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脳の力は解放できる! でもそのためには「運まかせの学校教育」が「悪」だ!

最近「育脳」という言葉をよく聞きます。

子供の脳の発達に合わせて、積み木や読み聞かせで、感じたり、考えたりすることが得意になる脳を育てましょう。

みたいなことが紹介されていますが、植木を育てるがごとく脳を育てようという発想には違和感を感じてしまいます。

そもそも脳って何なのか?もよくわかっていないのが現実。
今回はその脳についてフランスの研究者のお話を紹介します。

以下(https://courrier.jp/news/archives/71518/)より引用します。
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「人間は脳の10%しか使っていない」

そんな神話を耳にしたことがある人も多いかと思います。でも、これって、意味がよくわかりませんよね。

「人間は手の10%しか使っていない」と言ったら、それは何を意味するでしょうか。手の表面積の10%のことでしょうか。それとも手の体積の10%でしょうか。ブドウ糖の量でしょうか。あるいは筋肉の量でしょうか。

とはいえ、人間の手に、私たちが普段の生活で使っている以上の能力があることは言わずもがなです。実は人間の脳も、それとまったく同じなのです。人間は脳の潜在能力を使いきれていません。

このことを指摘したのは、鋭い人間観察で知られた米国人心理学者ウィリアム・ジェームズです。私たち人間の普段の生活を見ると、頭脳を最大限に活用しているなどとは言えない、というわけです。

実は、現代の神経科学でも、同じことが言われています。

人間の頭脳を鈍化させるものの1つに「学習性無力感」があります。これは、私たちの頭のなかで「無理だよ。そんなことは絶対にできないよ」とささやく小さな声のことです

また、人間には、自分たちが作ったシステムに、自分たちが振り回されてしまう傾向があります。大事なのは、「人間のほうが、人間が作ったモノより上だ」ということです。

人間の脳が、人工的に作られたモノに振り回される状況は絶対にあってはなりません。私は『あなたの脳を解放せよ!』という書名の本を書きましたが、その書名で伝えたかったのは、そんなことです。

──その本では、脳を理解したいなら、脳を「地球」のように思い描くべきだと指摘されていますが。

まずは都市を思い浮かべてみましょう。1000万人が暮らすフランスのパリ大都市圏を、大脳皮質を構成する小さな領域の1つと考えてみます。

実際、大脳皮質は都市と構造が似ています。都市部の建物が階層状になっているように、大脳皮質も層構造になっていますからね。

都市の住民は、隣近所の人とも交流しますが、インターネットを使って、数千km離れた人とも交流します。脳が働く様子も、まったく同じです。

脳全体が「地球」だと考えると、脳の各領域が「国」といえます。「話す」「計算する」「予測する」「思い出す」といった脳の働きは、スマートフォンの製造工程のようなものです。

つまり、部品はある国から調達され、特許は別の国のものを使用し、設計や組立はそれぞれまた別の国で……といった具合になっています。

「読書」という行為は、脳内の複数の国にまたがるサプライチェーンを動かすことで、はじめて可能になるのです。

──2016年には、最新の脳地図が発表されました。これは重要な発見だと言われています。

その通りです。米ワシントン大学のマシュー・グラッサーの研究チームがコンピュータを使って、脳を180の領域に分けた脳地図を作りました。180という数は、地球上の国の数に近いですよね。

研究者のグレッグ・ファーバーは、こう解説しています。

「西暦1500年の世界地図と1950年の世界地図を比較したことがありますか。解像度の面でも、画質の面でも、この最新の脳地図ができたことで、脳の地図は、1500年のものから、1950年のものにグレードアップしたといえます」

脳を無視した学校教育は、人間を「操られるだけの存在」にする

──脳の働きを知ることは、個人や社会にとって、どんな意義があるのですか?

脳の仕組みを知ると、自分のことを、より正確に理解できるようになります。

もしかすると、あなたは、「こんな行動をするのが自分らしい」「自分の行動は、自分で決めてやっている」と思っているかもしれません。しかし、そんな行動をとらせているのは、長い進化の歴史の末、あなたに残っている「動物」的な部分だったり、家庭環境だったりすることもあります。

自分の脳がどんなものなのか、正確に知ることは大切です。自分の脳を知れば、自分にどんな認知バイアスがあり、どんなことに恐怖感を覚えるのかがわかります。

脳を知ることで自分のことを理解すると、人は自由になれます。

逆に、自分の脳を知らなければ、脳の弱点を他人に握られ、他人に操られる人生を送ることになります。

──人間の脳は、「記憶する」ことより、「反論する」ことや「忘れる」ことのほうが得意だとのことですが、これは学校で求められることの正反対ですよね。

神経人間工学の観点から、いまの学校制度を見ると、学校は社会悪としか言いようがありません。(イドリス・アベルカンのボルドーでの講演)

もちろん仕方がない面もあります。学校制度が設立されたとき、人類は脳について、ほとんど何も知らなかったわけですからね。

しかしその後、社会は大きく変わりました。インターネットも登場しました。それなのに学校制度は、その構造も、目的も、設立時から、ほとんど変わっていないのです。

うまく学校制度を変えることができれば、その教育効果たるや、ゲームのそれよりはるかに大きくなるでしょう。学校は、ゲームとは異なり、さまざまなことを試すことができ、外に開かれているからです。

教育は、「鼻からチューブを通して、知識の栄養を送り込む」ようなものであってはなりません。教育は「世界を探検する経験」であるべきです。

プラトンも、アリストテレスも、ヴィットリーノ・ダ・フェルトレも、レオナルド・ダ・ヴィンチも、ラブレーも、そのような教育を提唱しています。教育がそんな風に変われば、世界が大きく変わることを請け合いますよ。

──本のなかでは、いまの教育制度は、フォアグラを作るためのガヴァージュ(強制給餌)のようであり、子供の脳の神経細胞に悪影響を及ぼしていると指摘されています。

いまの教育制度は、産業革命時代に作られたものです。工場で働く労働者に、一定の知識を身につけさせるのが目的でした。

しかし、人間は、工場で動く単なる一部品ではありません。ルネサンスの巨匠たちが部品のようになった私たちを見たら、あまりの役立たずぶりに思わず殴ってしまうことでしょう。

いまの学校制度では、努力した「個人」が成功するのだと教えられていますが、これはデタラメです。

マンモスを狩るのも、ピラミッドを建設するのも、ノルマンディー上陸作戦も、ロケット打ち上げも、「集団」でしか成し遂げられません。

また、実人生では、偉い人が言うことを鵜呑みにしない能力が大切です。しかし、学校では、偉い人が言うことに疑問を抱くことは許されていません。

現代の天才児の多くが、教育制度の外部で、その才能を開花させています。

アルテュール・ラミアンドリソアは、フランスのバカロレア(中等教育修了と高等教育入学資格をあわせて認定する国家資格)を史上最年少の11歳11ヵ月で取得しましたが、彼は一度も学校に足を踏み入れたことがありません。

グレース・ブッシュは、16歳で学士号を2つ取得しましたが、ほとんど自宅で教育を受けました。

14歳で家のガレージで核融合炉の開発に成功したことで知られるテイラー・ウィルソンは、バラク・オバマ大統領と会見し、米国のエネルギー政策の未来について意見を述べましたが、学校では落ちこぼれでした。

ゲームで遊べば脳は解放される!

──つまらない「勉強」があるのは事実ですが、楽しい「勉強」もあるわけですよね。

人間にとって、いちばん自然な学び方は、遊ぶことです。

哺乳類の動物は、どれも遊びを通して学んでいます。神経科学の研究で、知的な動物ほど、道具を使って遊ぶことがわかっています。カラスやオウム、大型類人猿などがそうですよね。

自然界とは、受験戦争などよりはるかに厳しい淘汰がある世界です。大学の入試だったら、一度落ちてもまた受験できます。しかし、自然界ではたった一度の失敗が死を意味します。

どんな勉強法をすれば、そんな厳しい自然界を生き抜けるのか。進化の歴史の末、それは「遊びながら学ぶことだ」となったわけです。

40億年の進化の歴史の結果より、自分の頭脳のほうが上だ。あなたがそう考えるなら話は別ですが、これは心に留めておいていいことではないでしょうか。

──「ゲームは理想の教師だ」と主張されています。それは子供のころ、ゲームを通じて数学の面白さに気づいたことが関係しているのですか?

脳の注意力を引きつけるのが上手なものが、世の中に2つあります。バカなことを言うなと思う人もいるかもしれませんが、それは「自然」と「ゲーム」です。

人は「自然」のなかにいると、複数の感覚を使います。脳は、このように複数の感覚を使う経験が大好きです。

一方、「ゲーム」は、どうすれば人間の注意力をつかんで離さずにいられるか、という競争のなかから生まれてきました。最近では、パイロットや医者の訓練にも、ゲームが使われるようになっています。

いまの学校は、どうすれば生徒の脳の注意力を引きつけられるか、といったことを重視していません。そんなことを考えなくても、義務教育だから生徒たちのほうから勝手に学校に来てくれるからです。

理想の教師は、生徒と一緒に建物の外へ出て、五感を使った学習をさせてくれる先生だと思います。アリストテレスだって、逍遥(しょうよう)しながら教えたわけですからね。

ジョブズの偉大さの本質は「失敗」と「反骨」

──数学教師のご両親のもとで育ち、博士号を3つ持っていますよね。それなのに、「失敗の経験こそ、真の学位である」と書くのは、なぜなのですか?

私はこれまでの人生で、何度も失敗してきました。

博士号を3つ取得することになったのも、成功の結果ではありません。私がやりたかった、神経人間工学を活用したソフトウェアの研究に、資金を出してくれる人が現れなかったからです。

かつてスティーブ・ジョブズがこんなことを言いました。

「シリコンバレーでは、失敗することを気にせずに日々を送る人ばかりですが、ヨーロッパでは、失敗がきわめて深刻なものと受け取られがちです」

私は会社を3社創設しました。どの会社でも、事業を大きくしようとして失敗を繰り返しましたが、幸いに3社とも、まだ存続しています。

こうした経験を通して学んだことがあります。私の価値や身分を勝手に決めつける人には、絶対に耳を貸さない、ということです。

自分の人生で責任をとれるのは自分だけです。

フランス社会には、新しいことをしようとする人に「分をわきまえろ」と言っておさえつける風潮がありますが、私はそれをフランス社会の病巣だと考え、憎しみを感じているほどです。

──学校では教わることが何もなかったとすると、どうやって「考える」ことを学んだのですか?

「学校では教わることが何もなかった」とは言っていません。それどころか、私が師と仰ぐメンター(助言者、相談相手)たちにめぐり合えたのは、学校という場所でした。

私が非難しているのは、「現状の学校制度では、学生がメンターに出会えるかどうか、運次第である」ということです。

教育にメンターは欠かせません。古来、人はメンターの指導のもとに研鑽を積んできました。ルネサンスの巨匠たちも、メンターのもとで修行して偉大になりました。古代ギリシャや古代ローマの賢人も同じです。このことを教えてくれたのも、私のメンターの1人である起業家・研究者のグンター・パウリでした。

いまの学校制度は、教員がメンターの役割を果たすことを奨励していません。報酬も出しません。いまの学校でメンターの役割を果たしているのは、一握りの熱意ある教師だけなのです。
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なるほど、脳の仕組みや機能を知るほどに、今の学校制度が脳の正常な発達を阻害していることが明らかになってきているようです。

育脳と言うのなら、3歳や5歳まではしっかり遊び、その先は学校などいかないほうがよいということになりそうです。今の学校制度を見直し、メンター制に切り替える、個人の資質云々ではなく集団で課題に取り組む、そんな学びの場をつくっていくことこそ本当の“育脳”になるのだと思います。

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