- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

これからの社会をつくっていける人を育てる~義務教育に代わる新教育の可能性

画一的な学校の時代は終わった・・・ではこれからの時代、どのような教育、どのような場が必要になっていくのでしょう?

新しい教育法として、モンテッソーリ、シュタイナー、フレネ、イエナ・プラン、ダルトン・プランなどさまざまな教育法が提起されています。各々の特徴はありますが、共通しているのは画一的、強制的な教育から子どもの自発性を尊重する教育スタイルであることです。

日本にもこれら教育法を実践する学校があり、これからの教育のあり方として注目されています。ところがこれらの教育法はどれも1900年台初頭にヨーロッパ発で提起されたもので、決して新しい考えではありません。

日本でも大正時代にダルトン・プランが成城小学校に導入されるなど、古い歴史があります。(日本の新教育はその後軍部の圧力で潰されてしまいますが・・)

今改めて注目される教育法。今回はその誕生の背景を見てみましょう。

以下(http://altjp.net/classification/article/83)より引用します。
—————————————-
世界各国で義務教育が普及したのは、19世紀の後半から20世紀の初頭でした。この時代に、日本だけでなく世界各国で義務教育が普及しています。義務教育がほぼ全員に対して行われるようになったのは、先進国でも、20世紀初頭くらいの時期です。

就学率が高まるとともに、学校の強制的で画一的な教育が広まりました。

しかし、画一的な詰め込み教育に対して反省の声もあがるようになります。19世紀の末頃から、「新教育運動」と呼ばれる、子どもの自主性と自発性を尊重する教育運動がヨーロッパで生まれ、世界中に広がります。

現在のオルタナティブ教育の多くは、その流れの中から20世紀初頭、とくに1920年代に集中的に出現しています。

その頃は大きな社会変化があった時代でした。それ以前の農村社会から、都会の工場や事務所で多くの人が働くようになった時代でした。親の生き方を真似させるだけでは子どもが生きていけない。それゆえ子どもが社会で生きていけるようにするために、計算や文字を教え、集団行動を訓練し、工場や事務所に適応することを教えることが、教育の中心課題となりました。

それに対し、オルタナティブ教育を創始した人たちは、画一的な注入と訓練を行う教育では、個人も幸福になれないし、社会も問題の多いものになると見て、新しい教育を創り出そうとしました。

現在まで続いているオルタナティブ教育の生まれた年は、次の通りです。

1907年、モンテッソーリ教育
1919年、シュタイナー教育
1920年、フレネ教育
1920年、ダルトン・プラン教育
1923年、サマーヒル校
1926年、イエナプラン教育
1926年、クリシュナムルティ・スクール

オルタナティブ教育が生まれてきたのには、もう一つの大きな理由がありました。それは、第一次世界大戦(1914~1919)の惨劇でした。

20世紀初頭の人々は、文明が発達し教育が普及してほんとうに平和な世界がやってくることを信じていました。しかし、実際に起こったのは科学技術と産業力をあげての大量殺戮でした。どの国も、戦意昂揚と敵愾心をあおるプロパガンダを行いました。その熱狂の前に、知性と教養は無力でした。第一次大戦は社会の基盤そのものを揺るがし、旧き良きヨーロッパ社会は崩壊しました。

戦争が終わったとき、だれもが平和な世界を望みました。その中でも聡明な人たちは、単に平和や協調を説くことでは暴力的な社会は変わらないことを見抜きました。教育から始めないといけない、そのことを洞察した人たちが、新しい教育を興しました。

オルタナティブ教育には、ある一つの特徴があります。それは「平和を教える」のではなく「平和に教える」ことです。結論の押しつけ、競争による序列付け、賞罰による動機付けなどを、暴力的なものと見ているのです。平和の礎を、子どもを一人の人間として、その尊厳を尊重するところに置こうとしているのです。
——————————————–
ヨーロッパでは産業革命以降に学校教育の制度が始まります。それは質の高い労働者と、規律を守る兵士を育てるための教育でした。

その結果、産業では世界を制覇するほどの発展を遂げると同時に戦争に突き進み、社会は壊滅状態になったのでした。ヨーロッパの人々が社会の再興をかけて新しい教育の可能性を追求したことは想像に難くありません。

とはいえ市場の拡大はその後も続き、従来の学校教育制度が主流のまま新教育の流れが細々とつながってきたというのが現実のようです。

そして現在、市場の拡大は限界を迎え縮小過程に入っています。環境破壊や人々の精神破壊が社会の存続を脅かす危機として立ちはだかっています。まさに社会の再興をかけた新教育の実現が喫緊の課題になっているのです。

有能な労働者でも規律正しい兵士でもない、これからの社会をつくっていくことのできる人を育てること。これが新教育にかける私たちの期待なのだと思います。

 

[1] [2] [3]