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感謝の心を育む子育てとは?~エピローグ:“子育て”という言葉に“律する・教える”という意識が含まれてはいないか?~

こんにちはicon_biggrin.gif
これまで、『感謝の心を育む子育てとは?』を追求する中で、海外の子育ての状況や意識について調べてきました。

世界の言葉でありがとう地図 [1]

イヌイット [2]インディアン [3]にはじまり、儒教圏の中国・韓国 [4]北欧 [5]ユダヤ [6]、本源的なアフリカ [7]中世ヨーロッパ [8]

各国の子育てには、様々な特徴がありましたが、
大きく2つのグループに分けられることが見えてきました!

今回の記事では、それらの特徴を整理しつつ、感謝の心を育む秘訣を抽出してみようと思いますm027.gif

(続きもよろしくお願いしますm102.gif

■外圧環境に適応してゆく子育て

各国の子育てを特徴から浮かび上がった大きな軸は、どんな外圧環境に適応するための子育てか?という点。
それは、歴史的地理的要因などにも規定されています。

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【Aグループ】
※歴史的に略奪闘争(私権闘争、同類同士の闘争)が激しく、社会秩序を保つために、個人を律してゆくことが求められるグループ
・中国
・韓国
・ヨーロッパ

【Bグループ】
※同類同士の闘争が比較的発生しにくい場所(辺境etc.)で、自然環境に適応してゆくために、集団性が求められるグループ
・イヌイット
・インディアン
・北欧
・アフリカ
・ユダヤ(略奪闘争は激しいが、敗者で集団性が強い)
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【Aグループ】の特徴を振り返ってみると、

>子どもはあくまでも大人になる準備段階にあるものとして大人らしく振舞うこと,すなわち,大人の行動規範の体得に務めることこそが子どもの本務でもあった。 [4]
>こうした儒教の礼教主義は, 子どもに大人としての振舞いを身につけさせることが大事であって,子どもの自由な活動は制限された。 [4]
>庶民にまで浸透した儒教という教えがあり、この教えに沿って厳しく子どもを教育してしていたようですね。 [4]
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>子供という概念はなく、子供はあえて言うなら「小さな大人」と考えられていました。 [8]
>大人と違って子供は未熟な存在であると考え、理性的である人間に、よきキリスト教徒に育て上げるべきだと主張した。 [8]
>子供というのは理性的でないから、理性を持った人間に育て上げることが必要。 [8]
中世ヨーロッパの子ども [10]

など、【子供=大人より劣る存在】であり、それゆえ教育が必要としています。
また、儒教やキリスト教の教えに従わせることも、子育ての一つで、
「~すべき」「こうあるべき」という規範が強く、
子供は社会性を身につけた小さな大人として、社会に受け入れられていきます。

 

他方、【Bグループ】の特徴を振り返ってみると、

>穏やかに辛抱強く、子供たちが道理をわきまえた行動をとるように導く。 [2]
>子供たちは幼児の頃から共有することを教えられ、いつも大人たちが共有しているのを見ている。 [2]
>子供は集団の中で育つもの。 [2]
イヌイット1 [11]

>「教える」「教えられる」と言う意識が全くない。 [3]
>物事は人の行動を注意深く観察し、同化することで自然と身につくことであると考えられている。 [3]
>子どもを「育てる」と言うよりも、「自分達が子どもに楽しませてもらっている」、厳しい外圧に対峙する上での「活力をもらっている」と言う方が的確である。 [3]
>「自分で生んだ子どもは、自分で育てるのが当然だ」と言う考えは無く、子どもは部族みんなの中で育っていくと認識している。 [3]
>自分中心ではなく、周りの世界の声に耳を傾ける姿勢こそ、大切 [3]
子育て [12]

>子どもが自立的で、自由でありながら、自然をしっかりと観察したり、また、用心深く対処できることが必要なのである。 [5]
>どんなに小さな子どもでも、大人が自分の都合で何かを押しつけたり、禁止したりせず、必ず子どもの意思を尊重して、子どもの選択を保障するという。 [5]
>外圧に適応しようとするからこそ「好奇心」や「学ぶ楽しさ」も沸いてくる [5]
森の幼稚園1 [13]

>発育期にあるわが子が、みずからの才能を発見し、個性的な生き方を発達させてゆくために必要な、のびのびとした環境を与えようと、昔から努力を惜しまなかったのである。 [6]
>裕福な暮らしの人だけでなく、貧しい庶民も自分の子供を心底いつくしみ、大切に育てている [6]
ユダヤ [14]

>「ヘイ!ブラザ―!」的ブラザーノリ文化&ポレポレ精神の中で、子供たちはとても可愛がられていた。 [7]
>ちょっとでも泣いたらすぐにママか誰かが抱き上げあやす。 [7]
SONY DSC [15]

など、【子供=みんなの子、集団の宝】であり、所有より共有を重視する集団のなかで可愛がられ、伸び伸びと子供のまま受け入れていきます。
また、“教える”という概念はなく、周りをよく見て、真似て育ちます。

それぞれの外圧状況に適応した子育てであるため、
どちらが良い悪いではなく、【Aグループ】の国では、【Aグループ】の子育てが適しているということ。

そして、日本は辺境の地で、集団性を色濃く残しているため、【Bグループ】に属していると言えます。

ただし、戦後は欧米(Aグループ)に倣って、様々な子育てが取り入れられてきました。
たとえば、「子供一人ではできないから、教えてあげなくては…」という意識も、
実はAグループから輸入してきたもの。

つまり、いつの間にか、「子育て」という言葉自体に、教える・律する・上から下へという意識があるのではないでしょうかm050.gificon_rolleyes.gif

昔は「子育て」や「育児」という言葉そのものも存在しなかったであろうし、
「子育て=親育て」という言葉が流行るように、
上から下へという意識は、日本人の感覚とズレているようです。

本質的に「不可能視」が存在しているのではないかと感じる。
相手が”出来ない”ことを前提としているからこそ、「教える」必要があり、同時に自分は”出来ない”ことを前提としているからこそ「教えてもらう」必要がある。
インディアンの子育て [3]より)

今、私たちに求められるのは、子育てという言葉に含まれる”律する・教える”という意識から脱して、子供をありのまま受け入れ、慈しみ、そして教える・教えられるのではなく、自考すること。自考を促すこと。

そうすれば、子供は自然と周りの大人たち・仲間たちの真似をし、同化し、そして「仲間を想う心」が育まれていきます
(参考:『自考することで、感謝の心が育まれる [16]』)

それは、大人になっても変わらない、感謝の心を育む秘訣ではないでしょうかm101.gifm001.gif

『感謝の心を育む子育て』シリーズの応援ありがとうございました♪
次回のシリーズもお楽しみに^^*

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