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学校に行かないほうが「かっこいい」

子供が学校に行かなくなった。

たいていの親御さんは、「社会からのドロップアウト」という悲惨な場状況を真っ先に考えるかも知れません。自ら小・中・高そして大学を卒業し、学校に行くのが当たり前、それ以外の選択肢は考えたことが無いわけですからそう考えるのも無理はありません。

しかし、実際に子供を学校に通わせなかった親御さんの話を聞くと、事実は全く異なるようです。

以下(http://agora-web.jp/archives/1658542.html)より引用します。
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●学校に通わせないと子どもはどうなる?
その昔、NPOのつながりでフリースクール・フォロという団体が主催するイベントに出席したことがあります。そのイベントはフリースクールやオルタナティブスクールに通う親や支援者の方々が教育について考えるイベントでした。その中でも興味深かったのが「学校に通わせない」という判断を下した親子の話でした。

私は公立の小・中・高と通い、私大を出たわけですが、学校に行かないという選択肢を考えたことはありませんでした。中学の頃は周りの期待に応えられずに不登校になったときがありましたが、その時でさえ「学校に行かないで生活をする」ということを考えたことはなかったので、学校に行かなかったという話を聞いて衝撃を受けました。

学校に行かなかった子どものお母さんが語っていましたが、学校に行かなかった子どもはどうなったか?というと、特に何の問題もなく周りに溶け込んでアルバイトをしているということでした。20歳くらいの方で周りは大学生ばかりなので、学校の昔話もするそうです。

そんな時、その子どもは「学校に行ってなかった」と正直に告白すると周りは驚くのですが、だからといっていじめられたり仲間はずれにされたりすることもなく、逆に「かっこいい」と思われたりもするとおっしゃっていました。

つまり学校に通っていないと集団生活ができず周りに溶け込まないとか、職につけないといったことはないのです。

●既存の学校の存在意義は思い出作りだけ?
この親子の話からわかることは、学校に行かなくても勉強はできるし、集団生活に溶け込めるし、仕事も得ることができるという事実です。「こどもの教育が一条校である必要はない」という寄稿を井上さんがされていますが、こどもの教育には学校に行くことすらも必須ではない事がわかります。

今やインターネットの普及で無料で勉強することができるようになりました。教育サービスを行うNPOもありますし、有料サービスであれば塾もあります。集団生活を学びたいのであればボーイスカウトやフリースクールもたくさんあります。一般的な公立学校の存在意義は徐々に薄らいできているのではないでしょうか。

もちろん思い出を作るということは既存の学校できます。林間学校、修学旅行、部活、受験、恋愛や友達と遊んだこと等、様々な思い出は私にもあります。しかし逆に言えば既存の学校に通って唯一できることは思い出作りくらいしかない、とも言えるのではないでしょうか。

昨今、大学の文系学部の存在意義について「必要ないのではないか?」という声が上がっているそうですが、既存の学校もその存在意義が問われてもいいのではないでしょうか。家庭でインターネットを使い無償で勉強ができ、フリースクールやボーイスカウトなどの集団生活を学べる場所を気軽に使える今、既存の学校も必要性を問われる日が近いのかもしれません。
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勉強はそこそこでいいと考える親御さんでも、学校が必要な理由として「社会性を身につける」とよく言います。

ところが、別に学校に行かなくても仕事を通じて社会性は身に付くし、友人関係もつくれます。むしろいろんな年代との交流で、学校にいるよりも幅広い人間関係が築けるのではないでしょうか。

実はこれ当たり前のことで、社会から隔離された学校で「社会性」が身に付くはずがなく、同年齢という基準だけで集められた人工集団で幅広い人間関係など築けるわけがありません。

若いうちから社会にでて、仕事をする。いろいろな経験を通して成長する。そう遠くないうちに学校に行かないほうが「かっこいい」といわれる時代がくるかも知れません。

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