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試験は当たり前?~思考力を剥奪してきた日本の試験制度

前回はヘアーインディアンは「教える」「教わる」と言う意識がない、とうお話を紹介しましたが、現在の日本はというとまさに教育漬け。

小学校から大学まで数えると16年間も教え、教わり続けているのです。親の世代はこの教育制度の中で育ってきたので、当たり前のように子供にも同じことを求めています。

しかしこの教育制度、視点を変えてみるとかなり歪なものです。今回は日本の教育、ことにその中核になる試験制度に焦点を当ててみましょう。

以下(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=318806)より引用します。
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6・3・3・4の長きわたり、子育ての全権を掌握している学校(政府・官庁)が、半植民地体制、官僚制、思考力のはく奪を維持していることが歴史を調べることでだんだん明白になってきましたが、そのためには試験制度というのは非常に効率の良いものであると思われます。

まず、小学生のころから将来の受験を意識させるために、内申書の評定がその子の全人格的な価値であると信じさせる。そのためには学期ごとの通知表だけでは日々の統率ができないので定期的なテストを実施する。定期テストで良い成績を取らせるために週末テストなどの小テストを実施する。その小テストで良い成績を取らせるために宿題を課す。またテストを目的とした授業を毎日5,6時間する。

①これによって、目的意識は最長12年後の大学入試になり、その間の子どもの現実は空洞化する。つまり、最長で、小中高校の12年間は通過点になってしまう。その間、子どもたちは何かしらの代償充足を強いられる。

②代償充足その1として、達成感を与えるために、テストが存在する。つまりテストには管理の側面と代償充足の側面がある。

③代償充足その2として、テレビやネットやスマホなどがあるので、ストレスが大きいほど長時間になる。つまりネットには繋がり目的と代償充足目的がある。(使用目的による)

④核家族化、住民番号、個人情報管理、GPSなど政府・官庁は社会を個人に分断して集中管理するベクトルを持つ。そのためには母親の健康管理~母子手帳を開始点とする、子どもの成長と子育ての過程を記録化し、履歴化する必要がある。

⑤ ①で空洞化した子どもの現実をテスト現実で埋め尽くす。一世代経るとその子が親になり、テスト現実が偽の普遍現実として君臨し犯すことのできない聖域・聖典化する。ここに至るとテスト教条主義化して、小手先のテスト改革はあっても試験制度そのものの要不要を検討することが激減する。≒教育機関の思考停止。

⑥日々の管理努力として、大学の業績だけを教科書(教科)に取り上げる。実際ほとんど会社の業績や庶民の業績について教えられることはない。また、戦前までの日本の歴史も、権力の歴史や特別な身分の文化の歴史に偏った内容を教える。とくに管理の難しい生殖課題については歴史ではまったく触れず、理科、保健体育、家庭科の数ページにとどまる。

少し考えただけでも、大変言葉は悪いですが、もはや観念を悪用した飼育に近い状態になっているとさえ言えます。
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冷静に振り返ってみると、学校生活の日常は試験の繰り返しだったことがわかります。試験のために勉強し、いい点を取るために勉強し、いい大学に入るために勉強する。

好奇心や探究心とは無縁の世界で、最も柔軟に何でも吸収できる時代を試験漬けで育ってきたのです。テストに出ることを勉強する・・・現代の試験制度がいかに現実課題と乖離し、私たちの思考をゆがめているかを知り、日本の教育を変えていかねばならないときがきているのだと思います。

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