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こんなにすごい!自然治癒力☆+゜~「気」ってなに?

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前回は、
自然治癒力を最大限に生かした東洋医学 [1]
と題して、東洋医学の生気療法を扱いました。

そこでも紹介した「気」について、今回から探索していきたいと思います
東洋医学では、「気功」といって、「気」を読み、或いは「気」を操って人間本来の身体の機能(自然治癒力)を回復するという治療法があります。「手当て」のように、直接身体に触れたり、触らずに「手をかざす」ことで治療したり、或いは、遠方の人の声や文字から「気」の情報を得て、病を特定したり、「気」を送って治療するなど、西洋医学は基より、自然治癒力という観点から見ても、にわかに信じられないような治癒事例が数多くあります。

身近な例でも、樹齢何百年の大木を切ることで「祟り」?で事故が相継いだり、その言い伝えにより道路を迂回していることも良くあったり、ある物に「悪い気」が宿ったり、と「気」に纏わる現象事例が数多くあります。

また、潮来など亡くなった方の気が乗り移ったり、知り合いの子供などは、我々には見えない「白い髭のおじいちゃん」と会話したり、或いは、「虫の知らせ」「第六感」「気配」等何かの情報を感じ取るということもあります。

周りの人に聞いても、「気」の存在については、確信に近いほど肯定する方々が多く、私自身も「何かある!」と思っています。

「気を配る」「気が合う」「気持ちが良い」「気の毒」「空気」「天気」等、日本語では「気」が含まれる言葉が実に多いことも「気のせいではない」と思います。

「気功」とは、人間の「気」が流れるといわれる経絡(けいらく)の通常の流れを回復するという治療法で、言わば人間が本来持っている自然治癒力を回復させようとする施術です。その仕組みについては、根拠を持って論理整合させている文献は皆無といっていいほどありません。

当ブログでは、その仕組みについて迫っていきたいと思います。その前にまず、気功師が言う「気とは何か?」について扱い、つぎに「気」に纏わる事例を紹介し、最後にその仕組みの解明を試みたいと思います

前回も紹介した『病気がすべて治る「気」の医学』(青島 大明)より引用

◆「気」は生命力。空気ではない。

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「気」とは、生命のエネルギーなのです。
その生命エネルギーは、人間、動物、植物といった生命体にだけ存在するのではありません。生命を持たない物質のナカにも「気」はあるのです。
例えば、座っている椅子からも「気」は出ています。身に付けているブレスレットにも「気」はあります。
「そのような無生物に『気』があるなんておかしいじゃないか」と考えるのは、自然なことかもしれません。しかし実際に、そういう物体の中にも一種のエネルギーがあり、流れているのです。現に私は、物体の中からも「気」を感じます。

陰と陽、プラスとマイナス。物体はこの二種類から成り立ちます。物理学の時間に、原始の核がプラスで、その周囲を回る電子はマイナスであると倣ったと想います。

私は、核と電子との間に「気」が存在し、自由に両者を行き来しているのではないか、そしてその「気」が、私たちの健康や生活に影響を与えているのだと考えています。

「気」は生命エネルギーだといいました。そう聞くと、「気」とは人間の健康によい方向にだけ作用するように思われるかもしれません。ところが、生命力とかエネルギーといいましても、それは必ずしも人間にとって好ましいものばかりとは限らないのです。

この生命力――エネルギー――には、プラスの作用するものと、マイナスの作用をするものとの二種類があります。
人間の身体の細胞を活性化させる良い生命力もあれば、細胞の働きを鈍らせる悪い生命力もあるのです。

例えば、同じ部屋の中で窓を全部占めてみた時に、手のひらをかざしてみると、暖かく感じる方角もあれば、ひんやりとした感覚を覚える方角もあることが感じられるはずです。
実はその冷たく感じる方角には、川や墓地など「陰の気」や「悪い気」の場所があったりするのです。底から発せられる悪いエネルギーが、人に「冷たい」と感じさせるわけです。

健康な生活を送るためには、「良い気」を取り入れ、「悪い気」を出すことが大事なのです。
こうした「気」の交換は外気功と呼ばれています。さらに、その「気」を体内で循環させ、自分でコントロールできるようにする訓練、それが内気功です。
この両者を練習することによって、気功ができるようになるわけです。

「気」の力で闘う中国古来の武術があります。これは硬気功です。身体の外の「気」を操り、敵対する相手を倒す術のことで、言わば「気」を用いて人に傷を与える術です。

そして私が研究を続けているのは、総合気功法です。外気功と内気功、両方の長所を生かしながら経絡を通じさせ、体内に「良い気」を取り入れ、「悪い気」を出すことで健康を維持するという術です。

種々の生命力を操り、「気」が人間にとって良い作用を働かせる方法を研究してきました。
中国医学では、人の身体には経絡(けいらく)と呼ばれる、血管・リンパ・神経系とは異なる系統が走り、繋がっていると考えられています。この経絡こそが体内での「気」の通り道。ここが詰まって「気」が通りにくくなると,病気になってしまうのです。

気功の基本は、次ぎの五点につきます。
①「良い気」を入れる。
②「悪い気」を出す。
③通じないところを通じさせる。
④「悪い気」を作らない。
⑤「悪い気」を入れない。

特に、「気」には悪いエネルギーもあるということを忘れてはいけません。病気の施術のために気功を行うのですが、理想を言えば病気に掛からないのが一番。健康を害するのを防ぐ意味でも「悪い気」をいかに入れないようにするかを心掛ける必要があるといえます。

「気」は生命エネルギー・・・なるほど、「手当て」では実際に手をかざすことでその部分が熱くなります。また、活発に行動しているときは、身体全体が熱くなるなど、熱に変換されたエネルギーは実感しやすいものです。逆に、病気を引起す原因の一つに「冷え」ということもあり、熱エネルギー等の波動が「気」の本質の一部であるように思われます。

そうすると、「悪い気」とは、「冷え」や紫外線や放射線などの波長の短い波動辺りかな?と推測できます。が、まだ、固定せずにもう少し現象事実を押えていきます。

◆超能力、じつは本能力

(前略)

私が行う気功法も、一種の超能力と見なされても当然かもしれません。気功の力で病気を治す―――普通の人間にはできない技を駆使するのですから・・・。
しかしこの能力は、本来人間は誰しもがもっている力なのです。

(中略)
文明社会の中で、人間はだんだんとその能力を使わないようになり、退化してしまっただけのことです。ただ、先に記しましたように、修行を積むなどすることで雑念を取り去ったり、愛する子供のために集中することで、無の境地に達した場合に、その本来備わっていた本能的な力が湧き出してきます。

「火事場のなんとやら」などという言葉も示すとおり、人間というものは、切羽詰れば普段では考えられないような力を発揮するものです。それは、本来備わっていた能力が使えるようになるからです。

その意味では私は超能力という言葉を避け、「本能力」と呼ぶのです。私の気功による施術も、この本能力を使っているだけのことです。私は、生きている人なら誰でも持っている力を使っているに過ぎません。ただ、その力の使い方に個人差があるだけです。

知り合いの子供が、私たち大人には見えない「白い髭のおじいちゃん」と会話する・・などの事例からも本来持っている能力と見ることもできます。
「気」を感じる感覚機能以外にも、味覚や対象認識等も大人になるにつれて、失われていく機能は多いと思います。感じた瞬間にそれまで経験してきた様々な情報や、獲得してきた観念が逆にその情報を遮断してしまう。
とすると、それを回復する方法もあるはずです。

◆「気」を情報とかんがえる

私は「気」のことを説明するに当たり、生命力でありエネルギーであると書きました。しかしそれだけでは十分ではないかもしれません。といいますのも、私たちは「気」を通じて、その人が今どのような状態にあるのか、どのような原因で病気になったのかを知ることが出来るからです。「気」を通じて、「この人は腎臓が弱っているな」とか「この人は脳に腫瘍ができているな」という情報を収集するのです。患部だけの情報ではありません。身体全体の情報を取り、「いつ、どのような場所で『悪い気』を受けてしまったのか」を探り、「この人の患部を治すためには『気』の流れを止めているあの部分の流れを良くするのが一番だ」というように判断を下すのです。

この情報をとるという場合には、実際に本人と対面して手をかざすのが理想です。でも、必ずしも本人と直接対面しないといけないというわけではありません。本人の情報を伝える物さえあれば、私はその物からその人の「気」を感じることができます。つまり本人の情報を取ることができるのです。

こう申し上げますと、にわかに信じていただけないかもしれませんが、私は直接会わなくても電話で話すだけで「気」を感じることができます。また、電話を通じて「気」を送ることもできるのです。何も電話線で繋がっている場合だけではなく、携帯電話でも可能です。

あるいは戸籍謄本を通じて、その人の情報を得ることもあります。本人が心をこめて書いた手紙であればより容易です。手紙までいかなくても、本人に名前を紙に書いてもらっただけでも、その字を通じてその人のことを知ることもできます。

実は、ある編集者から何も告げられず色紙渡され、「この人はどんな状態ですか?」と聞かれ、その色紙に手をかざすや否や嘔吐してしまったことがあります。「この方は、脳梗塞が二箇所あって、癌もできていますね」と答えたら、「この色紙は、お元気な時に書いていただいたものなのに、どうして今の状態がわかるのでしょう?」と驚きを隠せない様子でした。脳梗塞のことはご存知だったようですが、癌のことまでは知らされていなかったとのこと・・・。

たびたび申し上げますように、これはその人から伝わる情報だからなのです。

私が中国に帰るたびに、向こうに住んでいる姉が、同僚や友人の名前を書いた紙を持って待っているのです。いつも十人くらいでしょうか。私はそれを見て、それぞれの人の様子を語るわけですが、ほとんど当っていると姉に言われます。

やはり私の体調などが影響しますので、「常に必ずできる」と断言するつもりはありません。できることが多い。そのため、例え一度やって分らなくても、日を替えて何度かやれば、たいていその人の情報は分ります。

こうした情報を、「気」とともに私は取り入れているのです。つまり「気」は、一種の情報であると考えてよいと思います。

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人間には、テレパシーや第六感、虫の知らせ、気配り等、離れた対象から言葉意外の何らかの情報を得るということがあります。
オーストラリアの原住民であるアボリジニーは言葉なしでも会話できるといいます。また、人間と同じ哺乳類であるイルカの超音波での交信等も有名です。

そういう事例からも、人間は言葉以外での情報の交信ができる可能性はあると思われます。

「気」は波動という仮説からいうと、生物は生きているとミトコンドリアが作り出す熱エネルギーやシナプス間で情報伝達するための電位差、血管を流れる血液による静電気、さらには、細胞膜を透過するイオン、もっとミクロに見ていくと原子による電子の授受、電子が動くことでの磁界等、あらゆるものが波動をつくりだしているとも言え、人間はどこまでそれを感じ取れるか?という問題とも思えます。

また、人間の生命エネルギーが最大となるには、人との係り⇒充足が重要で、その時の「気」のありようなども気になる部分です。

いずれにせよ、その情報があまりにも少ないので、もう少し調べていきたいと思います。
ご期待ください。

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