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先人の“心”に学ぶ~「男時(おどき)、女時(めどき)」人生の波から学ぶ~

600年前の能楽の世界。それまでの猿楽から世の中の外圧や、業態変革に直面する中、どのように市場の中で評価を獲得し生き残っていくのか?先陣を切り新しい能楽へ挑んだ観阿弥、その姿から生き方・戦い方として世阿弥が記し残した「風姿花伝」。
時代や意識が変われども、現代の生き方や働き方、人間関係、人材育成を考える上で、胸に刺さる教訓がたくさん残されています。前回までの「稽古の心得」 [1]「初心忘るべからず」 [2]からも気づきや学びがありましたが、今回は、「男時(おどき)、女時(めどき)」という捉え方に触れていきたいと思います。

『時の間にも、男時・女時とてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、かならず悪き事またあるべし。これ、力なき因果なり。(第七 別記口伝)』日本古典文学摘集 風姿花伝 第七 別紙口伝 七 原文 (koten.net) [3]

当時の能では「立合」と呼ばれる競技形式で観客の評価を競っていたそうですが、勝負には波がつきもの。力では変えられない因果の中で、その流れを受け止め最終的に勝つにはどうする?を思考した中から生まれた言葉であり、観客の期待や相手の出方など状況を捉え、時流を見極め、攻めに転ずるタイミングとそのための備えこそが重要。と説いているのだと思います。

原文からは、「良き時=男時」、「悪き事=女時」となりますが、単純な良し悪しというより、誰もが人生の中でこの様な波に直面し乗り越え成長していくのだ。という摂理を気づかせてくれる。
好調な時でも、環境や状況が変わればその流れのままではいずれ上手くいかなくなる。その時こそ状況を捉え直し、新たな環境や期待に適応していく鍛錬や準備が必要になる。
状況を無視し我を通す(闇雲に攻める)のではなく、柔軟に現実に向き合っていく(相手発で実現基盤を整える)こと、その繰り返しの先にこそ、次の波(勝ち)を迎え入れ飛躍する機会が訪れるのだと。

また、個人の次元を超えて、部門や企業など集団レベルで捉えても、時代や人々の意識が常に移ろう中で、どのようにして社会の期待に応えていくか(評価を得ていくか)は、どんな企業も直面する課題。
時代がおかしい、社会がおかしい、仲間が不調だから、相手が悪いなどと捉えてみても現実は変わらない。何故評価を得られなかったのか?次はどんな手で攻めるべきか?など現実を受け入れ「女時」の時こそ、その振舞や追求がすごく大事なのだと教えてくれる。

「男時、女時」という捉え方を知ることで、誰にも存在する成長のサイクルとして状況を肯定的に見ることもできるし、不調な仲間がいても状況に寄り添った期待を投げかけやすくなるかもしれませんね。

世阿弥が、何故この時流の変化を「男女」を用いて表現したのか?奥が深そうで理由が気になりますが、身近な仲間と解釈を深めていくと、日々の人間関係の中でもたくさんの気づきが得られそうです。

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