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学校脳から社会脳へ、そして共感脳へ

算数脳、英語脳、国語脳・・・いろんな脳の鍛え方がありますが、どれも学校の勉強と結びつけた能力上昇を図るためのものです。

ところが、こうした知識、知性を身につける上でより根本で重要な“社会脳”という捉え方があることを知りました。

今回はその社会脳について考えてみましょう。

以下(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2011/06/post_1966.html)より引用します。
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社会脳から共感脳

社会脳は子どもの知識・教養・人格の形成に必要不可欠であることがわかっています。そして、人類の脳にあるミラーニューロンという神経細胞によって、心の中だけで他人になってみて、その仮想体験を基に他者の気持ちを理解したり、他者の意図を理解したら、他者の行動を予測したりする能力を持ちます。この能力こそが、他者から知識・教養・人格を受け取る上で重要であると同時に、他者理解を通じて共感・同情・相互利益・相互扶助を行う「共生脳」においても中心的な役割を演じているのです。

その意味で、人類では社会脳を鍛えることは共生脳を鍛えることになり、それが、子育てをするうえで、重要になってくるのです。そして、それらを鍛えるために、子どもに教えるとか、躾けるというようなやり方ではなく、子どもが自然に、周りから良い知識・教養・人格を吸収するように、良い社会脳と良い共生脳を育てる環境を作ることが、早期教育で最優先されるべき課題なのです。

しかし、このような環境の中で子どもが育つことは、核家族化、地域社会におけるコミュニティーの欠如、少子化などにより困難になってきています。子ども同士の関係の中で、「顔と顔を突き合わせてお互いの感情を理解する」という共生脳の発育は、今や保育園のような施設の中でないとなかなか体験できなくなっているのです。

エドワード・ソーンダイクはこれを「社会的知性」と名付け、「人々を理解し管理する能力であり、人間の世界でうまく生きていくために誰もが必要とするスキルである」と定義しました。そして、この知性は、人間関係について広い知識を発揮する能力に留まらず、実際の人間関係の場でもその知性を発揮し、実践できる能力でもあることがわかっていき、この能力と脳の働きの関係を考える上で登場したのが「社会脳」なのです。

しかし、「社会脳」というのは、ある神経細胞のことを指すわけではなく、小脳や大脳や前頭葉のように脳のある特定の部位を指すわけではありません。他人との関係や他人に対する思考や感情などを統括する神経メカニズムの総称であり、脳内の複数の部位が関係していて、その働きとして注目されるのは他者の心的状態に常に波長を合わせ、また逆に他者の心的状態から影響を受けるプロセスのことをいいます。更に、「社会脳」の能力は、書物の上での学習で高められる能力ではなく、乳幼児期における養育者との関わりによって目覚め、以後の人間関係の積み重ねによって、発達していく能力なのです。

社会脳の能力は、社会生活を行う上で必要であり、社会生活の中で能力を高め、最終的には人間社会の平和維持にも役立つ能力であるので、いじめ、少年犯罪などの根源に、この「社会的知性」の欠如、社会脳の未成熟があるのではないかと推測されています。

では、共感の次に必要な能力は何かというとゴールドマン氏は、「全面的な受容性を持って傾聴する能力。相手に歩調を合わせる能力」と言っています。これを「情動チューニング」と名付けています。そして、この能力の発揮に役目を果たすのがミラーニューロンなのです。

人間の脳はミラーニューロンの働きで、他者の感情を、動きを、感覚を、情動を自分の内部で起こっているかのように関知することができるために、ミラーニューロンの働きが強い人ほど、共感する能力も強いといわれています。そして、他者から読みとった情報を自分の中で再現することによって、迅速で的確な対応をすることができ、動作の意図をかぎつけただけでニューロンが反応し、そこに働いている動機を探り出し、他者の意図と理由を感知することで、きわめて貴重な社会的情報を得ることができるのです。

この周囲の状況に対するアンテナの役割をはたす能力があるお陰で、私たちは高度な社会が形成できるのだと言えます。
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人は周りとの関係の中で、知識を得たり、教養を身につけたり、人格を形成したりします。相手が何を考え、どう思っているか、何を言わんとしているかを感じ取り理解する能力、つまり社会脳・共感脳が育って始めて知識も教養も身に付くという関係にあるのです。

翻って、今の学校教育をみると試験脳ばかり鍛えていて、社会脳・共感脳は萎縮していくばかりです。
個人から仲間へ
知識から学び合いへ

模範解答を探すのではなく、みんなで未知を追求する。学校脳から社会脳・共感脳への転換がなによりも重要なのだと思います。

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