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「子どもの問題」は大人が勝手に作り出している

小学1年生の子供がじっとしていられない。
学校になじめず、学校に行かなくなる。
友達付き合いがうまくできない。

これは問題だ、何とかしなくては・・・と親や学校の先生は心配するかもしれません。

でもこれらは、大人たちが勝手に問題に作り上げているだけで、子供たち自身の問題では全くないのです。

以下(https://toyokeizai.net/articles/-/313997)より引用します。
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〇子どもの心配を大人が先回りしていないか?
「発達が周りに比べて遅いような気がする」「ほかの子に比べて言うことを聞かない」「落ち着きがない」……。

子育てでは、実にさまざまな問題にぶつかります。子どもに対して「まったく心配がない」という親はほとんどいないのではないでしょうか。ですが、大人が先回りして心配することによって生み出される問題もあると私は思っています。

例えば、学校現場では、小学校に入ったばかりの子どもたちが、座っていられずに立ち歩いてしまったり、授業を受けられなかったりということが問題視されることがあります。これは「小1プロブレム」などと表現されるので、子どもに問題があるかのように見えますが、実は、大人が「問題だ」と定義するから問題になるのです。

私の推測ですが、「小1プロブレム」という言葉は、小学1年生の指導に困っている学校を支援するために、文部科学省によってつくられた言葉のような気がします。予算と人を学校につけるために、「小1プロブレム」という定義が必要だったのではないでしょうか。しかし「小1プロブレム」が問題化されたことにより、その後多くの人が苦しむことになったように思います。

小学1年生の担任はきちんと座ることができない子どもを問題と捉えて、きちんと座れる学級にしなくてはいけないというプレッシャーを抱えます。幼稚園や保育園では、小学校に入学するまでにきちんと座れる子どもたちにしなくてはならないというプレッシャーがかかってくることになります当然、座っていられない子どもたちも、問題のある子と認識されるわけですから、つらいでしょう。

しかし、外国などでは幼い子どもはじっとしていられないものだということを前提に、さまざまな形状や質の椅子を用意しているところもあるほどですし、そもそも授業が子どもにとって面白いものであれば、立ち歩かないかもしれません。

子どもの問題とされていることは、ほとんどがこのような構図で生まれています。

「不登校」という言葉も同様で、学校に行くことが当たり前ではなく、「大人になるための手段の1つにすぎない」という認識になれば(もしくはホームスクーリングでもいいという認識になれば)、不登校という概念そのものがなくなるでしょう。家庭ではとくに、親がよかれと思って掛けた言葉が、子どもの問題をつくっていくということもあります。

〇子どもの意識に問題を刷り込まない

例えば、高校受験を控えた子どもに対して、「受験勉強、大変でしょう?」「疲れたでしょう?」とねぎらいの言葉を掛けることがあるかと思います。

もちろん、本当に子どもが疲れているときに、そのような言葉を掛けたくなる気持ちはわかるのですが、こういった言葉が、「受験勉強は大変だ」と刷り込んだり、そこまで疲れていなくても「確かに疲れたかもしれない」という意識を与えたりと、子どもの意識を変えてしまうこともありうるのです。

ですから、子どもが気にしていないことは、あえて指摘しないほうがいいでしょう。みなさんがもし、お子さんの問題だと認識している点があるとするならば、それが何かによってつくり上げられた問題ではないか、視野を広げてみる必要があるかもしれません。

以前、発達障害の診断がおりた子どもと話したときに、こんなことがありました。

その子の親御さんは「この子は、発達に特性があって、コミュニケーション能力に課題があるんです」と言っていました。しかし、その子は私とはよく話していたので、次のように伝えました。

「君は自分にはコミュニケーション能力がないと思ってるの? そんなことないよ。僕とこんなに話せるじゃない。きっと同級生と話しづらいだけじゃないの?

あのね、あとで振り返ればわかると思うけど、こんなに同世代の人間がずっと一緒にいる学校っていうのは、ある意味特殊な時期なんだよ。もしかして息苦しいのかな? でもあと数年で終わりだよ。大学に行ったら同級生とも急に距離感が出るし、働き始めたら周りに同世代なんてほとんどいないんだから。全然、へっちゃらだよ」

その子はびっくりしていましたが、心なしか顔つきが和らいだように思えました。大抵の場合、コミュニケーション能力がないと言われる子どもは、同世代の子とのコミュニケーションが苦手ということが多いのです。

大人とはやたらとしゃべったり、小さい子の面倒はよく見てくれたりします。この子に伝えたとおり、年齢を重ねていくにつれて、問題となる環境から離れられることがほとんどです。

親御さんは自分の子どもが心配なあまり、子どもが傷つかないようにさまざまな場所でこのような説明をします。「この子は、コミュニケーション能力が低いので」。

しかしそうすると、子どもにどんどんその言葉が刷り込まれていき、自分はコミュニケーション能力が低いんだと認識するようになります。子どもは、大人が気にすることを気にします。ですから、親御さんは過度に気にせず、できれば子どもたちの視野を広げるような言葉を掛けてあげるほうがいいのではないでしょうか。

〇子どもが転んでも慌てて駆け寄らずに笑顔で見守る
こういった「子どもの問題が大人によってつくられる」ことに実感があった私は、子育ての現場で、自分の子どもにそういった影響を与えないように、自身の行動や言葉に注意をしていました。

例えば、「子どもが転んだときに、親が慌てて駆け寄れば子どもは過剰に泣くようになるが、笑顔で見ていれば子どもは平然としているのではないか」という仮説を立て、息子が転んだときに、慌てて駆け寄らずに、ただ笑顔で見守っていることにしました。

すると、息子は何事もなかったように、泣くこともなく平然と立ち上がったのです。

息子の中では「転ぶ」ということが「大したことではない」と認識されたようで、その後も、息子たちが転んでも私も妻も大騒ぎせず、自力で立ち上がったときに笑顔で見ていることを心がけました。これが功を奏したのかわかりませんし、生まれ持った性格もあるのかもしれませんが、実際、彼らはどんなときにもあまり泣くことはありませんでした。

親には「いい親でいなければならない」という強迫観念のようなものがあります。

それゆえに、子どもが転んだときに駆け寄って「大丈夫?」「痛かったね」と声をかけるなど、過剰に反応してしまいがちです。しかし、そのような行動こそが子どもが過剰に泣いたり、落ち込んだりする反応につながっているように思います。親の何気ない言葉は、あなたの意思にかかわらず、子どもに大きな影響を与えます。

例えば、お子さんの友達や、周りにいる子に対して「あの子は駄目だなあ」というようなことを言ったことはないでしょうか?一見、自分の子どもには関係のない言葉のように思えるかもしれませんが、ここから子どもたちは2つのメッセージを受け取ります。

1つは、「あなたは失敗しちゃだめよ」というメッセージ。
そしてもう1つは、「あの子は尊重しなくていい子。排除してもいい」というメッセージです。

前者のメッセージは、子どもに不要なプレッシャーを与えてしまい挑戦できない子にしてしまいますし、後者のメッセージは、いじめの原因になりかねません。

〇子どもの視野を広げることが大人の役目
どんなに気をつけていても、なかなかうまくはいかないものです。しかし親の言葉や思いが、子どもの価値観の形成に大きな影響を与えることは、意識しておくべきでしょう。子どもたちは、さまざまな悩みを抱えて日々を生きています。そのときに固定化された価値観から子どもを解き放ち、視野を広げることが大人の役目です。

私は息子たちに求められれば意見をしたこともありますが、最後には必ず「でも、それが正しいかどうかはわからないよ」と締めくくっていました。

どう生きるかは子どもが決めることです。

自分の意見や通った道は必ずしも正しいものではないと、親自身が認識していくことは、子どもが生きていくうえでとても大切なのです。
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