大正期の父親はどんな存在だったのか |
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2008年09月16日
戦後のサラリーマンの活力源
わっとさんに続き、戦後~高度成長時の夫(サラリーマン)の役割・活力源がなんだったのかを追求してみたいと思います。
この当時のサラリーマンたちはどんな意識を持って働いていたのでしょうか。
それは、家庭にどのような影響をもたらしたのか。興味深いところです。
今回は、当時のサラリーマンたちの時代背景を踏まえ、活力源がどのように生まれていたのか追求してみたいとおもいます。
応援ぽちよろしくお願いします!!
戦後、日本は貧困時代から脱出するため、男たちは豊かになるために、必死で働いていました。その当時の象徴といえる成果といえば新幹線開通、東京タワーなど、現代でも代表する日本が誇れる技術がつまった成果品といえます。 😀
日本が豊かになるため、工業化が発展し、今世界に誇れる技術を提供できる会社もこのとき生まれています。また、この当時のサラリーマンたちの意識はみんなが豊かになるためという明確な課題があったため、活力がものすごくでていたのだといえます。
また、この当時は象徴するようなネーミングもいろいろうまれた時代でした。
高度経済成長の前後解説より引用
昭和40年(1965)から約5年の長期に及んだ「いざなぎ景気」は、日本製品の盛んな海外輸出によって主導されました。終身雇用・年功序列といった安定的な労使関係を基調とした日本型の雇用慣行は、「会社人間」「企業戦士」「猛烈社員」と形容される勤勉なサラリーマン層を生み出し、より高度経済成長を加速化させました。国民総生産(GNP)が世界第2位へと躍進するとともに、階層間・地域間格差の縮小傾向を背景に、全国民の9割までが中流意識をもつに至り、社会は「昭和元禄」のムードにあふれました。
現在日常的に使用される「サラリーマン」の定義は何だろうか? その内実は多様であり,定義の難しさは誕生期とされる大正年間から既に指摘されている。とりわけ戦後には,境界が曖昧なまま月給の被雇用者一般を含むまでに拡大してきている。かといって仮に境界を定めて操作的に定義したとしても,その全体像をとらえるというよりも,特定の目的に応じた一種の便法に過ぎない。むしろ注目すべきは,「サラリーマン」が,多様さを一括りにする呼称として成立した側面である。そのとらえどころのなさにこそ,「サラリーマン」の意義があると考えられるのではないか。ここに「社会的表象としてのサラリーマン」という視角からの考察の必要性と余地とが出てくる。この視角からは,戦後日本の特徴として,サラリーマンが最大の集団になっただけでなく,サラリーマン呼称が月給の被雇用者一般にまで拡大したという側面が明らかにされる。「サラリーマン」というある一定の特徴を持った集団が形成され拡大しただけではなく,多くの人がその表象するモデルを望ましく標準的な生き方として受け入れるようになった,ということなのでもある。
引用終了
このように、この高度経済成長時代には「日本を豊かにする」という明確な課題があったため、サラリーマンがひとつの集団として日本の課題に対して答えを出そうとしていたから、活力がみなぎっていたし、闘争存在として存在していたんですね。
最後に戦後から高度経済成長期、そして豊かさ実現までの簡単な図解を示します。
戦後 敗戦・貧困時代 😥
↓
50年代 豊かさ実現のため必死で働く男たち :tikara: :tikara: :tikara:
↓
60年代 実質的な経済成長 😈
↓
70年以降 豊かさ実現 😀
↓
その後… (目標喪失) 😥
↓↓
どうする?? 🙄
では、豊かになってからの日本のサラリーマンや夫たちはどのように意識が変化し、その影響で男たちの立場・役割がどのように変化していったのでしょうか。 8)
このあとは、かわいさんよろしくです!!
投稿者 kaneking : 2008年09月16日 TweetList
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