- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

受験制度の弊害~中学受験で「子供を潰す」母親の特徴

小学校からはじまる大学卒業までの長い道のり。

それでもちょっと昔なら受験勉強は高校受験からというのが普通でしたが、今では中学受験は当たり前。さらに小学校に入るためのお受験も増えてきています。

この受験制度、子供たちにどんな影響を与えているのか。
今回は中学受験について考えて見ます。

以下(https://www.sankeibiz.jp/econome/news/170318/ecc1703181602001-n1.htm)より引用します。

————————————–
新年度がすでに始まっている。中学受験業界の新年度は、4月ではなく2月である。

多くの中学受験志望者は3年間の塾通いを経ての受験になるので、小学3年生の2月が初年度新学期となる場合が多い。よって、中高一貫校に我が子を通わせるかどうかの決断は我が子が小学3年生の時点(新4年生になる直前)でする、つまり今なのだ。

さて、正月明けに講談社の編集次長が妻に対する殺人容疑で逮捕された件は記憶に新しいところだが、一部報道によると「受験させたい派の妻」と「させたくない派の夫」との意見の相違があったとも伝えられている。

夫婦間の子育て方針の差異が招いた悲劇に中学受験が絡んでいるとするならば、ただただ切ない(中学受験はやってもやらなくてもどちらでも良い、つまり人生にとって、生死を賭けてまでやるものではないからだ)。

さりとて、中学受験は結果的にパイの奪い合いという構造なので、経済的にも肉体的にも精神的にも大変厳しい世界であるのもまた事実。それゆえ、夫婦の合意はもちろんのこと、ゆめゆめ「何となく雰囲気で」参入してはいけない場所なのだ。

 しかし「お隣も受験するから」「中高一貫校の方が有名大学の合格実績が良いから」「公立中学だと何か不安」というような浅い動機で「我が子の特性」を置き去りにしたまま「特攻」していくケースもまた多いのが実情だ。

このように「我が子のためを思って考え抜いての受験」ではなく「受験しないと乗り遅れる」的な強迫観念を持つ母も多いのであるが、こういう「何が何でも受験させる・合格させる」発想で中学受験に突入したご家庭の予後はあまりよろしくない。ある大手塾に「NN(何が何でも)志望校別受験コース」という上位校受験者向けの教室があるが、母親だけが、いわば「NN病」に罹ってしまうと、最悪、家庭崩壊に行き着いてしまうのだ。

我が子を見ているようで見ておらず「有名私立に子供を通わせる偉いワタクシ」に酔っているだけだと、子育ては瞬くうちに「迷宮」へと入り込んでいくだろう。

それは家族の誰にも幸運をもたらさない。
●「名門一貫校に合格しないと未来はない」と刷り込まれる親
繰り返すが「中学受験はやってもやらなくても、どちらでも良いものである」。だからこそ冷静に見極めなければならないものなのであるが、哀しいかな「ここで受験して、有名校に合格しなければこの子の未来はない」とまで思ってしまう「刷り込み母」がたくさん実在するのである。
今回はどういうタイプの母親がこの「刷り込み」を受けやすいのかを綴ってみたい。もし、これに心当たりがある母は中学受験から潔く撤退し、子供自身の成長を待ち高校受験へと照準を合わすか、「それでも中学受験!」という場合は自分の行動が我が子の邪魔をしていないかをよくよく注意しながら、受験道を歩んで行ってもらいたい。結局、それが家族の幸せにつながるからだ。
その1:全身スキャナー母
これは息子が彼女を連れて来た時に全ての母が発動する秘技であるが、女は一瞬にして相手の全身をスキャンする機能を持ち合わせている。これは女が持つ備品であるので、良いも悪いもない。

しかしだ。これを常時、作動させている母親がいるのだ。これはまずい。スキャン能力は「ここ一番」で発揮されれば十分であるからだ。

自分が属する小さな集団の中で「勝った」「負けた」と常に心の中をざわつかせていると足元が見えなくなる。他人の全身をスキャニングすればするほど、我が子は自分の目には映らなくなるだろう。

その2:家族をアクセサリーにする母
女性専門の就活コンサルタントに聞いた話だが、子育ても落ち着いた母が再就職でやらかすケースに「履歴書に夫の役職を書く」ということが本当にあるのだそうだ。

家族は運命共同体という「一蓮托生」的な発想なのかもしれないが、当然ながら「夫の物は自分の物」ではない。夫の年収、子供の学歴、子供がどこの塾の何クラスに所属しているか、その席順……。このように「自慢」のすべてを自分以外で固めようとすると子育ては失敗する。

なぜなら「アクセサリー」は常時輝くとは限らないからだ。

もし、アクセサリーで飾り立てたい場合は家族が身に着けたものを誇るのではなく、自分自身の内面を輝かせようと努力しない限り、我が子も自らにアクセサリーを付けようとはしないだろう。

その3:「女三界(さんがい)に家なし」発想の母

<女は幼い時は親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従わなければならないとされるから、一生の間、広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家なし>( Weblio辞書より)という「女三界に家なし」という諺があるが、これを地でやっている母親も中学受験しなければ我が子は落ちこぼれる、と思い込みやすい。

「女三界に家なし」は一見、女の人生の過酷さを意味しているようにも見えるが、実は「責任を取る必要がない」という楽な生き方でもあるのだ。

デートの際に「どこに行きたい?」と聞くと「どこでもいい」と言いながら、相手が素敵な場所に連れて行ってくれることを限りなく期待したり「何が食べたい?」と聞かれた時に「何でもいい」と言いながら、実際に連れて行かれた先が定食屋だと、途端に不機嫌になったりする女がいるが、こういう女は間違いなく「残念な母」予備軍である。

自分の頭で考え、選択し、実行できない母親は失敗をすべて夫と子供のせいにするだろう。

その4:安全確認装置が過剰な母
ガスの火を消したか、玄関の鍵をかけたかを外出先で異様に気にする女は子育てがうまくいかない。心配という名の安全確認はやり過ぎると確実に子供を潰す。

「将来が心配だから、中高一貫校に!」という発想では、その中高一貫校に無事に入学できたとしても、更なる不安が出てきて、我が子を新たな不安でがんじがらめにするだろう。

例えば子供の塾帰りの時間が少しでも遅いとパニックになって塾に電話をするタイプがこれに当たるが、大抵の場合、子供に無事出会えた瞬間、母は怒り狂っている。塾の先生に質問をしていて遅くなっていたとしたら、一方的に怒鳴る母親に対して子供はもう本音は語らなくなるだろう。

その5:人の受け売りばかりの母
近所の人、友人知人、あるいは有名人の声に影響を受け、その言葉を我が家に落とし込むことができずに、妄信すると悲劇に直結する。

ヨガの言葉で「信じるな、疑うな、確かめよ」というものがあるが、中学受験にも通じるものがある。

本当に我が子に小学校6年での受験が必要なのか、この道が我が子の幸せに繋がるのか、その視点で「我が家オリジナル」のメリット、デメリットを冷静に確かめることが何より大切だ。

 以上、代表的な5点を挙げてみた。

逆に言うのであれば、他人の家庭と比べず、我が子の個性と成長度を大切にし、自分の頭で考え、確かめる。そして、自分の不安は置いといて、子供の未来と幸せを無条件で信じる。さらには子供の人生を乗っ取らないように、自分自身の人生を生き抜くという方向に舵を切る。

これがやれる母は合否を超えたスペシャルなギフトを子供にもたらし、結果「中学受験をして本当に良かった」と家族で笑い合うことができるであろう。
———————————–
私自身、小学校ではテストこそあったものの、そのための勉強はした覚えがなく、まして受験などは想像もつかない世界だったと思います。

小学生といえば、いろんなことに興味を持って、遊びながら学んでいく大切な時期。その大切な時期を受験勉強で埋め尽くし、柔らかい脳を暗記脳で固めてしまうことは大きな問題です。

さらに受験に臨む動機も本人に明確な自覚があることはまれで、ほぼ親、特に母親の期待(願望)が出発点であることが多いと思います。子供は母親の期待に応えるために全力で頑張るわけですが、この母子密着の狭い期待・応望関係は、本来仲間との間に形成される人間関係力を損なってしまう危険があります。

受験に失敗すれば、母親の期待に応えられなかった傷が刻印され、仮に受験に成功しても、その後延々と続く受験圧力の中で疲弊し潰れていくことは目に見えています。

子供のためといいながら、子供の未来を潰しかねない中学受験。大人たちは「子供の未来のために必要なことは何なのか?」を自分の頭でしっかり考えなければなりません。

[1] [2] [3]