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2023年02月22日

高度成長期後の企業トップから見た日本の教育

前回は1960年代に急増した核家族の問題点として以下の2点があがりました。

・親子だけの空間のため、祖父母から子育てのノウハウが継承されず、母親の不安が募る。

・家庭が生産現場と切り離された空間になったため、「勉強」が評価軸の中心になった。

 

上記の2点は連鎖関係があり、子育てに明確な評価軸がないため、自身の子育てが正しいのかどうか不安になる。例えば、言葉が多少遅れても祖父母がいれば「そんなものくらい大丈夫だよ!」と言ってくれただろう事象でも、他の子と比べて「我が子だけ出来ない…」という不安が募り、それがそのまま自身の子育て評価に繋がってしまう。

これを突き詰めると、有名大学(高校・中学)に合格すること、つまり勉強ができるようになることが子育ての成功という認識が社会に広がる。

こうして「勉強」が評価軸の中心になった。

 

1960年代に結婚し、核家族を築いた夫婦の子どもが小中学校にあがるのが1970年代頃。ちょうどこのころに「受験戦争」という言葉も生まれ、マスコミが乗じたこともあり、社会全体に「学歴信仰」が広がります。

このように学歴信仰が進む時代、当時の産業界は教育をどう見ていたのでしょうか。

 

1950年代~1960年代は、高度成長真っただ中だったため、とにかく生産量を増やすことが第一であり、そのための人材提言とし、工場長などを担える中堅技術者の不足(=量的問題)が訴えられています。

1960年代~1970年代になると、大学への進学率が上がり、大学の大衆化に伴う学力低下や多様性の欠如からくる創造力のなさ(=質的問題)が問題視されます。

こうした人材の質的問題を抱えた時代、1974年にSONYが湘北短期大学を設立しました。その際、トップが語った言葉が以下のものです。長文ですが、抜粋せずそのまま載せます。

 

「なんとかして有名大学を出ることが、もっと簡単に言えばよい大学へさえ入ってしまえば人生の大半が決まってしまう様な今日の世の中の機構に、私は大変疑問を感じる。ほんとうに世の中の役に立ちその存在に意味のある人は、こんな教育の考え方の中から決して生れてこないだろう。教育は決してだまっていて上から自動的に与えられるだけのものではない。自分で求め何処までも自分で追求して行くのが真の教育の姿ではないだろうか。こんな方向を目指し、どんどん実現して行ける学校がこれからの日本にはどうしても必要であるということから、湘北短期大学が生れることになったのである。実技を通じて智識のみでなく、世の中を活きていく、人を率いて行ける人柄を身につける教育を、私は大いに期待している。」

 

この言葉が象徴している通り、産業界のトップ層は主体性なき学歴社会を憂い、「自ら実学を求め・考える人材」を輩出してほしいと訴えています。

 

そして、それから約50年経った現在、どれだけ変化したのでしょう?

 

以下が、産業界が学生に求める「資質」と「能力」の2023年版です。

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資質:主体性・協調性・実行力

能力:課題設定および解決力・論理的思考力・創造力

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なんと、ほとんど変わってない!

産業界視点で教育を見ると、1970年代に憂いた人材問題が、50年たっても解決されていないことがわかります。学校も家庭も

「実学」より「ペーパーテスト学」を重視した結果と言えば、当然のことかもしれません。

 

しかし、現実社会と切り離された学校や家庭で、子どもたちはどのような意識だったのでしょうか?こうした社会環境の中で、

子どもたちの活力はどう変化したのかを見ていきます。

投稿者 kami-dai : 2023年02月22日 List   

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