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キャンプには仕事がいっぱい。「不便さ」が子どもにもたらす「絶対的効果」

夏休みになると、キャンプに行ったり自然体験に参加したりすることが多いと思います。
自然と触れ合い、五感をフルに使って、好奇心を育む・・・

キャンプに効用はいろいろ言われていますが、子供たちに大な変化をもたらすのは「不便さ」とそこから生まれる「内発的動機付け」なのだそうです。

なにやら難しそうですが、まずはキャンプの実際を見てみましょう。

以下(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190805-00066289-gendaibiz-life&p=1)より引用します。
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とにかく自由に

十数年前。わが家も夏休みはキャンプだった。ボックスカーを改造した8ナンバーのキャンピングカーを購入。まずはフェリーで北海道へ行った。行きは新潟から小樽まで、帰りは苫小牧から仙台。

海上は電波が届かないため、携帯電話も鳴らない。ビールを飲んだら寝る。大浴場で海を眺めながら湯につかる。またビールを飲むを繰り返す。子どもたちは預けられた愛犬に会いに行ったり、船内のミニシアターで映画を観たり、本を読んだり、ゲームをしたり。何も急がない。何をしてもいい。旅は非日常である。とにかく、のんびり、自由に過ごせた。

子どもにも、この「のんびり」は必要だ。これも10年ほど前だが、野外キャンプを推進するある団体が行った小学生対象の調査について取材したことがある。

「キャンプで一番楽しみにしていることは?」の質問で、1位は温泉。自由記述の「一番やりたいことは?」に対する回答で最も多かったのは「ぼーっとしたい」だった。小学生が、まるで仕事に疲れた中年サラリーマンのようになっていた。

現在大学4年の長男と、2年生の長女は、小学生の頃そこまで疲れ果ててはいなかったが、キャンプに慣れさせるというか、気持ちを「ノセるまで」は苦労した。

日常よりも仕事が多い

キャンプといえば、楽しくバーベキュー、焚火の前でビール飲んでおしゃべりと、なんだかビールばっか飲んでますが、そりゃ天国だぜ、イエイ! というイメージであろう。

が、労せずその時間が待っているわけではない。キャンプ場に到着したら、私たちは息つく間もなく動き始める。

まずはテント設営を家族全員で行う。子どもたちは主にペグを打つ。それが終わると、子どもら二人で、水汲み、小枝集め、主に犬の排便、排尿を目的とした散歩。終わると、母の料理アシスタントとして包丁を持つ料理班と、寝袋を並べるなどするベッドメーキング班に分かれる。

日常よりも、遂行すべき仕事、果たすべき役目がたくさんある。これらを覚えさせ習慣にするまで、ある程度時間がかかる。

「もう、ほらっ! 動きなさいよ。さっさとやりなさい!」

フェリーでののんびり感は一掃され、東京にいた日常のように母が怒鳴り続けている。ふと見れば、隣のサイトのお母さんも「もう、ママとパパばっか働いてるじゃん。もうっ! 遊んでばかりいるなら(キャンプに)連れてこないよ!」と叫んでいたりする。

思い切り遊ばせるためにキャンプに来たのに、これでは本末転倒じゃないか。

叱られた長男は「もう、キャンプなんか来なければよかった」とすね始める。長女はその場の空気をサッと読む第2子らしく「ハルちゃん(犬)の散歩、言ってくるね!」とその場からいなくなる。

だが、うまくペグが打てたら「すごい! 大人がやったみたいだね」と褒められ、大量の水を運べば感謝され、山盛りの小枝に歓声が上がれば、子どもたちはまんざらでもなさそうだ。

テントが設営された瞬間。ターフが張れた瞬間。焚火に火が回り始めたとき。自分が切った野菜の入ったカレーが出来上がったとき。子どもも、大人も、家族丸ごと大きな達成感に包まれる。
夏休みに!キャンプの「不便さ」が子どもにもたらす「絶対的効果

アクシデントごと「キャンプ」

一方、アクシデントもある。
大雨に襲われた日。雨上がりの後、近くの温泉に行こうと車を出したが、タイヤがぬかるみにはまって動かなくなった。夫がアクセルを踏むのと同時に、家族3人で車を押した。なかなか出ない。見かねた隣のサイトのご夫婦も手伝ってくれた。

「せーのっ!」

その瞬間、車が動いた。
「やった!!」

歓声のあと、私は「ぎゃっ!」と悲鳴を上げた。全身真っ黒に染まった娘が手をぶらぶらさせている。タイヤがぬかるみを飛び出した拍子に飛び散った泥水を頭からかぶっていた。

大泣きするのではと思ったが、真っ黒の顔から白い歯がにょきっと現れた。
「ママぁ~、まっくろくろすけになっちゃったよ~」とケラケラ笑っている。
まくろくろすけは、ジブリ不朽の名作「となりのトトロ」に出てくる妖精(? )たちだ。

車から飛び出してきた夫が噴き出し、息子も爆笑している。手伝ってくださったご主人が「ここで笑えちゃえるのっていいですねえ。ぷっ」と笑いをかみ殺していた。

ある年は、高知県の四万十川でキャンプをした。車中泊をしたら、すごく暑くてなかなか眠れない。またもや「来なければよかった」と息子が言い始め、私が叱るという最悪のパターンだった。

だが、風がこの向きに吹いているから車を動かしてみよう、と息子が言い出した。ほほう。なるほど。ありがとうね。あなたのおかげで涼やかに眠れるねと感謝し、仲直りした。

「自分からやる」が生み出される

悲喜こもごも。
たかが年に1、2回のキャンプかもしれないが、子どもはこのような野外活動で多くのものを獲得すると思う。最初は教えられたり、やるやらないでもめたりするけれど、最終的には自分から仕事を見つけて取り組む。すべてが「内発的な動機づけ」である。

内発的動機づけは、好奇心や関心によってもたらされる動機づけ(モチベーション)であり、賞罰など外からの強制力に依存しない行動だ。例えば焚火。「もう寝る?」と言っても「まだ燃やしたい」と言って、木を運んでくる。じぶんでくべて「さっきより燃えてる。こっちのほうが乾燥してるからね」などと解説する。

何かを買ってあげるからというような「外発的動機づけ」で木を運んではいない。
森の中の遊びなど、さまざまなところに自由が落ちている。
子どもには、自由を獲得してこそ、成長があるのだ。
夏休みに!キャンプの「不便さ」が子どもにもたらす「絶対的効果」

自分たちで工夫しないと快適に暮らせない環境だからこそ、自分がちで考えようとできるのだ

子どもたちが「不便な場所」で得るもの

そして、その自由は、不便だからこその自由でもあると子どもはどこかで気づく。
自然の中は家の中と違って何でもそろっていない。クーラーがなければストーブもない。不便さと何が起こるかわからない自然まで相手にしなくてはいけない。

天候が変わりやすいので、遊びに夢中になって雨に降られてびしょぬれでテントに帰りついたとしたら、次は「風が出てきたから雨が降るね」などと風や空の様子を感じながら遊ぶようになる。
急な夕立がくれば、テーブルやいすをたたんでビニールシートをかけるとか、何をどこに移動させるといった作業を、家族や仲間と協力して迅速に行なう。

火を灯すというほんの些細なことでも、いくつもの挑戦を味わう。木の枝が湿っていて火がつかない、風が吹いてマッチが消える。手間と時間がかかる。昼食を作るために枯れ枝を集めに行けば、夕食を作る分もついでに拾って行こうなどと経験を積むうちに考えるようになる。すべての体験が、自分で考え判断する力や段取り力につながる。

キャンプサイトを歩くと、「こんばんは」とか「おはようございます」などとあいさつを交わす。これもすごくいいことだと思う。
ごみ捨てや、焚火をした後の炭置き場、どこで何をしてはいけないなど、守らなくてはいけないルールもある。コンプライアンスも学ぶ。

ただし、最初からテントやコテージがあり、ライトや寝袋など道具もすべて整備された、今流行の「グランピング」は別物だと考えてほしい。初心者の入口にはいいかもしれないが、不便さがあってこそ大きな効果がもたらされるのだから。

もうひとつ。本当に経費削減になるかどうかは、わからない。
テントやライトなど、次々と素敵で便利な道具やグッズが出現するからだ。拙宅では、家の隅にキャンプ道具の物置まで作ってしまった。

子どもたちが大きくなったいま、キャンプの機会はほぼない。
「次は孫だ」が、夫の口癖。三世代でキャンプもいいよね。
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キャンプには仕事がいっぱいある。不便な中で仕事を分担し、工夫し、皆の役に立つことで、喜びや充足を感じることができるのです。遊びが中心かと思いきや、キャンプで子供たちが体験し、身に着けられるのは仕事体験だったわけです。

考えてみれば、子供は日々勉強や習い事に追われるばかり。本来の成長に必要な仕事を通じた達成感とは無縁です。キャンプで得られるこの絶対的効果、夏休みだけの一時的な体験にとどめておくのはもったいない気がします。日常でも仕事を通じた喜びが体験出来たら、子供たちの可能性はもっと広がるのではないでしょうか。

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