- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

共同保育所の歴史と現在11~たつのこ保育所2~園長のいない園

続きです。

共同保育の場合、保育はあくまで保育者が仕事として受け持つのだが、保育所の運営は保護者と一緒に行うのだ。

もちろん、フルタイムで働く母親は運営にも関わりにくい。そういう参加も全然ありだ。普通に、働く間に子供を預かってもらうためにたつのこを利用するのもあり。働いていてもパートなどフルタイムじゃなかったり時間のやりくりがつく人は、運営に関わる。運営と言っても、事務をしたり雑用をしたりといった、保育以外のあらゆる必要な作業を受け持つ。できる範囲で、できることを行う。保育まで背負うと大変なので、そこは保育者に託す。

フルタイムで働いて預けるだけの保護者も含めて、月に一回の運営会議には全員出席する。そこが共同保育の最重要な要素だ。保育所の運営を話し合う。あるいは、その時々で気になったことなどを述べる。一方的に預けるのではなく、”関与する”のがポイントだ。保育所を、一方的にサービスを受ける場だととらえずに、一緒にどうしたらいいかを考える。

驚くのは、園長はいない。いや、いるのだけど、便宜上保育士の資格を持つ保育者が順番に引き受ける。ある意味、建前上の園長。基本的に上下関係がなく、まったくフラットな関係なのだ。そこは自主保育と似ている。

たつのこ2 [1]

保育の姿勢は、”伸び伸び育てる”ということ。だから、やたらと子供たちに介入しない。基本的にほっておく。もちろん保育者は面倒を見ているのだけど、あれやっちゃダメこれやっちゃダメということではない。これも自主保育と同じだ。

だからほんとうに子供たちは伸び伸びしている。有園さんの娘さん、ななちゃんにぼくはえらくなつかれて、二回目に行った時にはもう「あ、境さんだ!」と言われた。憶えてくれたんだな。彼女もホントに自由だ。

ななちゃんが部屋の中央で”びゅーん”と飛ぶ真似をしている。可愛らしい。

ちなみにこんな感じの、はっきりいっておんぼろな家を園舎に使っている。狭いし、古い。でも子供たちは楽しそうだ。

小さな小さな庭で、泥んこ遊びをしている。きちゃなくなる。でも子供たちは気にしない。保育者も保護者も、ニコニコとその姿を見つめている。

有園さんは、力説する。ここはホントに素晴らしい!彼女はご主人の仕事の都合でこの街を離れるところだったのを、説得して居続けたのだそうだ。それくらい、離れられない。

「普通の保育園は”つるっとした”ものを求めるじゃないですか。」と彼女は言う。ものすごく抽象的な表現だが、なんというか、便利だけど無味乾燥で血の通っていない様子を”つるっとした”と言っているようだ。

「”つるっとした”ものを求めると、ホントのものにならないんですよ。たつのこは違うんです。つるっとしてない。手もかかる。時間もかかる。そんなやり方にみんなで取り組んでいるんです」熱く熱く語る中から、理屈じゃなく伝わってくるものがある。

保育者の一人、信安直美さんとも話ができた。なんと!彼女は自分の子供たちは野毛風の子で自主保育で育てたのだと言う。自主保育の楽しさ温かさが忘れられず、子供たちが育ってからも関わりたいと思っていたらたつのこと出会い、保護者ではなく保育者の立場で関わることにしたのだそうだ。そして今度、保育士の資格を取ろうとしているのだと言う。その情熱にまたびっくりした。

自主保育を取材した時、母親たちが自分で保育することと、その伸び伸びした育て方に、保育の理想かもしれないと感じた。ただ自主保育はフルタイムのワーキングマザーには参加できない。

“共同保育”は、保育者を保育の中心に据えつつ、手伝う保護者と、預けるワーキングマザーと、うまく役割分担できている。だったら、これが理想的なんじゃないのだろうか?つるっとした、とにかく子供をきちんと預かってくれればいいサービスを求めるなら普通の保育所がいいわけだが、でも少しでも参加意識を持ちたいなら、共同保育はいい選択肢になるだろう。

自主保育の取材でも感じたのだが、保育とは普通のサービスではないのだと思う。そんな”つるっとした”言葉では包みきれない、もっとデリケートでまた非合理的なものだ。預ける側と預かる側に心が通いあい、ピュアに信頼しあえる”同士”のような関係が成立しないと本来はうまくいかないのだ。先日のベビーシッターの事件も、ポイントはそこにあるのではないか。

共同保育所はたつのこ以外にもあるそうだ。興味を持った方は近くにあるか探してみるといいと思う。共同保育は、自主保育とともに、今後も追っていこうと思う。

自主保育って何だ?

[2] [3] [4]