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江戸の学校教育~生まれながらの好奇心や探究心を持ち続けていれば、人は自ずと学び追求し続ける。

子供が本来もっている好奇心や探究心。

それが大きくなるにつれてどんどん萎んでいく原因はどうも学校制度にあるようです。

決められた教科書で、その範囲にあることを教わり、覚えたかどうかをテストされ、いい点を取るために努力する・・・小学校に入って学びが強制的になり、自発的な好奇心や探究心に蓋をされてしまうからです。

現在は「義務教育」とされていますが、そんなものないほうがよっぽどいいのでは?と思っていたら、江戸時代の日本がそうでした。

今回は世界一の就学率・識字率を誇っていた江戸時代の学校教育を紹介します。


(http://www.nipponnosekaiichi.com/mind_culture/literacy_rate.html)より引用します。

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江戸時代の日本は、庶民の就学率、識字率はともに世界一だった。
嘉永年間(1850年頃)の江戸の就学率は70~86%で、裏長屋に住む子供でも手習いへ行かない子供は男女ともほとんどいなかったという。
また、日本橋、赤坂、本郷などの地域では、男子よりも女子の修学数の方が多かったという記録もある。

もちろん、寺子屋は義務教育ではない。寺子屋制度は、庶民自身の主体的な熱意で自然発生した世界的にも稀有なものだった。
当時の日本は、重要なことは役所や国がやるべきだなどという発想はなく、自分にとって重要であるならば、自分たちで自治的に運営するのが当たり前という感覚を持っていた。

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義務教育などなかった時代に、人々は自主的に学びの場をつくり、世界一の教育水準を実現していたのです。その実態は、多くの外国人が日本人の識字率の高さに驚嘆し、記録を残していることからもわかります。

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1853(嘉永3)年に黒船を率いてアメリカからやって来たペリー提督は、日記(『日本遠征記』)に日本について「読み書きが普及していて、見聞を得ることに熱心である」と記している。
ペリーは日本の田舎にまでも本屋があることや、日本人の本好きと識字率の高さに驚いた。
<『日本絶賛語録』(村岡正明著、小学館)より>
トロイアの遺跡発掘で有名なドイツのシュリーマンは、1865(慶応元)年に日本を訪れた時の印象を、著書で次のように記した。「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」<『シュリーマン旅行記 清国・日本』(ハインリッヒ・シュリーマン著、講談社学術文庫)より>
また、1860(万延元)年に日本との間に通商条約を結ぶために来日したプロイセン海軍のラインホルト・ヴェルナー(エルベ号艦長)は、航海記で次のように述べた。
「子供の就学年齢はおそく7歳あるいは8歳だが、彼らはそれだけますます迅速に学習する。民衆の学校教育は、中国よりも普及している。
中国では民衆の中でほとんどの場合、男子だけが就学しているのと違い、日本ではたしかに学校といっても中国同様私立校しかないものの、女子も学んでいる。日本では、召使い女がたがいに親しい友達に手紙を書くために、余暇を利用し、ボロをまとった肉体労働者でも、読み書きができることでわれわれを驚かす。民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は、全体の1%にすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか?」<『エルベ号艦長幕末記』(ラインホルト・ヴェルナー著、新人物往来社)より>

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読み書きそろばん、孔子を学び、和算と言われた数学を趣味にする人も多くいたとか。江戸時代の人々は、義務ではなく、必要なこと、興味のあることを自発的に学ぶ姿勢をもっていたのです。

生まれながらの好奇心や探究心を持ち続けていれば、人は自ずと学び追求し続ける存在。それを義務化する必要など微塵もないのです。

 

 

 

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