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子供は教わらなくても学ぶことができる。

『未来の子どもたちに教えるべきことは3つだけです。
読み書きする能力。
必要な情報を得る能力。
そして、その情報の価値を判断する能力です。』

認知科学、教育テクノロジーに専門家として知られるスガタ・ミトラ氏の言葉です。
そしてこれらの能力を身に付けるためには先生も教室も必要ない。コンピュータとおばあちゃん、そして一緒にわいわいがやがやするグループがいればいい、というのです。

これだけで本当に子供たちは自ら学ぶようになるのでしょうか?

今回はスガタ・ミトラ氏の実験と実践を見てみましょう。

以下(http://takuya0206.hateblo.jp/entry/2016/04/20/225519)より引用します。
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 壁の穴プロジェクトについて、詳しくは上の動画を見てください。このプレゼンは2013年のTED賞を受賞しています。動画は20分ほどあるので、見る時間がない人のために、WIREDが書いた記事の一部を下に引用します。

『 わたしがいまから13年前にインドで手がけた実験「Hole in the Wall」は、インドのスラムの街角にコンピューターを置いて、子どもたちに自由に使わせるというものでした。そこでわたしは、「子どもは人に教わることなく学ぶことができるか」という問いを検証しようとしたのです。結果はこうです。「何人かのグループになればそれができる」。次に出てきた問いは、コンピューターの使い方を学んだ子どもたちは何をするか、ということです。大方の予想は「ゲームなどで遊ぶだろう」というものでした。しかし、しばらくすると子どもたちはゲームに飽きて違ったことを始めます。そしてGoogleに行き当たるのです。そこで彼らは宿題の答えをGoogleで探し始めます。そこで次の問いが出てきます。「子どもたちは果たしてGoogleを通して何かを学んでいるのか」。研究の結果わかったのは、彼らは確かに学んでいるということなのです。』

(中略)
 上は実際のその写真。しかもこれ、パソコンの設定言語は英語です。インドは第二公用語が英語とはいえ、スラムの子供たちは英語がわかりません。その状況下で、自分たちで学習を進めていくのです。驚きですよね?このプロジェクトは、環境さえ整えれば、社会的階層や国籍を問わず、誰でも学習を進められることを示唆していると思います。また、主体的に学習を進めることができるので、上手く活用すれば、それぞれが自分の個性や興味に合わせた内容を学ぶことができるようになるはずです。日本で教育といえば、学校に行って、椅子に座って、黒板を写す。わからないところは塾で復習する。そんなイメージが強いのでないかと思います。皆さん、そんな勉強が好きでしたか?そんな勉強を我々は21世紀も続けていくのでしょうか?
学校不必要論
 パソコンで勉強できるのなら、学校なんかもう行かなくていいじゃん!…こういう議論もありますが、この壁の穴プロジェクトの発起人であるスガタ・ミトラ氏は、イギリスとインドにそれぞれ学校を作りました。それがSchool in the Cloud (クラウド上の学校)です。ここでは、先生が生徒に何かを教えることをしません。代わりに、先生は生徒に想像力や興味心をかきたてる質問をします。生徒がその答えを先生に教えます。その質問は先生すら答えがわからない、もしくは決まった答えがないようなものです。例えば、How do we remember and why do we forget?(我々はどのように記憶し、なぜ忘れるのか?)のようなもの。あなたは答えられますか? 生徒は、同級生と協力し、インターネットで調べ、なんとか答えを考えます。下は実際のクラスの様子。日本語字幕はありませんが、雰囲気はわかると思います。
(中略)
 ああ、なんて面白そうなんだ…。予備知識の学習をどうしているのか気になるところですが、他の動画を見るに、インターネット上のコンテンツを活用し、自主的な勉強を促しているのでしょうか。それで効果が出るのか?という疑問も浮かびますが、スガタ氏はTEDのプレゼンでこう話しています。

『周囲からこの方法はどこまで応用可能か聞かれるようになりました。そこで私は、ある非常識な提案をすることで、自ら持論を否定しようと考えました。バカバカしい仮説を立てたんです。それは「インド南部の村に住む タミル語話者の子どもたちは、コンピュータを置いておくだけでDNA複製の生命工学を英語で学ぶだろうか?」

結果は0点と予想していました。数ヶ月間コンピュータを置いておこうとも、どうせまた0点だろうから研究室へ戻り「やはり教員が必要だ」と、述べるつもりでした。インド南部のカリクパムという村にコンピュータを設置しました。DNA複製に関する様々な情報をダウンロードしておきました。私もほとんど理解できない内容でした。

子どもたちが駆け寄ってきて、
「何これ?」
「大事な面白い内容だよ。でも全部英語なんだ。」
「英語の難しい言葉や図や化学をどうやったら理解できるの?」
「見当も付かないよ。じゃ、もう行くね。笑」

数ヶ月そのままにしてテストをしたところ0点でした。その2ヶ月後も 子どもたちは 「何にもわからない」と言いました。その2ヶ月後も子どもたちは「何にもわからない」と言いました。
「まあ無理だろうね。」
「でも、何もわからないと思うまで 何日ぐらい頑張ったの?」
「あきらめてないよ。毎日見てる。」
「2ヶ月かけて何もわからないのに、何故まだ見てるの?」
「DNA分子の不適切な複製で疾患が起きること以外は何もわからないの。」
「(笑)」

そこでテストをしてみました。教育的に考えられない結果でした。0点から30点へ向上。猛暑の熱帯地域で木の下にコンピュータを2ヶ月置いただけ。 知らない言語で、10年先に習うような内容を学習してしまう、とんでもないことです。しかし、ビクトリア時代の基準では30点では落第です。合格まで上げるには あと20点必要です。

教師がいなかったので、代わりに子どもたちの遊び相手の22歳の女性会計士に頼みました。手伝ってやってほしいと言うと、彼女は「お断り」と答えました。「理科は習ったことがないし、子どもたちがあの木の下で1日中 何をやってるのかわからないから。」私はこう言いました。「お婆ちゃんになればいい」「どういうこと?」「後ろに立って、子どもたちが何をやっても 『うわーすごい!どうやったの? 次は?』 『私が皆ぐらいの頃はそんなのできなかったわ!』 と、お婆ちゃんが言うようにね。」

それを2ヶ月続けてもらったところ、成績は50点に跳ね上がりました。カリクパムの子どもたちは、ニューデリーの生命工学の先生がいる裕福な私立学校の生徒に並びました。』

どうでしょうか?スガタ氏はこれをThe Method of the Grandmotherと呼んでいました。(笑) 自己学習環境と、生徒の意欲をかきたてる仕組みがあれば、きちんと学習効果は出るのです。今の日本の教育は、教科書に書いてあることを生徒に教える、というのが主流です。皆が同じスピードで、同じ知識を習得することが求められます。小学校では、まだ習っていない漢字を勝手に使うと注意を受けることもあるそうです。

学校が不必要であるとは僕も思いません。しかし、既存の窮屈なものがこれからの時代に合っているとも思いません。21世紀はとても複雑な時代です。急激な技術革新によって、社会は猛烈に変化していきます。子供たちの多くは、大人になったとき、今はまだ存在しない仕事に就くと言われています。そんな時代だからこそ、自主的に学ぶ力、他者と協力する力、答えのない問いに答える力、ITを活用する力、そんな力が身につけられる教育にシフトチェンジすべきでないのかと僕は思います。
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コンピュータという学習環境と、意欲を掻き立ててくれるおばあちゃん、そして一緒に追求する仲間がいれば子供たちは主体的にどんどん学んでいくのです。しかも生命工学という専門分野ですら、持ち前の好奇心で合格点をとるまでになってしまうのですから驚きです。

全てがめまぐるしく変化していく時代にあって、旧態依然とした勉強は全く役に立ちません。みんなで「なんで?」「どうする?」を考え、追求していく場を実現すること。教育の最大使命はそこにあるのだと思います。

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