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遊びと脳回路8 ~テスト勉強は面白くないので頭が良くならない

遊びは熱中しなければいけません。熱中できない勉強で頭が良くなるはずがないのです。

子どもは遊びのなかで、6つのダイアを拾う [1] より

3つ目は、“熱中すると頭がよくなる”(賢さの中枢である前頭連合野が発達する)
遊びの一番の特徴は、おもしろいことに熱中することです。熱中すると脳内ホルモンの一 つドーパミンの分泌が盛んになり、特に前頭連合野のシナプス形成が活性化します。テスト 勉強はあまりおもしろくないので脳内ホルモンは多く出ません。日本では、苦手なことを直 すように指導すること多いですがそれよりも、好きなことを思い切りさせるほうが頭はよく なります。「好きこそものの上手なれ」と昔の人は言い得て妙ですね。
前頭連合野は、各種の知能を総合的にまとめて働かせ、社会という複雑な環境で問題解決 に当たる大中枢で、最上位の知的能力です。チンパンジーでさえ人の前頭連合野の容量の6 分の1しかないのです。
知能は、5~7 ぐらいの独立した機能部位が脳のなかで別個に働いています。
① 言語的知能 ② 論理数学的知能 ③ 空間的知能 ④ 音楽的知能
⑤ 身体運動的知能 ⑥ 絵画的知能 などです
例えば、モーツァルトを聴くと空間的知能が高まることが実験でわかりました。
空間的知能とは、ものがどのような位置にあり、どんな速度で動いているか、またどんな関 係にあるのかを知覚して記憶し、それに基づいてどんな行動をすればいいのかと考えるとき に必要な知能です。サッカーの中田選手はこの能力が天才的だということがわかっています。
モーツァルトのピアノソナタ、作曲番号 400 番以降の曲でとりわけ有効なのは「2 台のクラ ヴィーアのためのソナタ K.448 」です。清水エスパルスの選手が試合前に聴くと効果的かも 知れません。

遊び6 [2]
4つ目は、“神経回路がたくさん残る”
成長の過程では、いったん多めにつくっておき、後に不要なところを捨てることがしばし ばあります。脳神経系も 8 歳から 10 ごろに神経の連絡回路網を思い切り多く作っておき、使 用頻度が少ないものは自然に融解してゆきます。
皆さまも覚えていると思いますが遊びでは、名前がつかない雑多なことや見るからにばか ばかしい事をしますね。それで、「遊ぶひまがあったら勉強しろ!」などと叱られます。
一方、テニスクラブやサッカー少年団やスイミングスクールや習字や英語塾などに入ると 意義があるように見えるためか親御さんは安心します。従っていまの子どもが過ごす時間に は全部名前が付いています。しかし本当は、スポーツクラブや塾では決まった種目をコーチ
や先生に教わるため、子どもだけの遊びの代替にはなりません。

大人も名前がない時間を持たなくなりました。定年退職後も地域のためのボランティア活 動とか、蕎麦打ちとか立派なことを予定している人が多くいます。
でも、何をするでもなくぼんやりしたり、行き先を決めずに旅に出るのも充実した過し方 です。人間は名前のない時間のなかで心の栄養を補給するのです。多忙な日々でも、ぼんや りする時間は大切だということを大人たちも再認識したいものです。
5つ目は、“自然を実感する”
遊びながら自然の木や草や空気の流れや虫や動物やなかまの子どもを実感し、自分だけ のデータベースとして体内に構築し、社会に出て知的再生産をする場合に心の肥料として 役立たせることです。現代人は都市化が進んだ結果、自然の一員であることを忘れてしま いました。
「バカの壁」を書いた養老孟司教授に聞きましたが、現代のあらゆるパワーは「都市」 に集中し、そこは樹木も草も建物や街路やガス・水道・電気の配管などすべてを計算して つくる世界なので、計算や予測が出来ないことが一番困る。自然や生物、特に女性と子ど もは最も予測しにくいものなので都市を支配する者からは邪魔な存在と見なされる。孔子 が、「女子と小人は養いがたし」と発言したのはこの意味なのだ。ということです。
自然を実感し無意識にデータベースとして貯えていると、社会人として知的活動をする ときに肥料となりアイデアの源泉となり、独自の思考や情報を発信することが出来ます。
石に躓いて石の硬さをいやというほど感じる、転んで手をすりむいてヒリヒリした痛み を味わう、焚き火をして火の熱さを実感する、足首が朝露で濡れるのを感じる、安倍川に 入って水の強い流れでよろよろする、川底のぬるぬるした石を素足で探る、転んで水に入 れば濡れた衣服の冷たい重量を感じる、これだけのことさえ経験する子どもは少なくなっ ています。学校に美しい木の床があるのにソックスはいて上履きを履く。どうして素足で 走り回らないのでしょう。

裸足で走り回るべし!

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