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ヘヤーインディアンの社会では、「教える」「教えられる」と言う意識が全くない。

現代の「教える教育」は、暗記脳をつくるだけで考える力を逆に削いでいるのではないか?

近代教育制度に疑問を抱いていましたが、そもそも「教える」「教えられる」と言う意識が全くない人々がいるそうです。

今回はそんなヘアーインディアンの「意識」について紹介します。

以下(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=237145)より引用します。
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ヘヤーインディアンの社会では、「教える」「教えられる」と言う意識が全くない。それどころか、「だれだれから教えてもらう、習う」と言う言葉がヘヤー語=観念体系として存在していない。よって、「師弟関係」も存在しない。

ヘヤー文化の基盤には「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という大前提が横たわっており、人間に対して指示を与えることの出来るものは、守護霊(=精霊信仰における精霊観念)だけであると考えられている。この為、「教えよう」「教えられよう」とする意識や観念体系が存在していないのだと考えられる。

ヘヤーの社会において、物事は人の行動を注意深く観察し、同化することで自然と身につくことであると考えられている。例えば、自分のまわりにいる友人や従兄弟や兄弟達の猟の仕方、皮のなめし方、火のつけ方、まきの割り方などをじっくり観察することで、男の子は猟の仕方を、女の子は皮のなめし方などを身につける。その同化能力は非常に高く、「子どもの文化人類学」の著者、原ひろ子女史によれば、自身が作った料理を、次の日にはヘヤーインディアンの女性が全く同じように配膳してあり、大変驚いたと言う。

更に着目すべきは、同化に対する不可能視の無さにある。
ヘヤー社会では、「誰かが出来ていることは、自らにも必ず出来る」と言う意識が存在している。その為、(誰かを真似て)初めての行動を行う際にも「不可能視」が介在し得ない。
原ひろ子女史は、ヘヤー社会で1962年にフィールドワークを行っているが、その際、厳しい冬を乗り越えられるか不安になり、雪の上を移動する「かんじき」の使い方を身につけるべく、夏~秋の間に皆に教えてもらえるようにお願いした。
しかし、皆、口を揃えて「こんなことは、冬が来て、雪が降って、はいてみればわかる。そして歩けばわかる」と言うのみで、誰も教えてくれなかったらしい。(その後、原ひろ子女史は必至で皆のかんじきの使い方を観察し、身につけることになった)
ヘヤーインディアンには同化に対する不可能視が無いからこそ、誰かが出来ていることに対しては、(己も)「やれば解る」「やれば出来る」となる様である。

考えてみれば、ヘヤー社会で無くても、子どもは「万能観」の固まりで、「不可能視」と言うものがない。自身の子どもを見ていても、(無謀にも)いろんなことを「(自分も)やってみる」と、大人のやることを真似てどんんどんチャレンジしていく。
本来的に「同化」には「不可能視」など介在しえず、「同化するだけ」「やってみるだけ」と言うのが本質なのかもしれない。(当然同化過程における試行錯誤はあるが、それは「不可能視」ではなく、必ず出来ると思っているからこその試行錯誤と言えるだろう)

一方で、「教える」「教えてもらう」と言う意識の根っこには、本質的に「不可能視」が存在しているのではないかと感じる。相手が”出来ない”ことを前提としているからこそ、「教える」必要があり、同時に自分は”出来ない”ことを前提としているからこそ「教えてもらう」必要がある。
「教える」「教えてもらう」と言う教育観を前提とした時点で、「不可能視」が介在し、あらゆる可能性に蓋をすると言っても過言ではないかもしれない。

ヘヤーに限らず共同体社会において広く見られる”同化教育”においては「不可能視」が生じ得ないが、「教える」「教えてもらう」ことを前提とした近代教育制度の下では、子どものころから「不可能視」が刻まれる。
当然、そのような「不可能視」は外圧に対する突破力に対して大きな影響を与える。
このように考えてくると、「教える」「教えてもらう」を前提とした近代教育制度は、致命的な欠陥を孕んでいるように感じる。
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確かにこどものころは「できる」「できない」の前に、とにかく「やってみる」だったと思います。その前提にあるのが「可能性発」の意識。
ところが、教育という名のもとで「教える」「教えられる」ことを続けるうちに、「できない」とか「どうせ無理」という「不可能視」に染まっていってしまうのかもしれません。

大人になっても「可能性発」で徹底的に相手に同化して何でもやってみる・・・ヘアーインディアンに学ぶべき点はいろいろとありそうです。

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