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2017年01月02日
子供の手遊びから始まる日本の文化と歴史
前回は子供の手遊びが脳の発達と密接に関係していることを見てきましたが、子供が大きくなるにつれ、多くの親は我が子が「手に職」をつけて独り立ちできるようにと考え始めます。
改めて見ると、日本語には「手」のつく言葉がたくさんあります。
運転手、選手、働き手、相手、担い手、受け手、なり手…。「手」がそのまま人間をあらわす言葉になっています。また手厚い、手向け、手土産など、人との関係をあらわす時にもよく使われます。
「手」は私たちにとって、成長や仕事や社会生活を営んでいくうえで重要なキーワードになっているようです。
今回はそんな「手」と私たち日本人の関係について考えてみましょう。
日本語には手にまつわる言葉がたくさんあります。
以下(http://benkaku.typepad.jp/files/roudoutoninngenn.pdf)より
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◇こんなにイロイロできる
*書く、打つ、つかむ、なげる、ひっぱる、むしる、はじく、つまむ、おす、むすぶ、ふれる、なでる、抱く、つつむ、かきむしる、ひく、にぎる、さす、すくう・・・。
◇情報の伝達、道具の使用、他者との媒介
*手は「熱い」「硬い」「痛い」「形」など、たくさんの情報を脳へ伝える
*「道具」を使って対象に働きかける
*相手に物を渡したり、相手から受けとったりする、つまり「他者との媒介」にも。
◇手にまつわる言葉ー日本語は「手」をたくさん使っている
*運転手、選手、助手、歌手、騎手、働き手、聞き手、やり手、手先、名手、相手、担い手、受け手、なり手…。「手」という言葉がそのまま人間をあらわすものとな
っている。
*「手をぬく」「手伝い」「手をやく」「手がでる」「手ざわり」「手ほどき」「手さぐり」「上手・下手」「手堅い」「決め手」「手本にする」「手柄」「手にとるようにわかる」…
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私たちは「手」で実に多くのことをしていることに驚かせられます。
単に道具をつくり器用に使いこなすだけでなく、多くの感覚情報、人間関係、その人となりや意識を「手」をつかってであらわしています。
そして「手」との深い関係を見出していた日本人は世界的にも稀有な存在だったようです。
以下(http://www.mag2.com/p/news/231657)より
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日本の技能は凄い。ペリーも目を見張ったメイドインジャパンの底力
幕末にやってきたペリー艦隊は、蒸気船に代表される近代科学技術で日本人を驚かせたが、逆にペリー一行も日本人のもの作りの底力に目を見張った。一行が帰国後にまとめた「ペリー提督日本遠征日記」には、次のような一節がある。
機構製品および一般実用製品において、日本人はたいした手技を示す。彼らが粗末な道具しか使ってなく、機械を使うことに疎いことを考慮すると、彼らの手作業の技能の熟達度は驚くほどである。日本人の手職人は世界のどの国の手職人に劣らず熟達しており、国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう。
他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまうから、国民が外国と交流することを禁止している政府の排他的政策が緩められれば、日本はすぐに最恵国と同じレベルに到達するだろう。文明化した国々がこれまでに積み上げてきたものを手に入れたならば、日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう。
(『日本の技術レベルはなぜ高いのか』風見明/PHP)
ペリーらをこのように驚かせた「一般実用品」の一つが、贈与された蒔絵漆の硯箱だった。硯箱のゆがみのない直線、バラツキのない厚み、そしてガタのない嵌めあいは、とても手作業とは思えない高精度の仕上がりであった。当時アメリカではすでに各種の工作機械が使われていたが、日本人がこれだけの技能でさらに工作機械を使いこなしたら、「最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう」と予測したのも当然であろう。
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日本人の手仕事の水準の高さがうかがえますが、興味深いのは「学ぼうとする意欲が旺盛」であり「学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまう」という点。これは手の発達と思考力・追求力が密接に関係していることを示しているように思います。
またその成果を伝える「担い手」も日本のおおきな特徴です。
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伊勢神宮に見る技術の継承・発展のシステム
このように現代日本の誇る先端技術製品は、一朝一夕に開発されたものではなく、長い歴史を通じた技術を基盤として生み出されているのである。その背景には、一度つかんだ技術は絶対に手放さず、過去の蓄積の上に代々の革新、改良が積み重なっていくという重層的な発展パターンがある。その典型が伊勢神宮に見られる。
よく知られているように、伊勢神宮の建物は式年遷宮と言って20年ごとに新築される。その際に建物だけでなく、装束神宝と呼ばれる700種類、1,500点ほどの装飾品もすべて作り直される。織機のミニチュアや木彫り馬から、衣服、手箱、硯、刀剣、弓矢、扇などにいたるもので、技術的には織工、木工、刀工、漆工など、伝統工芸技術のほとんどをカバーしている。それらを各分野で日本最高の腕を持つ職人たちが作る。
面白いのは、装束神宝には設計図やマニュアルなどが皆無だという点である。職人たちは現物を見て、その寸法を測ったり技法を調べたりして、「見真似」で作る。大きさや様式は厳重に古式に則っている必要があるが、出来映えは恥ずかしくないものにしなければならない。そこに先人の技術を真似しつつ、自らの創意工夫で技術を積み重ねていく作業が行われる。これがあらゆる分野の技術で、20年ごとに繰り返されて、千数百年も繰り返されたら、その蓄積はとてつもないものになる。
伊勢神宮の装束神宝の原型は、正倉院の宝物にあったと推定されている。それらのほとんどは唐の時代に、大陸からもたらされたものであった。しかし、今の中国にはそれらのオリジナルはほとんど残っていない。古代の製法は失われてしまったのである。あるのは、近年たまたま遺跡から発掘されたものだという。古代にいくら素晴らしい発明がなされても、その製法が失われて単に「もの」だけしか残っていないのでは、生きた技術とも文化とも言えまい。
伊勢神宮の式年遷宮というシステムを通じて、各種の製造技術が脈々と受け継がれ、重層的に発展している所に、日本の技術の独自の特徴がある。
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仕事の成果をより良いものにしていきたい、先駆者に学びその上に創意工夫を重ねていく意識が手仕事の底流に流れていて、日本人の仕事観の原型にもなっているように思います。
さらにそれは世代を超えた意識につながっています。
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伊勢神宮に見られる技術の継承・発展のシステムで、もう一つ特徴的な側面は、一度つかんだ技術を大切に継承するという姿勢である。伝統工芸の職人たちは、「先祖が残してくれたものを絶やしたり、レベルを下げたりしては申し訳ない」という発言をよくする。
これはプロの職人だけのことではなく、最近でも町おこし、村おこしと称して、郷土に根ざした工芸・祭り・芸能などの復活が盛んに試みられている。郷土の先人が残してくれたものを、埋もれたままにしておくのは忍びない、という意識が働くからであろう。
そして、このように従来の技術を消滅したり、衰退したりはさせない、という無意識の自信が、新しいもの、外国のものでも積極的に「真似び」、自分のものにして行こうという姿勢に結びつく。
こうして伝統技術の蓄積と継承が、新しい技術革新の土台となっているのである。しっかりした土台があるからこそ、高い跳躍も可能となるのである。
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日本人は「手」によってものをつくり、工夫・追求を重ね、人から人へ伝え、世代を超えて伝承してきました。それは「手仕事」の域にとどまらず、日々の生活や社会活動の原動力になっているといっていいでしょう。
子供の手遊びから始まる私たちの文化や歴史。過去の蓄積を土台に、未来の可能性を切り開いていくのも子供たちの「手」にかかっていると思うと、一心不乱に遊ぶ子供たちの姿をしっかり見守り、育んでいきたいとつよく感じます。
投稿者 hoiku : 2017年01月02日 TweetList
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