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子どもたちの好奇心を、社会と繋がった学びへ導くのが教育の役割。

詰め込み教育をやめて子どもの好奇心を伸ばす教育を。

といっても今の日本で実現している学校は皆無で、一体どのようにすればいいのか見当もつきません。

そこで今回は、教育制度の自由度が高く様々な取り組みをしているアメリカで、「生徒の好奇心ファースト」を実践している小学校の事例を紹介します。

以下(https://forbesjapan.com/articles/detail/19618/1/1/1)より引用します。
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●学びは常に社会との接点に
Cold Spring Schoolの質素なキャンパスは、イエール大学から車で10分ほどの市街地にあった。1982年に創設されて以来、36年間で3代しか校長先生が変わっていないというから、一人の校長が平均して10年以上生徒たちの教育と向き合っている計算になる。今回は3代目の校長であるArati Pandit女史に話を聞くことができた。Pandit女史はボストンの著名なプログレッシブスクール、Advent Schoolからヘッドハントされて6年前にここへ移籍して来たという。

なぜか。その理由を彼女は、「ここでは、理事会も教職員も保護者も、学校のコミュニティ全体が、生徒の好奇心を最大限に引き出すことにコミットしている。毎年、学年ごとに生徒たちが相談して学びのテーマを決め、全ての教科がそのテーマに沿って構成されている。究極のstudent-centered learningがここにあるから」だと教えてくれた。

「幼稚園から小学校6年生まで145名程度の少人数制で、幼稚園から1年生、2-3年生、4-5年生が混合で構成されており(6年生だけは中学進学のため単独編成)、年齢の違う生徒たちが互いの面倒を見合うことが人格形成にも大きく寄与している。それも魅力の一つです」

●生徒の好奇心ファースト
生徒たちが相談して学びの題材を決める、と一口に言っても、日本の学校教育に慣れた私たちにはすぐに想像がしにくい。具体的にはどういうことをやっているのか?

例えば今年の2-3年生は、「海洋環境」をテーマに決めた。その上で、理科では、海水を構成する物質から海洋に住む生物まで幅広く学ぶ。社会科では、世界各国が海の資源をどう活用しているか、あるいは国際社会が海洋汚染にどう対応しているかなどを。英語では、海を題材にした純文学の中から教師が生徒のレベルに合わせて複数の推薦図書を選び、図画工作では、海を描く子どももいればグループで製作をすることもある、という具合だ。

しかし、確かに生徒たちの好奇心に沿った学習であり、聞こえもいいが、それを繰り返した場合に、教えられる内容に制約が出てこないのだろうか? 果たして小学校卒業時までに必要な知識やエリアを全てカバーすることを担保できるのか、疑問に残る。

そう純粋にぶつけてみると「それは定期的にアセスメントをやっているから心配ない」とPandit女史。さらには、Connecticut Association for Independent Schoolsという第三者機関から認証を受けているため、カリキュラムの範囲や内容、教える教員の質などは客観的なチェックも行われているという。なるほど、それであれば少し安心かも知れない。

●教員に求める「意外な資質」
生徒の興味に従って有機的にカリキュラムを創り出しながら、全ての生徒が一定の知識や技能を身につけることを担保するためには、教員の非常に高い技量が問われることはいうまでもない。一体どういう基準で教員を採用しているのか。尋ねると、意外な答えが返って来た。

「よく旅をして、自らの目で世界を見て来たことがあるか」「人生を通じて芸術に親しんで来たか」。

これらは少なくとも、日本の教員採用試験において一般的に問われる質問とはかけ離れたもののように聞こえる。しかし、「学びは全て社会と繋がっているべきで、社会と結びつけて教えられなければ生徒の好奇心は繋ぎとめられない」というPandit女史の思想には深く共鳴する。実際私たちが運営するユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパンでも、複数国での居住経験、教師以外の職業も経験がある人材は少なくない。

これからの子どもたちは、激動の社会の中を生きていくことになる。そんな子どもたちには、世界の躍動感を肌で感じ、変化の風に触れ、その中で自らが社会と向き合い、教科知識の意味を問い続けている教師にしか教えられないことがあるのかも知れない。
(中略)

●日本で実現できないワケ
特に幼少期や小学生時代は、知識を詰め込むことよりもむしろ、感受性豊かに、好奇心旺盛に、自己肯定感を育みながら成長して欲しいと言うのが多くの親の希望ではないだろうか。ある程度の知識体系の枠組みの中で、子どもたちの興味に従ってカリキュラムを組み、教科横断的に、学年さえ超えて学ぶ。そんな学校があったら素敵だなと思うのは私だけはないと思う。

しかし、わが国では文科省の定める学習指導要領にて、教科ごとに教える内容が定められていることに加えて、学年ごとの必要単位数、そして単位ごとの授業時間数までが分単位で指定されている。

確かに、日本の小学生の算数の基礎学力が世界に誇れる水準であることは間違いない。それでも、そうした良さを活かしながら、もっと学校ごとの創意ある取り組みが容易にできるようになれば、多様化するニーズ、そして多様な生徒の個性に寄り添った教育が、よりやりやすくなるのではないだろうか。

もちろん、そうした規制緩和に先立って、教員の皆さんが教科への深い愛情と知識を以って、生徒たちのダイナミズムをみながらカリキュラムを構成してゆくことを楽しめるように、養成や研修がなされる必要があることは言うまでもない。「ゆとり教育」失敗(という声が多かった)のトラウマから解き放たれて、今一度カリキュラムに自由度を持たせる時代が来ることを祈ってやまない。
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「学びは全て社会と繋がっているべきで、社会と結びつけて教えられなければ生徒の好奇心は繋ぎとめられない」

社会と繋がった学び。今の日本で最も必要でありながら欠落しているのがこの部分なのではないでしょうか。

そして教師自身も、教科の枠を越えて世界の動向や社会の変化を感じ、学ぶことの意味を追求し続けていなければ、子どもたちを追求の世界に導いていくことはできないのだと思います。

すでに新しい教育の実践は始まっています。様々な成功例もあります。実現の壁は学習指導要領、科目ごとに時間数まで決められた授業構成、詰め込み勉強しか知らない教師たち。

これら子どもたちの好奇心をことごとく封鎖してきた日本の教育制度を変えていくことが、私たちの課題、子どもたちを未来に導く大人たちの責務なのだと思います。

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