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「あなたが苦しいのは社会システムが狂ってるからです」東大教授・安冨歩さんのインタビュー

「自分じゃないものになりすます」ことを子供に押し付けてしまっていませんか?

子どものときから「親」に仕込まれているから、やめたくてもやめられないんです。

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiishiko/20180215-00081428/ [1]

より引用します。

 

今年の1月15日、私が編集長を務める『不登校新聞』では、東大教授・安冨歩さんのインタビューを掲載しました。

編集部の想像以上に反響が大きくとても驚きました。

PVだけで比較してみると『不登校新聞』の記事1本あたりの平均PVは800PV。それに対して、安冨さんのインタビュー記事は1万7000PV(発行日より2週間で測定)。ふつうの記事の20倍以上、読まれたわけです。

ツイッターでも、さまざまな反応がありました。個人的に一番驚いたのは、タレントの小島慶子さんのリツイートです。

インタビューを読まれていない方には「ポケモン」がなにを意味しているのかわからないかと思います。そこで安冨さんのインタビュー記事の一部を紹介いたします。

 

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【インタビュー】東大生より不登校のほうが人生を始めやすい理由

 

――安冨さんは著書で「人は、自分自身でないものフリをしているからつらくなるんだ」と指摘されています。なぜこのような指摘をされたのでしょうか?

 

「自分自身になる」というのは、いわゆる「自分探し」のことではありません。「自分探し」なんてするだけムダです。だって、そもそも人は自分自身以外のものにはなれません。

 

でも多くの人は、想像力によって「自分じゃないもの」になりすましています。それをやめればいいだけなんですが、これがなかなかやめられないはずです。親に、そうなれと教え込まれているんです。

 

私の場合も「親の教え」にみごとにはまって京都大学へ入り、一流企業に就職しました。でも、京大に合格しても一流企業へ就職しても、全然うれしくなかったんです。

 

なぜうれしくなかったのかと言えば、そのときの私が「自分自身」ではなかったからです。「自分じゃないもの」がいくら成功したって、私がうれしいはずもありません。

 

◎つくられた自分だから

 

ゲームの「ポケモン」ってあるでしょ。受験や就職で戦っていたのは、私じゃなくて私の「ポケモン(社会に適応するためにつくられた自分)」だったんです。成功しても、それは私ではなく私の「ポケモン」が成功しているだけなので、うれしくないんです。私だけでなく、ほとんどの人がそうなんです。子どもは親の「ポケモン」だし、戦っているのは、その子自身の「ポケモン」なんです。

 

不登校・ひきこもりを生きる、というのはたいへんな苦悩を伴いますが、じつは私が教えている東大生も、内面の苦悩は、ほとんど同じだと感じています。前者は「自分自身じゃないもの」になろうとしてなれずに苦しみ、後者はなりきって苦しんでいる。でも「自分自身じゃないもののフリ」をすることをやめないかぎり、自分の人生は始まりません。

 

――私自身も「自分自身じゃないもの」になろうとして苦しかった時期があります。なぜ人は「自分自身じゃないもの」をやめられないのでしょうか。

 

先ほども言ったように、子どものときから「親」に仕込まれているから、やめたくてもやめられないんです。

 

親になっている人は、現代社会のシステムに適応しているから「親」になれるんです。システムに適応している人が子どもを産むので、わが子もシステムに適応させようと思う。たいていの場合、それが子どもの苦しむ原因です。

 

もちろん、それは不登校の親にかぎったことではありません。ほとんどの人は狂ったシステムのなかで平然と生きています。現代の社会システムのなかでは、人は自分自身を殺さないといけない。そうしないと生きられない社会になっています。

 

たまに満員電車に乗ると「なんなんだ、これは」と恐ろしい気持ちになります。でもみんな平気で乗っている。平気なほうがおかしいんです。みなさんがふつうの人を見て、「なんであんなことができるの」と思ったら、それは正しい問いなんです。

 

――そんななかで自分を見失わずに生き抜いていくにはどうすればいいのでしょうか?

 

「おかしい」と意識することです。システム全体が狂っていることを認識することが大事です。でも、そんなひどいシステムでも、それしかないから折り合いを多少はつけないと生きるための資源が手に入らない。どうやって最低限の折り合いをつけるかが問題です。

 

折り合いをつけるためには、ふたつのものが必要です。それは「最低限のお金」と「友だち」。まず、生きるうえで必要なお金が少なくてすむところに移動する。家賃が安いところや食料が手に入りやすいところに行って生活する。そのうえで、必要最低限の収入をなんとか手にいれる。そうすればとりあえず生きていくことができます。

 

そしてそれ以上に大事なのが、友だちをつくることです。友だちがいないと生きていくのは難しいです。少数でもいいから友だちをつくること。今はインターネットがあるから、つくろうと思えばどこにいても友だちをつくることができます。

 

「必要最低限の金」と「友だち」。このふたつがあれば、なんとかなる、というよりそれが「人間が生きる」ということなのです。多くの人は、無意識に「自分のなかの最低限」を引き上げていってしまうので、ずっとお金が足りず、そのうえ、友だちがひとりもいません。

 

――なるほど。それでは最後に不登校をしている本人や親へのメッセージをお願いします。

 

「学校なんか行くな、行かせるな」と伝えたいですね。なぜならあそこはものすごく危険で無意味な場所だから。意味のない情報を詰め込まれたうえに、友だちにいじめられて自殺に追いこまれたり、教師がセクハラしたり、えこひいきしたりする。なんでそんな危険なところに行かなきゃいけないんですか。

 

そもそも学校のモデルは軍隊です。明治のはじめに読み書きそろばんと国民意識を植えつけるために学校をつくった。そんなことをいまだに続ける必要ないでしょ、と思うんです。

 

昔は学校へ行かないと何も習えなかった。どこにも知識がなかった。本を読むだけでもお金がかかるので、学校にアクセスしたほうが効率よかったんです。だけど時代が進むにつれて、本を自由に買えるようになった。さらに今ではインターネットがあるから、学びたいことを学びたいだけ、タダで学べる。そんな時代に学校に行く意味なんてそもそもないんですよ。

 

それに、知識というのは人に教えられて身につくものじゃありません。自分から学ばないと身につかないものです。「人に無理やり押しつけたって身につかない」、そんなこと本当は誰もがわかっていることでしょう。だから不登校はまったく問題じゃない。「不登校が問題になる社会」のほうが問題なんです。

 

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳/子ども若者編集部)

 

 

 

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