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お手伝いできる子は出来る子?11 ~実際に仕事をするしか能力は伸ばせない

お手伝いを見ていく中で、お手伝いこそが子供たちを成長させるキーになると確信しました。勉強よりも、です。且つ、「お手伝い」よりも、なるべく「仕事」の方が効果が高く、子供たちも楽しむことということが。

塾で実践している事例です。

るいねっと 突破口は仕事を大々的にカリキュラムに組み込むこと [1]

・我々は、類塾で勉強を教える中で、勉強圧力がどれだけ子供たちの活力と才能を封鎖しているかを痛感してきた。そこで、勉強によって封鎖された活力を再生し、社会で求められている本物の能力を育成するために、新しく仕事塾を作った。
・これは、あくまでも教育の一環としてのカリキュラムである。現に学校でも「職業体験」を導入しているが、単に見学するだけでは能力は形成されない。実際に仕事を手伝ってこそ、能力が身に付く。

・また、仕事塾の生徒が手伝っているのは、類塾が子供を育成するために無償で提供している幼小科と探求科のお手伝いであり、そのお手伝いはまぎれもなく教育の一環である。それに子守りも、昔から遊びの延長で年長の子供たちがやってきたことで、こ れも子供の成長上で必要な教育の一環である。
・更に、これらのお手伝いは、全て先生が指導する中での教育の一環としての見習いであって、決して子供が一人立ちして仕事を担っている訳ではない。
・そして、何よりも言いたいのは、子供たちが仕事を手伝うことによって、たった1日~3日で見違えるように元気になり、生き返ってゆくこと。それだけではなく、子供たちの仕事意欲は勉強意欲の10倍以上あるので、仕事能力の吸収度合も勉強とは比較にならないぐらい高いということ。
・現に、これほどの素晴らしい成果を上げているので、文科省も仕事を大々的にカリキュラムに導入したらどうか?文科省が動かないのなら、府県単位で仕事を導入した新しい県立学校を作ったらどうか?

・本来、子供に必要なのは遊びと仕事。その間に挟まった勉強で必要なのは漢字と計算だけ。その修得には2時間×3年間もあれば十分です。
ですから、授業時間の半分を仕事見習いに当て、残りの時間の過半を現実の自然現象や社会現象のグループ追求とするのが、あるべき形です。

なんだか、学校の勉強の方が違和感が出てきます。昔のように村や街でお手伝いして地域の皆に育てられた方が、社会に出て役に立つ人間になっているんじゃないでしょうか。

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