いじめを考える~今の「子供世界」~ |
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2007年02月20日
いじめ、今と昔の違い。
いじめ問題が注目されていますが、同じ会社の仲間たちと自分たちの学生時代の「いじめ」について話をしました。その中で、世代によって「いじめ」の内容が大きく異なっていることがわかりました。
①‘60年前半~中盤生まれの人(自分もここに入るが)は、「いじめ」は、「学校の中でも、暗い子や仲間を裏切ったものがターゲット。「いじめ」になる人の基準がはっきりしていたといえるかもしれない。しかし、いじめる側は、いじめた奴も仲間と思っていたし、いじめられたほうも、いじめられたから死のうと思ったりはしなかった。一部のヤンキーがメチャクチャやっていたが、それはほんの一部だし、今ほど陰湿ではなかった気がする。」
②‘80年前半生まれの若い人は(学生時代は、いじめ最盛期になるのかな?)、「いじめは嫌だけど、だれでもいじめのターゲットにされる。とにかく他人と違う行動をしたらいじめの対象になる。何でいじめるのかなんて考えられなし、そこには踏み込めないので表層的だし、人間関係が疲れる。学校を出たらホットする。」
若い人の、「学校を出るとほっとする。」というのが衝撃的だった。仲間関係にすごく不安を感じているのに驚かされた。そこでは仲間第一だけど仲間不安であるという矛盾が混在しているという感じを受けた。
私権が衰弱し、仲間充足に可能性収束をしたとしても、その仲間第一の中身=仲間内での共認の中身は、充足期待(上記①)から不安を何とかしたいという期待?(上記②)やら、いろんなレベルで存在するということがわかった。そして、いじめという不安圧力にかわる充足課題を作ることが、いじめに対する解決策だし、それは、企業や家庭と同様に、閉鎖的な学校空間というしがらみを超えた社会(みんな)との繋がりがポイントだと思った。
投稿者 hoop200 : 2007年02月20日 TweetList
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コメント
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