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感謝の心を育む子育てとは? ~プロローグ~

ありがとう②(なんでや) [1]

ブログのタイトルでもある「感謝の心を育むには?」というテーマに関連して、今回は、そのための子育てや、教育等に着目して扱っていきます。

このテーマを扱うに至った背景は以下です。

 

◆「感謝」や「ありがとう」という言葉が溢れてきている。◆

なでしこ [2] 絆 [3]

最近、「感謝」や「ありがとう」という言葉が老若男女問わず、以前にも増して広く使われだしています。

高校野球で優勝したチームの投手は「仲間へ」、オリンピックでメダルを取った選手も「チームへ」、J-POPでも、「親」や「家族」や「友人」へと、「感謝」の気持ちを伝えようとしています。

 

この背景には、90年バブル崩壊、08年リーマンショックという経済危機により、それまでの「金儲け」に換わる目標を見失い、将来何を目標に生きていけば良いのか?分らないという収束不全という社会的な不全があります。

 

また、(田舎から)都市への人口流入に始まり、核家族化や個室化の流れ、その背景としての個人主義教育により、集団がどんどん解体され、「個人」としてバラバラにされたことで、安心基盤を失ったという不全が、先の社会不全と相俟って、そろそろ限界に来ている状況にあります。

 

基盤を失ったという不安、向かう先も不安・・・そのような状況で、人々はまず、安心基盤として、人と人との繋がりに向かっていきました

 

そして、11年の東北大震災はその意識を更に高めることになりました。それは、(ややマスコミに踊らされた傾向はありますが)「繋がり」や「絆」という言葉により、しっかりと人々の意識を呼び覚ましました。

 

◆ 「感謝の心」は日本人の特殊性!?

東北助け合い [4]

3.11東北大震災後の日本人の冷静さ、秩序立った行動や、自分よりも、お年寄りや子供、女性を優先した行動が、「日本人の特有の資質」として、世界各国から賞賛が寄せられたことは記憶に新しいところです。

同様に、江戸時代でも、「貧乏な子供でも、日本の子供は他人のお金を絶対に欲しがらない・・」と西欧人が感心していたと書かれている(『日本人と西洋人では、感謝のしかたが違うようです』 [5])ように、「自分より相手」という心や規範意識は、日本人特有のようです。

 

この日本人特有の資質は、よく言われる縄文体質という人類の本源性の表れだといえます。

日本人の成り立ちは、地理的条件と深い関わりがあり、ユーラシア大陸の東端に位置することで、欧州から中国、モンゴルへと続いた玉突き的略奪闘争とはほとんど無縁だったということで、仲間と共に生きるという縄文体質が温存されてきました。

 

縄文人は直接的に始原人類からの系統を受け継いでいます。

◆ 本源意識の再生

 

では、社会不全や存在不安から、なぜ、「感謝の心」へ向かうのでしょうか?

 

まずは、以前当ブログで扱った以下の認識をご覧下さい。

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極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。

リンク [6]

 

そして、

おいそれとは応えてくれない自然に対して、彼らは決して諦めることや、否定することなく、常に“感謝”し、“祈る”ことを繰り返してきたのです。その過程で、自身の期待の捉え方や期待の掛け方(≒発信の仕方)に問題がないか?を徹頭徹尾検証を行ったのではないでしょうか。

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リンク [7] 

 

この、自らはどうすることも出来ない「超越存在たる自然」に対し、絶望し否定してしまうことなしに、徹底的に肯定視することで、自然を克服してきたという意識構造が、日本人の「心」の奥深く刻まれており、現在の危機的状況を受けて、それが起動し始めているのではないか?と思われます。

 

日本では、農業や建築行為などの際、「その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る」ための【地鎮祭】や、「大地が全ての命を育む力を蔵するように」という願いを込めた【地蔵】、神が鎮座する森としての【鎮守の杜】、或いは【日本庭園】等、自然を畏れ敬う心、つまりは肯定視の表出として様々な祭事や様式を生み出してきました。

上述したように、危機状況の背景に、存在不安があるため、安心・安定基盤を求めて人繋がりに結び付き、その意識の表出として「感謝」という言葉が用いられていると思います。

 

因みに、これまで何度も地震や津波、洪水等の自然災害にみまわれても、いつも冷静に、根気強く対応してきたという背景にも、この自然に対する肯定視があります。

また、規範意識の高さも、規範は多くの人々が肯定する行いであり、それを守ることで安心感に繋がるという本質をもっています。

 

外国人から見る日本人の「Noと言えない」or「優柔不断さ」や、「いつも群れる」or「主体性のなさ」等、一見マイナスの側面も、「みんなの意識」を基盤にするが故に、表れる資質ではないかと思います。

 

◆ 追究の方向性

昨今の「感謝の心」の高まりとは相反して、それとは全く逆の事件もよく見聞きします。

直近では、16歳の女の子が仲間を殺害して山に捨てた事件などは衝撃的でした。

他にも、幼児虐待による子殺し、親殺し、夫婦間、彼氏彼女間のDV、ストーカー事件等、上げれば枚挙の暇がないくらい短絡的な殺人事件が多くなっている感じです。

 

本源性の再生と自我意識の表出とが、どうも2極化して登場しているような状態です。

 

自我意識は本来、集団生活の中で、「みんな意識」(≒社会性)との関係の中で、みんな意識の充足の方が強いという本源的な充足体験の中から抑え込まれる関係にあり、集団生活による仲間体験や、躾や教育に培われていきます。

そういう意味では、この2極化の背景には、そのような本源的な充足体験や、それに導く躾・教育がなされないという問題として固定でき、今回はその部分にスポットを当てて、追究していきます。

 

手順として、大きく以下の5つの内容について扱っていきます。

①     歴史を遡って、日本における子育ての状況や意識

②     海外の子育ての状況や意識

③     それらを踏まえて日本の特殊性とは?を固定

④     現代の問題点

⑤     感謝の心を育む子育てとは?

どうぞお楽しみに!!

 

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