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「学校に合わない人がいるのは当たり前」不登校10年の経験者が示す「学校に行かない生き方」

「不登校」もひとつの選択肢

では「学校に行く意味」とはなんでしょうか。

 

 

http://bunshun.jp/articles/-/8654 [1]  より引用します。 

不登校の小中学生は、全国に13万人以上いると言われている。自身も約10年の不登校を経験し、8月19日に全国100カ所で開催された不登校の当事者が集まるイベント「#不登校は不幸じゃない」の発起人を務めた小幡和輝さんは、不登校そのものを肯定し、全国の子どもたちの不登校支援を行っている。小幡さんに、「不登校支援をする理由」と「学校の在り方」を聞いた。

 

文科省の通知で「ルールが変わった」

 

――小幡さんは、「学校に行かないことも一つの選択肢」として、不登校を肯定していますね。2016年には、文部科学省が「不登校を問題行動と判断してはならない」と通知を出し、不登校への認識が大きく変わりつつあるのを感じています。

 

昨年、小幡さんはクラウドファンディングでパトロン228人、129万6000円を集め、初めての著書『不登校から高校生社長へ』を自費出版しました。不登校を肯定し、「正しい不登校のやり方」を紹介する新しい切り口に驚きましたが、これは文科省の通知を受けてのことだったのですか。

 

小幡 もともと、自分の体験談として講演会やブログで、「辛かったら学校に行かなくても良い」という話はしていたんですね。学校に行くのが「ルールとして当然」だと思っていたので、不登校はあくまで最後の、消極的な選択肢だと思っていました。

 

でも、文科省の通知を見て、「ルールが変わってるぞ!」と衝撃を受けました。今までは感情的に、当事者に対して「不登校は一つの選択肢」と言っていたけれど、論理的に考えて、社会に対しても「不登校が一つの選択肢」であることを訴えかけられるんじゃないかと思ったんです。「不登校は不幸じゃない」という考え方は、社会に投げかける問いとして、十分なんじゃないかと思うようになりました。

義務教育の「義務」は子どもの義務じゃない

 

――学校に行きたくない子どもも、親に対して「文科省の通知って知ってる?」と言えるようになったわけですもんね。いわば武器を得たような。

 

小幡 そうです(笑)。義務教育の「義務」というのは、市町村が区域内に学校を作るという「義務」であり、親が子どもに教育を受けさせる「義務」があるという意味ですよね。そもそも「子どもが学校に行く義務」ではないんです。だから子どもが学校に行きたくないならば、行かなくてもいいし、親が子どもに教育を受けさせる義務を果たすには、学校でなければならないという理屈はないんです。

学校に合わない子がいるのは当たり前

 

――小幡さんは、不登校になってからも、引きこもりにはならず、不登校の子供たちなどを支援する適応指導教室に通ったり、ゲームや囲碁を通して友達を作り、社会との接点を常に持ち続けていました。学校の外では友達ができる小幡さんが、学校では馴染めなかったのはなぜなんでしょうか。

 

小幡 学校って、コミュニティとして考えると不思議な場所だと思うんです。同じ年に生まれ、同じ地域に住んでいるという理由で約30人が一つの教室に集められる。共通点は「年齢」「住んでいる場所が近い」というだけで、好みも考え方も違う。それはそれで価値があることなのですが、そういう事情で集まっているのだから、合わない子がいて当たり前です。例えば、大人でもその地域の30人で集まって同じ仕事をしてくださいと言われたら無理じゃないですか(笑)。子どもは大人よりも柔軟かもしれませんが、その“ひずみ”が13万人という不登校の子どもたちの数に現われているんじゃないでしょうか。

僕は、実際には「不登校」の子は、13万人よりももっとたくさんいると思っています。現在の定義では年間30日以上休まなければ不登校に該当しないのですが、保健室登校など、学校に行きたくないけれど無理をして行っている子を入れると相当な数にのぼるはずです。

 

定時制高校で認められていた多様性

 

――小幡さんは、適応指導教室に通った後、定時制高校に進学していますね。

 

小幡 定時制高校は、多様性がありました。一つ上の学年には25歳の人もいたんですよ。僕のように不登校の子もいれば、やんちゃな子もいるし、年齢もバラバラです。少人数で学べるし、アルバイト先も先生が紹介してくれるんですよ。高校を卒業したら就職をする子が多いので、アルバイトが推奨されるんですよね。多様性、少人数の学び、働くことの重要さを教えてくれた定時制高校は、教育の最先端なんじゃないかと思っています。

 

いま、多くの高校ではアルバイトが禁止されていますが、僕には理解できません。試験前1週間はダメとか、赤点を取ったらダメとか、ルールを決めた上でアルバイトをする分には、むしろいい経験ができるのではないかと思います。

学校へ行ったほうがいいと思う理由

 

――「不登校も一つの選択肢」ならば、「学校へ行く選択肢」についてはどう考えますか。「学校へ行く意味」はそもそも何でしょうか。

 

小幡 僕が学校へ行ったほうがいいと思う理由は大きくわけて二つあります。

 

一つは、学校に行くからこそ学べることや、出会える人がいるということです。自分で学びや交友関係をデザインすると、好きなことしかやらないし、共通項のある人としか出会わなくなってしまいます。それは楽しいし、才能がある場合が多いから自分の良いところを伸ばせるのですが、視野が広がりにくい可能性がある。学校で、半強制的にいろいろなことを学ぶからこそ知ることがあるし、学校でなければ出会えなかった人がいると思います。僕の周りには価値観が合う人や共通の趣味がある人ばかり。グーグルの検索と一緒です。自分の知っているワードしか検索しないから、視野が広がりにくい。だから、学校のもつ役割として「視野を広げる」というのはあると思います。

 

二つ目は、コストパフォーマンスがいいということです。単純に「お金がかからない」という経済的な面でもそうですし、多くの方が考えて作られた制度なので、年齢に合わせて自分で学びをデザインする時間と手間を考えると、圧倒的にコストパフォーマンスがいい。学校に行かないという選択肢は決して楽なことではないんです。

――小幡さんは、著書の『学校は行かなくてもいい』の中で、不登校の子が増えたら、「義務教育がなくなるのではないか」ということを心配していましたね。不登校を肯定することが、学校教育のスリム化に繋がるという懸念はありませんか。

 

小幡 僕は、格差によって教育の機会が奪われることはあってはならないと思っています。ですから、学校そのものを否定しているわけではありません。

 

僕の家は決して裕福ではなかったけれど、母親が専業主婦で、家で一緒にいてくれたり、いろいろなところに連れて行ってくれました。振り返ると、それが良かったと思います。いま、いろいろな不登校のケースを見ていますが、経済的に余裕のある家庭の場合は、子どもが不登校でもあまり心配がありません。子どもがやりたいことができる環境であれば、学校へ行かなくても教育の場を見つけることができるからです。一方、シングルマザーなどで経済的に不安のある不登校の場合は大変です。年齢によっては、子どもを家に置いて働きに行くことは難しいですから。

 

――小幡さんが理想とする、「これからの学校」はどんな学校でしょうか。

 

小幡 カドカワが運営しているネットの高校、N高校はとてもいいと思います。カリキュラムの幅が広くて、起業したい子向けや、体験型の農業プログラムもある。僕は、大学とか、就職というような一つのゴールにこだわらず、個々人にあった学びができる、そんな学校だったら行ってみたかったですね。

 

 

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