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2007年03月06日

家族ってなに?

まずは事実を知ろう。

私達にとって、家族とは核家族を言い表す言葉として定着しているが、現代の家族の形が出来上がったのは、人類史500万年の中で、大目に見てもたったの50年も経っていないのである。

もちろん、これは日本に限っての話しだが、こと世界へと視野を広げてみると、現在でも実に様々な家族の形が見られる。

知られざる人類婚姻史と共同体社会

こちらのサイトでは、未開部族の婚姻様式など、あまりメディアでも取り上げられることの無い、かつ教科書には絶対載っていないような世界各地の部族の生活様式が紹介されている。しかし、そもそも未開部族というだけに未開であり、なかなか調査の及んでいない領域でもある為、ごく一部の事実でしかないのだが。

哺乳類・人類に共通の集団形態である母型制社会を未だに保持している部族も多く見られるので、是非上記サイトは参照して頂きたい。

さて、日本の家族に話を戻すが、日本において核家族以前の家族とはどのような形であったのだろうか?

核家族化は、時代背景的に都市化と同一に進行してきました。農村から都市への人口流入と同時に、都市の家族形態として核家族が形成されていったのです。よって、都市化以前の家族といえば、農村=村落共同体が当時の家族の形となります。

では、村落共同体とはどの様な家族形態だったのでしょうか?

続きが気になる方は、こちら。

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これは、地域により大きな差がありますが、それもそのはず。

地域ごとの外圧状況に対して、適応すべく集まった人々の群れ
こそが、村落共同体といわれるものであったからです。

地域社会の調査を行っている方の論文にも、以下のように書かれていました。

村落共同体からみた災害の社会学

地域の歴史をみますと、かならず大きな災害の記述が現れてきます。村落共同体は成立や歴史そのものが、災害との戦いであったということができましょう。村落共同体の存在理由の一つは、災害と共同で立ち向かうことにあったということができます。鹿児島県桜島の大正大噴火に際して、全集落が埋没するという事態におよびながら、一人の死者も出さなかったという事例はよく知られています。昔はよかった式の礼賛は危険ですが、自然条件が厳しいほど共同体が必要であったし、共同なくしては生産と生活が成立しなかったといえましょう。

saigai2.jpg

なるほど :D 、自然外圧を前に単独では対処し切れない様な状況においても、村としての統合力が備わっている場合は、見事に危険を察知して回避する事が出来ていたんですね :shock:

例えば、都市直下型の大地震がいま突然襲ってきたら、都市はどうなるでしょうか? :roll:

あなたの想像通り、大混乱 を招き、多数の被害者 が出てしまう事は間違いないでしょう。

都市での生活とは、とことん利便性・快適性を追求したものであり、簡単には手放すことの出来ない麻薬性を有しています。ところが、ひとたび自然災害などの急激な変化に襲われた場合、統合軸を持たない人々は右往左往し、どうすることも出来ない混乱に巻き込まれていくことがあまりにも容易に想像できてしまう。

それほど、現代の家族というものは形骸化し、いざという時の適応力を持たない集まりでしかないのです。

核家族に期待されている唯一の役割は、消費とその為の子育てだけ。。。

家族単体が都市にポツンと取り残された 時、それは最早生きる能力を失った者の集まりでしかないのです

この様な観点で見た場合、今でも冒頭に紹介した世界の未開部族に見られる様々な家族形態というものは、見事に外圧に適応すべく規範が形成され、自己中が封鎖される仕組みが作り上げられています。もちろん、日本の村落共同体にも、見習うべき風習は沢山あったのでしょう。

という事で、
外圧に適応しうる集団形態・統合様式
といった辺りをヒントに、現在の家族の問題性と、今後の家族の形というものを、改めて追求軸にあげて活きたいと思います。皆さんも、身近なおじいさんやおばあさんに、昔の家族はどーだったん?と耳を傾けて、沢山の情報を教えてください!

かわいでした。

投稿者 kawait : 2007年03月06日 List   

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コメント

私の親たちの世代(大正生まれ)のエピソードを3つほど…

・庶民の家は子だくさんで7~8人ぐらいの子供がいるのはごく普通。一番上と一番下では20歳ぐらいはなれていることもよくあり、上の子が親がわりで下の子のめんどうを見ていたようです。

・子供が生まれない家では養子をもらうことがごく普通に行われていたようです。
私の父親は次男坊で、小学校ぐらいのときに養子に行ったことがあったようです。その後、また元の家に戻ったけど、養子に行った家の親たちともずっと付き合いがあり、私からみると、じいちゃん、ばあちゃんが2人ずついるような感じでした。

・また、私の父親の方のばあちゃんは3姉妹で、その3人がたまたま近所に嫁いだので、そこの子供たちは全員が兄弟のように仲がよいです。子供たちは、夕飯をどこの家で食べてもよかったようです。

今の核家族と違って、開けっぴろげで互いの垣根があまり無い社会だったようです。

投稿者 yamasyo : 2007年3月7日 18:18

うちの父親も、農家で10人以上の兄弟がいたようですが、それ以上に沢山の家族がいて、家系図が書けないくらいに複雑?な環境で育ったようです。

小さい頃に遊びに行った時の記憶でも、沢山の人が家を出入りしており、どこまでが家族、という線引きの必要性などまったく感じない状態だったことを覚えています。縁側はいつも賑やかでした。

田舎では、それが当たり前だったんでしょうね。今では、すっかり距離が開いてしまっていますが。

投稿者 かわい : 2007年3月9日 01:10

先日の能登半島沖地震のときも、直後に地域のお年寄り達の安否を確認して回ったようで、地域共同体の結束力が、あれだけの規模の地震でありながら、死者1名と最小限の被害に留まらせたようです。

これがもし都市だったら、地震発生後数日たってから、身よりのないお年寄りがマンションの中で亡くなっていた、などということが相次いでいたでしょう。

投稿者 watami : 2007年3月31日 20:19

watamiさん、コメントありがとうございます。

以前の新潟地震でも、被害は大きかったものの、被災された方々は互いに助け合い、インフラが途絶えた中でも力強く生活を続けられていたようです。

地域の繋がりというのは、その地域特有の外圧を課題として共有する中で、初めて形成されるものなのでしょうね。

投稿者 かわい : 2007年4月2日 22:31

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