親和充足によって親も「育つ」 |
メイン
2008年02月09日
児童養護施設の存在構造
日本の児童養護施設は、法的には1929年:孤児院→1948年:養護施設→1998年:児童養護施設という変遷を経て、現在の形となっているようです。元々は、親を何らかの理由で亡くしてしまった孤児達を受け入れる施設としての役割がメインであったものですが、昨今では凡そ6割以上が、なんらかの虐待を受けている子ども達を一時的に保護する施設として、全国に555箇所あり、H15年の時点で3万人ほどの子ども達が生活の拠点としているようです。
また、厚生労働省の調査結果によると、児童相談所における虐待の相談件数は毎年増加の一途を辿っており、H17年で3万4千件。10年前のH7年時点では2700件ほどだった事と比べると、なんと10年で12倍 😯 を越える増加となっています。
ちなみに、るいネットで先日一緒に議論したきょんさんが調べてくれたデーター「2006年アメリカにおける虐待の実態について」によると、個人主義立国アメリカでは、比較にならないほど虐待件数が多い事が解りました。
続きの前に、応援お願いします。
一部を引用すると、
アメリカでは毎年、虐待の報告件数は300万件を超える。しかし、実情はその3倍にもなると言われている。
・ 4歳以下の児童・乳幼児の4人に3人が、そして毎日4人の子供達が虐待により死亡している。毎年1500人の子供が虐待により殺されている。
・ 毎10秒、虐待の報告がなされている。
・ 毎年約906,000人の子供達が虐待被害にあっているとされる。それは1000人の子供につき12.3%の割合だ。
・ 虐待により死亡する(殺される)子供達の79%は4歳以下だ。
・ 虐待を受けた人の80%が21歳までに最低1つは何らかの精神障害(落ち込み、不安、摂食障害、PTSD=心的外傷後ストレス障害等)の診断基準に対面する。
という、目を覆いたくなるような惨状 😥 です。
この現実を捉え、今後の対策を考える上でも、虐待の根本原因と、その受け皿をどうしていけば良いか?という課題は急務です。
という事で、当ブログの先日のエントリーにヒントを得ながら、現代家庭及び個人主義思想の取り巻く問題点を整理してみました。
「甘えない人が自立するのでなく、甘えていいときに充分に甘えた人が自立する☆」
なるほど!が沢山見つかったエントリーなのですが、その中でも注目できるのが、
甘え→安心感→意欲→自立
の構造。これは、相互に受け入れあえる基盤、すなわち共認充足の得られる環境がまずありき!という、とても重要な視点です。
受け入れられている安心感とは、相手が安心してくれている、あるいは喜んでくれている事を見て、自分も安心する、という関係です。甘えさせられる、という事は、甘える子どもに喜んでいる母親の姿 😀 が、子どもを充足させる 😀 、という構造なんですね。
翻って、アメリカといえば、自立の国。早期に子どもに自立心を育む、という観念教育が最も成熟している国と言っても良いでしょう。しかし、実態は上記に示したとおり。日本などはるかに及ばないほど、虐待大国 👿 でもあるのです。
幼いうちから、無理やりに自立、あるいは自我の確立 😈 ばかりを強引に育もうとする、という事は、結果的に母親の子育て充足すらも奪ってしまっている、とも言えるかもしれません。母親が充足していない子育てでは、子どもは育つ基盤すら得られない。物凄い悪循環ですね。
一方で、日本の児童養護施設は、実はとても歴史が長く、孤児院の頃から常に地域の中に受け皿(受け入れてくれる場)が存在していました。古くは、お寺などがその役割を担い、小坊主達が寺の仕事を切り盛りしつつ、逞しく育っていく基盤でもあったようです。
子育ては家庭だけの問題として捉えるにはあまりにも比重が重すぎる課題です。実際、核家族家庭が単独で子育てを担いきれない分、保育所や幼稚園、学校といった制度が整備されてきているのですからね。
しかし、それでもやはり日本の現代家庭でも、虐待が増えている。これは、結構根の深い問題です。
現在の母親世代は、全般的に収束不全。そして、核家族の中で育った世代。先行きの見え辛い状況にプラスして、不安の強まりから自分観念収束がやたらと強まってきています。
不安→焦り→目先の安心へと飛びつくも、不安は解消されない。この悪循環から、目先中の目先である「自分」という意識、すなわち存在不安や自己否定・他者否定などの自我回路に収束して行く、という非常に危険なループでもあります。
このまま、自分という殻に女性達が閉じこもってしまっては、子ども達の育つ安心基盤が作られません。
子ども達が安心して育つ充足基盤とは、家庭、そして母親達を取り巻く環境から、根本的に変えていく=集団や社会全体が受け皿(共認媒体)となる事が最も必要な事のように思いました。そして、世の男達は、自分の子どもにしか向かわない子育てパパになるのではなく、この社会の環境を整える(守る)ために闘う男でありたい、と強く感じた次第です。
かわいでした 🙄
投稿者 kawait : 2008年02月09日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2008/02/467.html/trackback
コメント
投稿者 silentservice
私も、今回きょんさんのお力でアメリカの実態報告を知って、ホント驚きました。
日本の政治家は経済的視点のみ重視した従米路線を未だ貫こうとしていますが、こうした生々しい現実こそを直視すべきだと感じています。
一方で、日本の家庭は「まだマシ」なだけに過ぎず、同じような構造的欠陥を抱えている事も事実でしょう。
まずは環境を読み解く事を、今後も重視して行きたいですね。
投稿者 かわい
以前、TVでアメリカの中流家庭における
児童虐待の現場を観たことがあります。
これは、共働きをしている夫妻がメイドを
雇い、家の中に隠しカメラを設置して捉えた
映像だったのですが、凄かった。
赤ちゃんに張り手をくらわし、何と最後は
持ち上げてベッドに叩き落としていました。
(その後訴えられたそうです。)
他にも、激しい虐待の光景が思い浮かび
ます。やはりアメリカって色々な意味で
問題ありますね…。