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学校制度が社会からずれ始めている。

Posted By hoiku On 2018年11月1日 @ 9:10 PM In 家庭・教育ニュース,教育改革の本質とは? | No Comments

学習指導要領が改正され、「社会に開かれた学習過程」を標榜してアクティブラーニングや思考力・学ぶ力の育成、地域社会の教育資源の活用など、一方的な知識の詰め込みから大きく舵を切ったように見えます。

しかしそれら全てはこれまでと同じ教師によって、学校という枠の中で実践することが前提であり、どこまで効果があるのかきわめて疑問です。

日本の教育関係者もこのままではいけない、と気付き始めてはいるようですが、学校制度も教師もそのままで、うたい文句を替えただけ。問題の本質は学校制度、教員養成制度にあることには依然と蓋をしたままのような気がします。

以下(http://homeshoolclub.blogspot.com/2018/08/blog-post_31.html)より引用します。
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不都合な真実(学校)

神戸新聞NEXTに「子どものいじめ自殺 第三者委の再調査相次ぐ 調査に限界、裁判利用に懸念も」という記事があった。
要するに第三者委員会は教育関係者による身内調査のことが多く、当たらず触らずの結果になっているとのことだ。法的にも何の根拠もなく教育関係者の言い訳に使われているということだろう。

大体第三者委員会といっても当事者である、教育委員会や当該自治体の首長がメンバーを選んでいる以上自分の都合の悪い人選をするはずもない。期待するほうが無理だと思う。

さらに二学期の始まる前後に子どもの自殺が多いことに対し調査するといじめは見受けられなかったという事例も結構ある。いじめが陰湿化しているとしてもそれ以上にいじめが原因ではない自殺が多いということも考えられる。そもそも子どもが自殺するということは私たちの時代には想像もできなかった。子どもは自殺しないと思っていたしそういう発想もなかった。何故これほど増えたのか。

この原因は学校制度が劣化したという面もあるだろうが、社会の変化に学校が取り残されているというほうが大きいと思う。それが教育関係者にとって耐えがたい事実なので目をそらしているうちに社会も家庭も子どもも変わっていく。そのギャップが自殺を生んでいると私は考える。

私の考えでは学校は行く必要がないと考えている。極論に聞こえるだろうが、その理由
1.学校制度が社会からずれ始めている。
2.ところが親は学校思想に染まりきっている。
3.学校は社会の変化に対応できず、親からの希望で受験対策校化。
4.個人的な能力や個性は無視し、一斉教育の強化。
5.その結果子どもたちの記憶力を強化し、想像力は失われる。
6.いじめと指導死、過労死につながっている。

現在学校で優秀であれば日本の大企業は優先的に採用しているが、世界の実態はAI化が進みITを制御できる独創性と数学的論理性の高い人を高給で奪い合いをしてる。それ以外の仕事は給料を払わなくても24時間働くコンピュータでできるようになるため給料を払いたくない。
それが日本に波及してきて、シャープや東芝などの(日本にかぎらないが)大企業や銀行のリストラが進んでいる。しかしながらAIでできない仕事はなくなるわけではないけど、余剰人員が多いため給料は増えない。(これが現在)10~20年後にはごくごく少数の高給取りと大多数の貧困の誕生である。
すべてではないがその原因の多くは学校制度にあると考えている。素晴らしい教師がいることを否定しているわけではない。ただ先生を子どもも親も選択できない。

何故学校が時代遅れかというと(何度も言っていることだが)
1.一斉同調教育では、理解の早い子は待ちぼうけ、遅い子は置いてけぼりになる。
2.多様な子どもがいるにもかかわらずそろえることを強要される教師のストレス。
3.子どもにとって、進む授業とストレスのかかった先生からのストレス。
4.ストレスの発散としての生徒と先生から必然的いじめの発生。
5.子どもは学校主義の親からのプレッシャーで相談もできない。

東京新聞に自殺された子どもの親が寄稿していたが、子どもの気持ちにほとんど気づかなかった。しいて言えば「夏休み終わらなければいいのに」と言われたとき気づけばよかったと悔やんでいるが、それは無理だろう。どんな子どもでも誰でも言うと思うし、それに気づく親なら最初から学校には行かせていない。
親に心配をかけたくなくて黙って自死を選ぶ子は普通にいる。
そんな理不尽なことと思うが子どもの心理はそんなものだ。

私はそれが嫌で学校に行きたくないという息子をそのまま認めた。だから学校には一度も通ったことがない。小学校の時期は朝から晩まで遊んですごした。週に1回10分程度算数を見てあげたがその時も九九は覚える必要はないといった。鶴亀算など全くの無駄でしかないといって一切教えなかった。

今中学二年生の年齢になり、掛け算は自分で考案した方法で特に苦も無く計算している。イギリスのフリースクールに行っているから英語は達者だが、漢字はほとんどかけない。でも読むのは小さい時から絵本や漫画の読み聞かせをしていたせいか特に不自由はしていない。
とにかく私は子どもは小学校の間は遊び呆けていたほうがいいと考えているが、14歳の夏休みに日本に帰ってきて少し心配になり、数学を中心に教え始めた。小学校の時何度教えてもわからなかった問題を一度聞いただけでいとも簡単にすらすらと理解して、今は中三の問題を解いている。だんだんと私が理解しているレベルを追い越しそうで少しひやひやしているが、いいホームページを見つけた。

無料で使える中学学習プリント。全体によくできていて、学習の進捗に合わせて問題が組まれている。これを順にプリントして解いてもらい、終わったら解答紙を渡して自分で確認させればいい。わからないところを親が説明してあげれば自然にレベルアップする。質問のページもある。
理解できたなと思えば一つ置きにどんどん先に進み、無理かと思うと何回も同じところをやらせる。場合によっては本人が理解しているところまで戻る。学校には到底無理だろうけれどホームスクールにとって優れものだろう。

数学以外は新聞や雑誌ニュートンを読んでいるのであまり心配していない。
そして本当に困ったときにはホームスクーラーは自力で調べるようになる。

学校に行かずに10年近くたち、学校は不要だというより、子どもにとって邪魔ものでしかないと思っている。息子は早く夏休みが終わってほしいという。
学校の存在は子どもたちの将来のためというより、教育関係者の生活の糧になっているだけだろう。
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学校制度そのものが社会の変化に対応できずずれ始めている。制度を根本的に変える大事業を、その制度に守られ生きてきた教育関係者ができるのか?と問えば否でしょう。

彼らにとって、学校が社会とずれてきているという真実はきわめて不都合です。いじめの問題を見てみぬふりをするのと同様に、お題目を唱えるだけで相変わらず旧態然とした学校制度が続くことが十分予測できます。

教育を生業にしている教育関係者のためでなく、子供たちの将来のために何をなすべきか。制度の外の私たちが考えていかなければならないのだと思います。


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