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西洋と日本の子供観の違い~世界観の違いが子供への接し方も変えていく

ヨーロッパでは中世まで子供という概念はなく「小さな大人」という存在だったとか。人間として未熟な存在で、厳しく接しながら全うな大人にしていくべき存在だったといいます。

一方日本では、山上憶良が「銀も金も玉も何せんに、勝れる宝子に及かめやも」と唄ったように子供は神の子、大切に育てるべきものという「子宝思想」がありました。

今でもおじいちゃんやおばあちゃんは、小さな子供を見ると「子どもは宝物」と目を細める姿を見ますが、古くからある子供観は、現在の私たちの子供たちへの接し方に色濃く残っているのだと思います。

今回はそんな子供観の西洋と東西の違いについてみてみましょう。

以下(http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/3085/1/yoji157380.pdf)より引用します。
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近の日本の育児で時折話題にあがるようになったSwaddlingも、日本では見られない育児習慣であった。これは赤ん坊の顔だけ出して、手足をまっすぐに伸ばし、頭からつま先まで布でぐるぐる巻きにするものである。
Orthopaedics(子どもの矯正)という言葉は、Ortho(right or straight:正しくorまっすぐに)+Paedic(rearing
ofchildren:子育て)の2つの言葉から成り立っているが、まさにこのSwaddlingにみられる身体の矯正、理想的な形へのこだわりの背景には、「理想的な身体を待った理想的な人間」を想定している社会がある。人間であることは4つ足で歩かないということを意味し、17世紀フランスでは、ハイハイをさせないために歩き始めるぎりぎりまでSwaddlimgをしておき、すぐに歩行器に入れていたようだ。人と動物の差別化が重要なのだ。
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どうも西洋では自然に近い存在である子供を「人」以下の存在、動物に近い存在としてみていたようです。しつけて全うな人に育てるのが彼の地の子育てたったのです。
では、日本はどうでしょう。
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「子どもは神からの授かりもの」という日本の考え方をよくあらわしているのが、神社へのお宮参りの風習であろう。「七つまでは神の子」と言われた日本の子ども観が前提とするのは、子どもは神の世界からのまれびと(客人)に近い存在であり、人間の乳幼児は魂が不安定であるため、厳しくしつけてはならない、ましてや体罰や虐待を加えてはしまえば、その子の魂が飛び去り、神の国へ戻ってしまう、という考え方である。

明治時代に日本へやってきたモースは、日本の親子関係と赤ん坊の生活について、次のように記録している。
「子どもを背負うということは、至る処で見られる。婦人が五人いれば四人まで、子供が六人いれば五人までが、必す赤坊を背負っていることは誠に著しく目につく。時としては、背負う者が両手を後ろに廻して赤坊を支え、又ある時に赤坊が両足を前につき出して馬に乗るような格好をしている。赤坊が泣き叫ぶのを聞くことは、めったになく、又私はいま迄の所、お母さんが赤坊に対して癇癪をおこしているのを一度も見ていない。

私は世界中に日本ほど赤坊のために尽す国はなく、また日本の赤坊ほどよい赤坊は世界中にないと確信する」
モースの記録からは、日本の社会では、子どもの生活が中心にすえられ生活していた様子が伺われる。ここには先に見たHarnessのような発想は毛頭なく、子どもの身体を正しい形に縛って強制するSwaddlingの考えとは対極にあるような子どもの身体観ではないだろうか。
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日本では、子供は神の子からだんだん人になっていくという捉え方です。西洋のキリスト教で、人は原罪を背負って生まれ出るという考えとは正反対の捉え方です。

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別の言い方をすれば、子どもの安全・無病息災を願うお宮参りと、キリスト教での洗礼との違いに、欧米と日本との間の子ども間の大きな違いをみることができるのではないだろうか。

洗礼は、原罪を持つ子どもを神の前で清めることで、けがれていない子どものスタートを記すものである。人は生まれながらに罪と心労(SinandCare)を持って生まれてくると考えられており、17世紀ピューリタン牧師RalphJosselin(1616-1683)の日記には、洗礼の意義について、「子どもは生まれつき堕落していて、神や大人に対して反抗的であるので、それを最初に叩き壊しておく必要があること」を記し、同じようにピューリタン牧師であるMatherも、「子どもは生まれながらに道を誤るもの」6であることを記している。またメソジスト協会創始者の母であるSusannaWesleyの子育ての助言(1732)には、乳幼児の躾について、具体的に次のように書いている。

「子どもが1歳になる前に、鞭で叩かれることは怖いことだということと、小さな声で泣くことを教えなくてはなりません。…そうしていくと、あの最も嫌な音、赤ん坊の泣き声が、家の中に鳴り響くということがめったになくなります。私たち家族は、まるで子どもが居ないような静けさの中で、過ごすことができるのです」

これらから分かることは、子どもには生まれたときから、厳しく規範意識を植え付ける必要があり、道徳的な生活を行うことで、救済を実現しようと考えていたことがよく分かる。また子育ての助言からは、赤ん坊の泣き声すら、大人の生活空間に入れさせないほどに、子どもと大人の世界の距離の遠さがうかがえる。子どもは大人の世界に入ってきてはならないのだ。

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なんとも厳しい子供への接し方ですね。

人が頂点に立ち、自然や動物を支配する西洋の世界観と、人も自然の一部であり、万物に神が宿るとする日本の世界観が、子供への接し方にも明確に表れています。

西洋のキリスト教、日本の八百万神。自然や動物を支配してきた遊牧民族と自然の恵みに感謝してきた採取民族。それぞれに長い歴史を通して形成されてきた世界観。現在の私たちが子供たちとどう接したらいいかを考えるとき、こうした歴史を顧みることも大切なのではないでしょうか。

 

 

 

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