄し、夫と義理の両親に服従し、かれらの召使いとなる。年がたつにつれ、その表情には、あきらめと、自己犠牲ばかりが続く人生の苦労の痕跡がみられるようになる。(中略)
 この文章が、今から100年以上も前に書かれたものだとは、とても信じられない。
上流階級の婦人を、専業主婦に置きかえれば、この文章は今でも充分に通用する。

この状況からすると男には、威厳とまでは言えないけれど、権威はあったのだろうと想像できます。

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当時は、財産の相続権が男性にのみあった

相続すべき財産を持った家庭では、とりわけ男性支配が強かった

そのうえ、子供の養育権が男性に独占されていた

だから、女性の自由が奪われていた、と筆者は記す。

家制度(江戸時代の武士階級の家父長制的な家族制度に基づく)による父権の復活が前提としてあり、

明治時代、取り分け都市部の背景をおさらいすると、
地租改正・・・お米から、お金による納税。また、都市部では、土地と言う生産手段がないために賃金労働者とならざるを得ない。そして、“お金なしには、生きて行けない”状況。
殖産興業・・・工業化・市場化の発達。小金持ちが増える。お金・仕事を求めて都市部へ人口流入。
廃藩置県・・・藩単位から、国家を中心とした中央集権型へ。
家制度・・・・家族・親戚を含めた親族単位あるいはもっと広く農村単位での繋がりを重視していたものが、戸主を中心とした家族単位となる。

明治20年発刊の女性雑誌に
女性と仕事の未来館 明治・大正における女性の仕事 -女性雑誌からみる-

(明治20<1887>年)「人の権力の裏づけになっていくのは、金力(経済力)である。女性の地位が上がらないのは、財産としての経済力を持っていないからで、これを打破するには、まず女性(妻)が経済力を持つことが大事である。(後略)」

と書かれているが、女性の労働賃金は、男性の半分~1/3といった格差があり、女性にとって、お金を稼ぎ、生計を立てることは、たいへんであった。

お金無しでは、生きて行けない都市部において、
その後の生活がどのようなものであっても、お金持ちに嫁ぐことが、最良の手段であったのかも知れない。そして、良妻賢母という家に女性を閉じ込める教育思想が後押しをした。

女性の賃金が低かったのは、
それでも働く女性がいた、女性の地位(評価)が低かった
からとも言えるが、
国家の政策である列強諸国に追いつくために⇒(どうする?)
国家を中心として、国を統合するために⇒(どうする?)
藩を廃止し、共同体を解体し、戸主中心の家単位として直轄させるため
だったのではないだろうか。

男は、どうであったのか?
市場が開放されて、私権(お金)獲得の可能性が開かれたということは、お金を得ることができれば、お金によって権力を得ることも出来るようになった一方で、私権を巡っての闘い=“周りは全て敵”という状況に身を投じることになる
そして、戦争に次ぐ戦争という生存自体ままならない状況と相まって、かなり精神的に荒廃していたのではないだろうか?
冒頭の“上流夫人”の様相と合わせて鑑みると、
家制度における家父長という権威を盾に妻にぶつけることによって(のみ)、精神の荒廃(非充足)を解消していたのかもしれない(それでは充足できるわけがないが)。

投稿者 sodan : 2008年09月13日 List   

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