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「学校へ行けない僕は失敗作」 追いつめられた僕に訪れた転機

Posted By hoiku On 2019年11月15日 @ 4:07 PM In 家庭・教育ニュース,教育の新潮流,教育改革の本質とは? | No Comments

不登校の数が年々増えています。文科省の今年10月の発表では、過去最多の16万人を超えたとのこと。もはや不登校は特殊な事例ではなく、学校が抱えている根本的な問題として考える時がきているのだと思います。

しかしその学校の中にいる当事者にとっては、なぜ学校に行きたくないのか?が明確に説明できず、学校に行けない自分を責めて(親からも責められて)苦しんでいる例が思いのほか多いようです。

今回はそんな不登校の体験談から考えてみます。

以下(https://futoko.publishers.fm/article/21318/)より引用します。
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子ども時代の僕は友だちと木登りや川遊びをしたり、ザリガニを捕まえたり、外遊び系のやんちゃでした。運動も得意なほうだったと思います。

学校へ行くのが苦しくなり始めたのは、小学校6年生ごろです。自分でも理由はよくわからないけど、なぜだか朝起きられない。目が覚めるとすでに朝の8時ということもあって、最初のうちはそれでも「学校へ行かなくちゃ」と思っていました。でも、しだいに「お昼から行けばいいか」「今日はもういいか」と僕のなかで思うようになりました。

もちろん母親からはすごく怒られましたが、そのうち母から朝起こされても反応できなくなっていき、午後になってやっと、頭がはっきりしてくる日も。そのころは登校できても勉強はほとんど身に入らず、学校へ行くだけで精いっぱいという日々でした。

「中学校からは気持ちを切り替えていこう」。親にそう言われ、僕自身も中学からは毎日学校に行くつもりでいました。

ところが、中学1年生の5月か6月ごろから、朝になると「ベッドから動きたくない」「外へ出たくない」という気持ちが強くなり、体が動かなくなってしまう……。そこからは完全に不登校になりました。部活はテニス部に所属し、最初のうちはきちんと行っていました。先輩たちともいろいろな話をして楽しかったけど、学校がおろそかになっているのに部活だけ行くのはどうしても気が引けます。結果、部活も5月から6月ごろに行かなくなりました。

先生も同級生も恐怖でしかない

当時の僕はとにかく「学校」というワードが嫌でした。集団行動にも違和感を感じました。行事があるごとに体育館に集められ、何回も何回も練習をさせられる。僕には何のためにやっているのかさっぱりわからなかったし、先生に対しては「なんでこんなことをやらせるんだろう?」と不信感しかありません。そのころから僕は先生とコミュニケーションをとっていません。不登校になってからは「学校」というワードを出されたくないがために、親とも学校に関する話をしませんでした。

最悪なことに、僕がベッドから動けなくなっているとき、学校の先生が予告なしに僕の部屋に入ってきたことがあります。それだけでも地獄絵図なのに、けっこうがっつりと「学校に来いよ!」と言われ、ものすごく嫌だった。学校に来ない僕を心配して、クラスメイト全員から「学校においでよ」といった内容の手紙が家に届けられたこともあります。でも、当時の僕はそれを受けいれることができませんでした。

不登校になり、家のなかでひきこもるようになってからは、学校の先生にも同級生にも会うのも嫌で、むしろ恐怖感を感じていました。車に乗って中学校の近くを通るときも、姿を見られたくなくて身を隠したくらいです。

僕の場合、「いじめにあった」「先生に厳しくされた」など、学校へ行かない理由が明確ではありません。親には「どうして学校に行かないの?」と聞かれましたが答えられず、先生から理解してもらえませんでした。学校の友だちに話しても理解してはくれませんでした。

やはり、当事者でなければ難しいのかもしれません。なかには誹謗中傷的なことを言う人もいました。だけど、僕みたいな理由のない不登校があるのも嘘ではありません。誰からも理解を得られなかったこのころが、僕にとっては一番つらい時期でした。自分の気持ちを100%理解してくれる人が誰ひとりとしていない、絶望的な孤独感がありました。

僕は4人きょうだいの末っ子で兄姉たちは全員、高校や大学へ進学しています。「僕は失敗作なんだ」、本気でそう思っていました。不登校の人はよく思うそうですが、僕も「学校が爆破されて消えてしまえばいいのに」と思ったこともありました。

「一本道しかない」そう思っていた

不登校になって4カ月後。親から「学校に診断書を提出しないといけないから」と言われ、病院でカウンセリングを受けました。学校から「病気なのか、サボりなのかをはっきりさせてくれ」というようなことを言われていたようです。

診察の結果は、起立性調節障害でした。「なんだ、その病気?」と最初は思いましたが、夜眠れないことを話すと、睡眠剤のような作用がある薬が処方されました。それを飲むようになってからは、夜眠れるようになりました。でも、だからといって学校へ行きたいとは思わなかったんですが(笑)。

その後、一度だけ親にすすめられたフリースクールを見学しましたが、親も僕も相性が合わず、その話はフェイドアウト。塾も行かず、中1の2学期からはずっと家ですごしています。

いまだに不登校になった決定的な理由はわからないままですが、「学校へ行かなきゃ」というプレッシャーはつねに感じていたように思います。夜、眠れなかった理由は、今思うとたぶん不安感があったから。学校へ行っていなくても、学校がある日は毎日「明日は学校か」、そう思っていました。

「学校へ行かなきゃ」と思う気持ちが毎日、自分のなかに降り積もり、「学校へ行けない自分」を背負い続けていたように思います。僕は当時、自分が進む道は「学校へ行く」、そのひとつしかないと思っていました。たったひとつしかない一本道が行きどまりになってしまった。僕にはそれがものすごくつらいことでした。

進路選択が迫られたなかで

中学卒業後の進路の話が出たのは、中3に入ってすぐのことです。学校には通信制か定時制をすすめられ、親からは「こういう高校もあるよ」と、パンフレットを渡されました。焦りを感じて自分でもいろいろ探し始めたものの、「毎日、学校へ通うのは無理だよな」と思い、地元に近くて、週に何回か通えばいい通信制の学校を中心に探しました。

N高を見つけたのは、ネットサーフィンしていたときです。学校へ通わなくていいこと、勉強やレポートの提出はネット上でできること、しかも、プログラミングの授業に強いらしい。僕はパソコンをいじるのが好きで、不登校で家にいるときもYou Tubeなどを参考に、パソコンを自作したりしていました。ハードには自信があったので、N高に入ればソフトウエアにも強くなれるかもしれない。

N高のサイトにはパソコン関連以外にも専門知識やスキルを身につけたり、資格を取ることもできると書いてあります。「道は一本だけじゃない。いろいろな道が広がっているんだ!」。そう思うとワクワクした気持ちになり、それがN高へ進学する決め手になりました。

実際にN高に入ってみると、いい意味でぶっ飛んだ子がたくさんいます(笑)。通信制のコースでも、ワークショップやイベントなどで顔を合わせる機会があり、そこで意気投合して友だちになるケースもけっこうあります。高校卒業資格を得るためのネット学習やレポート提出も、思っていたより順調に進んでいます。中学のときはほとんど勉強していなかった僕もがんばれば、1年間でゴールできる気がしています。
今の目標は

そのため、N高に入ってからは時間に余裕もできて、目標も見つかりました。僕が不登校時代に一番ほしかったのは、同じ境遇の友だちでした。乗り越えないといけない壁はいろいろありますが、今、考えているのは不登校のオンラインコミュニティをつくること。そして、それを不登校で苦しんでいる一人ひとりが自信を取り戻せる場所にしたい。それが今の目標です。

あのころの僕に言葉をかけるとしたら、一番に「学校へ行かない選択肢があってもいいんだよ」、そう言いたいですね。学校に行くことだけが人生じゃない。
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役に立たない、点を取るためだけの勉強を強制され、集団授業で日常のほとんどを拘束され、宿題やら塾で試験脳に染められていくのが今の学校です。おかしい、意味があるのか?と考えたとしてもそれは当たり前です。

しかし学校に通い、その強制空間が半ばあたり前だと思ってきた子供たちは、潜在的に違和感を感じてもそれが何なのかが説明できず「学校に行けない自分が悪い」という自責の念にとらわれてしまいます。

にもかかわらず学校はもちろん、親も子供自身も、その理由がわからないままで学校が唯一の道だと思い込んでいるとしたら、何と不毛なことでしょう。いまこそ学校の在り方そのものがおかしいのだ、という事実を皆で気づかねばならないと思います。


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