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学校活動、コロナ休校で見えてきた「本当に必要なもの」

Posted By hoiku On 2020年4月10日 @ 2:26 PM In 家庭・教育ニュース,教育の新潮流 | No Comments

ロナウィルス感染症で長期にわたる休校が続いています。
子供の学習の遅れ、家にこもるストレス・・・いろいろな声が聞かれますが、どれもが受け身な感じがします。

こういう時にこそ、自ら考え判断し、行動できるように子供たちと一緒に考えるべきだし、学校がなくなると何もできなくなるということ自体がおかしいのではないかと思います。

今回は、休校になったからこそ見えてきたことを考えてみましょう。

以下(https://digital.asahi.com/articles/ASN3S7K1LN3RUTIL057.html?pn=5)より引用します。
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学校活動、コロナ休校で見えてきた「本当に必要なもの」

今回見えてきたのは、学校の様々な教育活動のうち子どもにとって本当に大切なもの、必要なものは何かということです。

卒業式の規模が縮小されました。練習しなくてもぶっつけ本番でできるし、来賓がいなくても問題ないじゃないか、という声が聞こえます。職員の会議も資料では伝えられない最小限のものでいい、という声も……。

春から学校が再開されると、さらにあらゆる場面で判断を迫られるでしょう。

春の運動会はどうする? 応援合戦で声をあげるのはいい? リレーでバトンを渡すのは? 騎馬戦はダメ? 移動教室は? PTA総会や学年の保護者会はリスクを負ってまで必要なのか。でも学級単位は必要では、とか。理科室や音楽室など入れ代わり立ち代わり使う教室の机は、毎時間消毒するべきか? 英語のスピーキングは? 国語の音読は? 部活は?

インフルエンザの学級閉鎖なら数日で済みますが、今回はもっと長期間休校になるかもしれない。学年間の接触があれば、学校閉鎖の可能性もある。学年閉鎖で食い止めたいと思えば、部活や全体行事の実施を躊躇(ちゅうちょ)してしまうかもしれない。

ここはもう考え方を変え、学校の教育活動の意味を見直す良いきっかけと思った方がいい。

休校で、デジタルを活用した学習も広がりました。今までは一部の熱心な教師がするものでしかなかったICT(情報通信技術)教育も認められた。我が校では、生徒に毎朝ホームページを見るよう指示し、そこに教科の課題を出し、一部は課題への回答も集めています。理科実験の動画の配信も検討しています。

ただ、今回は学年末なのでそれほど積み残した学習内容も多くないですが、1、2学期に再び休校になれば、学習の担保は非常に難しくなる。体育などの実技教科もあり、デジタルですべてが補えるわけではない。オンライン授業が行える環境の学校はわずかしかないでしょう。

例えば、今回の未履修内容を夏休みに教え、再び休校になったら冬休みに代替授業をする。限られた時間の中で、行事を削減して授業に当てる。そんな必要も出てくるかもしれない。

学校の一つ一つの教育活動の意味を、教師も保護者も、一度立ち止まって考えてみるといいのではないでしょうか。
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以下(https://digital.asahi.com/articles/ASN3L3J20N3JUTIL049.html?pn=6)より引用します。
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子どもが輝かないコロナ休校

大人に質問です。休校になって子どもたちがキラキラと輝く姿を見ましたか?

これだけ長い休みになれば、「やったー」と喜んで、目をキラキラ輝かせるのが本来の子どもです。

でも、休校になるとわかった時、多くの学校では配布する宿題のプリントなどの準備を始めたと言います。空白の時間を過ごさせることに焦った親たちの中には、SNSやネットにあふれる情報からオンライン学習をさせたり、開いている個別指導塾を探したり、学校に追加の宿題を求める人もいたと聞きます。何より子ども自身も「やることがない。退屈」と言う。
勉強とは、「おとなしく授業を聞く」もの?

子どもにとっても、親にとっても、「何も強いられない時間」=「不安な時間」になってしまっているのではないかと、今回の休校で痛感しました。

私の教える栄光学園は自由な学校ですが、この数年、入学してくる中1の生徒の細かいことに「許可」を求める姿が気になっています。数学の問題を2問出すと、「こっちから始めてもいいんですか」という具合です。指示されること、与えられることに慣れきってしまって、自分で判断し、自発的に行動することを忘れてしまっている感じがする。

学びとは本来、自らの疑問などをわくわくしながら、考えたり調べたりするものです。学校がなくても、家庭でも、遊びの中でもそれはできる。しかし現実には、勉強は、おとなしく授業を聞き、与えられた知識を効率的に覚え、テストや入試に向けて「最短」の傾向と対策をすることになってしまっている。自ら学ぶ経験がないから、子どもはゲームや動画で時間を潰し、親は問題集やオンライン学習に頼ろうとする。

これは、学校でも家でも、目を輝かせてやりたいことを自由に学ぶ経験、遊ぶ経験を十分にさせてこなかった、教師や大人たちの責任でもあります。教育の空白を補うためにオンライン学習する。それはそれでいい。

ただ、タブレット端末などがない家庭だってある。子どもが与えられた自由な時間を喜んで、キラキラ輝ける時間にしようとするためには、日頃からどんな教育をすればいいのか。今一度、私たち大人も考える必要があるのではないでしょうか。
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図らずも休校になることによって、これまで当たり前だった学校教育で「なにが本当に必要なのか」「日ごろからどんな教育が必要なのか」をだれもが考えなければならなくなったといえます。

私たち保護者も、すべてを学校に任せきりで、子供の教育について考えてこなかったことに気づかされました。
いまこそ本当の教育について、学校も親も真剣に考えていかなければならないのだと思います。


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