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休校明け 不安だったら、ずる休みしてもいい 不登校の「先輩」の打ち明け話

小学生に向かって

「偏差値50以下の学校に行ったらこの先の人生はないと思ってください」

なんていう塾講師! 子供たちの観念を狂わせる罪は大きいです。

そんな観念を植え付けられた子供たちの唯一の脱出口が「不登校」ともいえるのではないでしょうか。

 

https://mainichi.jp/articles/20200531/k00/00m/040/104000c [1]  より引用します。

 

「学校に行きたくない」と思っている君へ――。新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除され、6月1日以降、多くの学校が本格的に再開されます。でも、学校に行くのがしんどいなあと感じている人も少なくないと思います。どうしたらいいんだろう。自らも中学生の時に不登校に悩んだ経験を持つ、「不登校新聞」編集長、石井志昂(しこう)さん(38)に聞きました。

 

――長い休校が明けて、学校へ行くのがつらいと感じている子がいるはずです。

 

◆私自身の中学時代の不登校の経験から伝えたいのは、「きょう一日だけずる休みしよう」って思って休む日があっていいんじゃないかな。私は当時、はいつくばって学校に行っていたけど、そこまでする必要はなかったと今は思います。

 

何か不安があれば、ずる休みして学校と距離を取ってほしい。学校に行けない期間が長引けば長引くほど、「どうなってしまうんだろう」と思うかもしれません。でも、今回の新型コロナは何といっても非常事態です。それに、学校に行かないでも育ってきた大人はたくさんいます。だから、どうか安心してください。

 

このウイルスは、世界中のあらゆる人が、どの地域にいても感染しています。もし友だちが感染したら、その人を責めるのではなく、ウイルスが悪いと思ってほしい。そうしないと感染した子に対してひどい排除が出てきてしまうと思います。

 

――改めて石井さんの不登校の経験談を聞かせてください。

 

◆1995年、中学2年の冬から学校に行けなくなりました。いじめもあったし、教師との関係も非常に悪かった。理不尽で高圧的な校則も自分の中で許せなくて、いろいろ積み重なっていったんです。だから当時、自分では何が原因か人に説明できませんでした。

 

――周囲から「なぜ行けないのか」「いつ行けるようになるのか」と聞かれたのでは。

 

◆親もそっとしておかねばという思いと同時に焦りもあったようで「いつまで学校に行かないつもりなんだ」と聞いてきたことは何度かありました。後で「問い詰めるつもりはなかった」と言っていましたが、私はすごく問い詰められている気がして苦しかったですね。

 

――中学受験の経験も大きかったとか。

 

◆受験勉強を小学5年生の頃から始め、すごく厳しいスパルタの塾に通いました。その間、とてもストレスがたまっていた。そして、万引き癖が止まらなくなってしまったんです。親に内緒で、塾の行き帰りに万引きをし続けてしまっていました。みんなで一斉に受ける塾の授業の時、講師から「偏差値50以下の学校に行ったらこの先の人生はないと思ってください」と言われたんです。私はちょうど偏差値50とか51くらいでした。

 

今考えると、小学6年生の子どもに大人が受験一つで人生がどうとか言ってしまうこと自体が許せないのですが、当時の私からすると「これで人生が決まるんだ」という、ものすごいプレッシャーです。頑張っても頑張っても、成績は伸びませんでした。

 

それで万引き癖が始まってしまったんです。でも「受験勉強をやめたい」とは当然言えなかった。そんな精神状態で、第6、第7志望まで受験したけど、全て落ちてしまいました。それで公立中学に進むのですが、自分の中では「負け組」になったというか、「人生、もう終わりに向かって進むんだ」という劣等感を抱きました。それは、不登校に至るまでの大きなきっかけになったんです。

 

――今、こうしていられるようになったのはなぜでしょうか。

 

◆一番は、不登校になったことです。もしあのまま苦しんで、自分のつらさをためにためていたらどうなっていたか……。(長い休みが終わって学校が始まる)9月1日などの子どもの自殺の報道を見るたび、「ひとごとではなかった」と思います。

 

当時は踏切の音が聞こえると呼ばれている気がしたり、マンションの上階に行くと「飛び降りたらどうなるんだろう」と考えたりしてしまって。学校に行かなくなり、自分の身が安心安全な家に入り、親も苦しみながらも私のことを理解しようとしてくれた。たまたまフリースクールなどの第三者に出合い、支えられました。親の理解や学校以外の居場所の重要性などが言われますが、その前に学校より、勉強より、自分のいのちをとったのが、今につながっています。逆転して捉えられがちなんですが。

 

――逆転、とは。

 

◆不登校になるまでが一番危ない。問題がずっと積み重なっていっているから。でも、不登校になってから実は状況は少しずつ良くなっていっているんです。不登校は底を突いたような状態。でも、不登校になってから、不登校になったこと自体が問題と考えられがちなんです。不登校をスタートと捉えられるようになるといいですね。

 

――不登校だった頃、周囲の大人にしてもらってうれしかった対応や、してほしかった対応はありますか。

 

◆一番安心できたのは、声かけよりも親と雑談する時間や、親の笑顔を見られた時間でした。学校に行かなくなってから家にいる時間が多くなることで、親子で息が苦しくなります。私も学校に行っていない罪悪感を抱えていたし、親も「ちゃんとした親でい続けなきゃいけない」という気持ちでいた。

 

そういう状況を乗り越えて、自分たちのペースを大切にしようと気付けた時、初めて家の中でテレビを見ながら世間話をすることができました。テレビを見て笑い、食後にお茶を飲みながらしゃべっていた時間に、自分自身が家族の一員として肯定された気持ちになれたんだと思います。大抵は逆のことをしてしまいますよね。しかめ面で「なんで勉強しないの」「将来のことどう考えているの」ってつい言ってしまう。親だって心配ですから。でも、そうした時間って、何気ないようですごく大事なんですよ。【聞き手・千脇康平】

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