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論語、寺子屋、徒弟制度。古くても優れている昔の教育。

論語、寺子屋、徒弟制度。

昔の教育は古い、封建時代のものだというイメージが強いかもしてません。
今の近代的な教育の方が進んでいる・・・と。

しかし試験勉強ばかりで、社会に出てからなんの役にも立たないいまの教育制度に比べ、生き方や、基礎学力、学ぶ姿勢を貫いた昔の教育の方がどれだけ役に立ったでしょうか。

今回はそんな古い、しかし優れたむかしの教育について考えてみます。

以下(http://www.fujitsubame.jp/kyouiku104.html)より引用します。
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教育の必要を、論じるだけで怒られそうだが、しかし、避けて通れない問題である。

最近、成人式で、新成人のモラルが悪いとか、身だしなみがなってないと怒る大人が居るけれど、そんなこと言う資格があなたにあるのって言いたくなる。だって、そういう風に教育したのあなたがたでしょ。

かつて、日本は、礼節の国だと言われたことがある。今でも映画などを見ると、この幻想にとらわれている外人が、ずいぶん居るみたいだ。
誇り高い民族だとも。でも、日本人の誇りって、どこに、行ってしまったんでしょうね。

江戸時代では、武士は、論語、つまり、人としていかにあるべきかという事、そして、歴史を学んだ。歴史は、いわば、事例集である。だから、武士は、士として、どのように身を処すのかを学んだのである。

庶民は、読み書き、そろばん、つまり、生活していく上で身につけていると得な事を学んだのである。

後は、徒弟制度のように、仕事場で働きながら身につけていった。
また、人とのつきあい方や男女の仲、土地のしきたりは、若衆宿のようなところで、教え込んだ。いわば、社会全体が教育機関のようなものだった。

我々は、彼等のことを古いと馬鹿にするが、我々より、教育に関しては、明確な目的意識があったように思える。
我々は、自分たちの先祖から学ぶべき事が多くある。

東洋的なものは、全て駄目なのだと、人種差別に、近い偏見を持っている知識人よりもずっと彼等の方が、真実を語っている。

我々の先達が、教えようとした事は、士たる者には、大義を持つ者の生き様。市井に住み者には、生きるための手段、そして、生活の知恵とゆとりである。

ここで言う、ゆとりは、ゆとり教育で言う、ゆとりとは意味が違う。

これらの事は、現代の教育の最も苦手とすることである。
つまり、日本の伝統的文化から見ると現代教育というのは、全く、目的を逸脱していることになる。

教育本来の目的は、人間を幸せにし、夢を実現させることにある。
必要のない物を強制して、子供達の性格をねじ曲げることではない。
つまり、教育の必要性とは、民主主義社会で生きていく上に、必要なことを習得させることなのである。
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