- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

学校の歪んだ構造が、社会や集団の規範を崩壊させている。

仕事をしているとチームワークの重要さを痛感します。

お互いの信頼を土台にしながら、課題に向かっていくこと。これは仕事だけでなく、子供の遊びにも共通していると思うのですが、どうもその辺が怪しくなってきている感じがします。

今回はチームワークについて考えてみます。

以下(http://www.fujitsubame.jp/teacher22.html)より引用します。
—————————————-
不思議な事に、現代の日本の学校ではチームワークを頭から否定している。
チームワークでは、チームで決定した事には、従うというのが原則である。
ところが学校では、それぞれ個人の考えは違うのだから従う必要がない。強制は悪だと教える。それは、学校というのは、集団だという前提を全く無視なければ成り立たない。

そして、個性とか、主体性とは、人と違う事をする事と教え込む。そのうえで自分の意志を持てと刷り込むために、ことあるごとに全体の決定に反する、あるいは、逆らう行動をとる者がでるようになる。しかもこのような行動というのは、無意識な次元にまで浸透しているために、彼等は、全体の意志に逆らったり、抵抗しても自分が逆らっているとか、抵抗しているという事さえ自覚していないのである。
全体の決定に一人でも反する行動をとればその瞬間にチームは崩壊するのである。
故に、チームワークを重視する組織、スポーツ、警察、軍隊、組合は、この様な行為を敵対行動と見なして、厳罰を持って対処する。

自分の考え意志をもって全体の決定に従うという意味であり。何事にも従えとも、何事にも異論を持てという意味ではない。自分の考え主体性を持たなければ、全体の決定に従えないという意味なのである。

組織は部分が全体の動きに対して阻害や齟齬をきたすと認識されるその部分に対して全体の動きに沿うよう圧力をかけるような仕組みになっている。最悪の場合、全体は、全体に反する行動をとる部分を排除しようとする。

チームワークを成り立たせているのは、信頼関係だという事を忘れてはならない。
指示・命令、決め事、約束事、ルールを違える事は、信頼関係そのものを失わせてしまう。それはチームを土台から突き崩してしまう事になる。

チームワークには、基礎がある。その基礎を覚えないとチームワークはできない。
そして、チームワークの基礎は、社会生活の基本である。

故に集団活動をするためには、集団活動の基礎を覚える必要がある。
集団活動の基礎は人間関係に由来する。

引きこもりやニートが増える原因の一つに人間関係、ひいては、集団生活の基礎を身につけていないという事がある。

社会人として必要な最低限の基礎を身につける事が要求される。

私は、最近、過程の重要性を思い知らされた。
最初から結果を求めるのではなく、まず、プロセスを共有する事に努めなければならない。
ついつい、結果ばかりを求めがちですが、大切なのは、道筋、過程なのである。
成功者を見る時、成功したという結果ばかりを見てそれに至る道程を見ようとしない。
成功者の一朝一夕に栄光に至るわけではなく。重要なのは、成功に至るまでの過程であり、成功後の在り方である。結果が出た後にどうするカこそ肝心要なのである。なぜならば、結果は、一過程に過ぎないからである。

プロセスを共有するためには、お互い自分のできる事できない事を明確にしてそれぞれの立場・能力に応じて仕事を予め分担しておく必要がある。

組織には規律が必要なのである。
規律が失われたら集団を統制することはできなくなる。
学校教育で規律を捨てる事は自殺行為である。
元々、規律が緩い社会の真似をするのは、愚行である。それは自由とは違う。

我々の世代以降の者は、指示、命令は悪いこと。礼節は、封建的だと学校で教えられた。
指示、命令がなぜ悪いのかというと強権的、強圧的だというのである。
強制的な事は何がなんでも悪いと決めつけている。
その結果、先生の指示に誰も従わなくなった。
集団の規律が利かなくなれば、先生個人の力に頼らざるを得なくなる。
必然的に先生も暴力的になる。
規律が先生の統制力の源であり、先生を守ってきたのである。

ところが多くの先生が規律に否定的な指導をしてきた。
その多くは、反権力、反権威、反体制の人間である。
かつて反権威、反権力、反体制の人間も権力者、権威者になり体制の側に立っているというのに、いまだに反権威、反権力、反体制を気取っているから始末に悪い。しかも無自覚にである。
強権的な時代は権力に媚び、権力が弱体化すると反権威、反権力、反体制を気取るのは、結局、同じ穴の貉なのである。
大勢に抗して自らの信念を通したならはじめて自立していると言える。
指示・命令、決めごとは、守らなければならない。また、言い換えたりもしてはならない。と忠実に再現する必要がある。場合によっては文書化する事も考える。
なぜなのか、チームワークだからである。
指示・命令、決定事項を違えた場合、その影響は組織全体に及ぶ。だから、勝手な解釈や変更は、許されないのである。

指示・命令というのは、発令者だけが作るのではない。発令者と受令者が共同して作る事なのである。なぜならば、発令者は、受令者の事情、能力、状態、予定をすべて把握していない。故に、発令者は、受令者の予定、状態、都合などを聞き出しながら、目的や考えをその過程で共有し、確実に実行、履行できるようにして発令を実効あるものにしなければならないからである。

指示・命令が確実に実行・履行できなかった場合、チーム全体が崩壊の危機に瀕する。

逆らう事ばかり敗戦後日本人は、学校で刷り込まれた。
だから、日本のすべての組織は破綻の危機に立たされているのである。

チームワークの根本は信頼関係である。その事を忘れたら、チームは一日も成り立たなくなるのである。
———————————-
クラブ活動であれ仕事であれ、チームが目標・課題に向かっていくうえで指揮系統や報告・状況共有という規範が必要なのは言うまでもありません。その規範は決して強制ではなく、チームが勝つために皆が共認し、皆が主体的に行動する軸となるものです。

一方今の学校では自主性を謳いながら、強制的に規律を押し付けるというおかしなことになっています。学校には皆が共有できる目標も課題もないことが根本的な問題で、その中で秩序を保とうとすれば強制するしかないのが実情です。

社会の中で学校が起点となって組織や集団の在り方を歪めているとしたら、学校の改革は社会にとっても喫緊の課題です。

 

 

 

[1] [2] [3]