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11歳の哲学者・中島芭旺くんのママが語る 「捨てられる母親」が子育てのゴール

「(母)親が心配で本当にしたいことをあきらめる」

なんて、子供の足かせになりたくはないですね。

https://sho.jp/sho1/10672 [1]   より引用します。

 

脳科学者・茂木健一郎さんなどの有名人が注目し、安倍晋三首相が主催する「桜を見る会」にも招かれた小学生の存在はご存知ですか?

素直な気持ちを綴った著書『見てる、知ってる、考えてる』(サンマーク出版)が17万部を超えるヒットになっている、中島芭旺(ばお)くんです。

9歳のときに、「小学校に通わずに、自宅学習をしたり、興味のある人に会って話を聞いたり、ワクワク優先で学ぶ」ことを選択した芭旺くん。現在はママと別れて福岡で暮らしていますが、それも自ら選んだことです。その姿は、賛否両論を呼んでいますが、それだけインパクトの大きい生き方をしているということでしょう。

「小さな哲学者」とも称される芭旺君を育てた、お母さんの弥生さんとはどんな人なのでしょうか。弥生さん流の子育てのヒントを書いてもらいました。

以下は、弥生さんが自ら書いた原稿です。生の声をじっくりとお読みください。

 

■母が子にできることは「勝手に幸せに生きている」だけ

なにか特別な子育てを?とよく尋ねられますが、 そもそも子育てをしているつもりがないんです。 私が勝手に幸せに生きているから、子どもは自分の人生に夢中になって生きている。

もちろん私の期待など気にしていません。ただそれだけなんだと思います。

ネット上で芭旺さんの「つぶやき」 が注目されるようになってきた頃、周囲から「芭旺くんあとは結果だけだね」 と言われ続けたことがあって、

「結果? 今、こんなに笑って楽しく生きているのに、 何を言っているのかな」と思って、笑ってしまいました。

 

子どもたちは、お母さんの笑顔が見たいから頑張ります。

でも本当はそうじゃない、 子ども達は自分の笑顔のために生きるのです。

母が子どもにしてやれることは「勝手に幸せに生きる」。

究極それだけなのだと思います。

それは子どもに対して幸せな姿を見せるということではなく、 ただただ幸せに生きる。ただ幸せに。

まず「自分」。

そして、満たされ溢れ出た愛を子どもたちに贈ればいいのです。私は子どもに「好きに生きてください」と伝え、 私自身の人生を一生懸命に生きています。

だから、芭旺さんは、 私の期待に応えようなんてつゆほども思わずに、 自分の人生に集中できているんですね。

 

■泣いてすがる母にイヤだと言えることのすごさ

先日、こんなことがありました。

私にとても悲しい出来事があって、 動揺し泣きながら福岡にいる芭旺さんに電話をかけました。

「不安で勇気が必要なので、 東京に来て一緒にいていただけませんか?」

「ただ近くに居てくれるだけでいいのです」

私がそう言うと、芭旺さんは少しだけ間を置いて、

「ああ、それはちょっと難しいです」

そう言い放ちました。

私は、「そうですよね、分かりました」

「はっきり断ってくれてありがとうございました」 と伝え電話を切りました。

そうして電話を切った直後にものすごい感動が押し寄せてきたんです。

「これはすごい!」

すぐに電話をかけ直し、

「あなたは母親の泣いてすがるお願いにイヤだと言える」

「それはとてもすごいこと」

「そしてそれが出来ればこれからも『自分』で生きていける」

「私の子育ては終わりました。それを聞けて嬉しかった」

「ありがとうございます」

そう伝え、

「これからも自分の興味に夢中で生きる人であれ」

そう強く思いました。

芭旺さんのひとことは、私の子育てのひとつのゴールのような気がしています。

今迄で一番嬉しい贈り物でした。

子どもを育む世界は子どもたちが自分で創り上げていくものなのだ と強く感じ、

それと同時に、いつも近くで芭旺さんを大切にしてれている方々のおかげだと強く 感謝しました。

 

※編集部・注:このあたりについて、芭旺くんから「反論」が届きました。この記事の最後をご覧ください。

 

■「捨てられる母親になること」の大切さ

子どもが自ら選んだ適切な養育者を持ち、

さっさと親を捨てて自分の好きに夢中になればいい

私はそう強く思っています。

「安心して捨てられる母親になること」

それが、私の目標でした。

そして、その上で互いの接点を共有していく生き方。

それが私の母としての在り方だなぁと考えます。

お母さんはお母さん、

僕は僕。

そんな風のような関係。

子どもに捨てられるように接するということではなく、子ども達が、母のことを微塵も心配などしないでいられるような『 幸せな母』になるという覚悟、

その覚悟には『子どもに捨てられてもいい』 という自分への許可が必要なのだということなのだと思っています 。

過去から学ぶ事はたくさんありますが、 今より先を生きた子どもも母親も1人もいないのです。

これからの母親は冒険心に溢れ、

新しいものを進んで採用するイノベーターであれ。

子どもと一緒に常識を破壊し、

自分の頭の中のまっさらなキャンパスに

進んだ大人の頭やテクノロジーを結びつけ、

描きたい絵を描けばいい。

世界でお絵描きを楽しみ続ける柔らかい子どもの頭にならえ。

まず一番小さな社会の家庭にイノベーションを。

母はその真っさらなキャンパスが塗り尽くされるさまを面白がっていればいい。

正解はいらない。

なぜなら、それはただの楽しいお絵描きなのだから。

 

以上が、芭旺くんのお母さん・弥生さん流の「子育てのヒント」になります。いかがでしたか?

「捨てられる母親になる」というのは、驚いてしまう言葉かもしれませんが、たしかに、子育ての最終的なゴールが”自立”であることを考えると、納得の一言とも思えますね。

さて、お母さんのコラムを読んだ芭旺くんから「反論」が届きました。合わせて読んでみると、お二人の関係性がより良く分かるかもしれませんよ。

 

▼下記は、中島芭旺くんから届いた「反論」です。

 

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この文章の中の「それはちょっと難しいです」のくだり

僕悪者っぽくなってるんですけど。

僕はその時ママが泣いてなかったらどうするかを考えました。

それで、泣いていなくても僕は「行かないな」と思ったので、「難しいです」と答えました。

まあ、そのとき生まれそうになったのは罪悪感ですよね。

その罪悪感は消していいと思いました。

 

by 芭旺

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