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家族って何?~近代家族は子育てに最もふさわしくないかたち。

『この「家族」なるもの、昭和~平成と時代が下るにつれてさまざまな矛盾が噴出してきます。離婚の増加、虐待、DV、引きこもり、介護の重圧・・・』

明治期に始まった日本の「家族」。そこには構造的な大きな問題が潜んでいそうです。当ブログのメインテーマのひとつである「子育て」に対しても近代家族は大きな影響を与えてきました。

まずは近代家族の中で何が起こっていたのか?から見ていきましょう。

以下(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjoffamilysociology/21/1/21_1_7/_pdf)より引用します。
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近代家族は子育てに適しているのか?
●人とかかわる力の弱まり
性や年齢、立場の異なるさまざまな人と接することで、子供は情緒や言語や社会性などを発達させていくのであるが、母親以外にほとんど接する人が少ない家庭の中では、子供は母親にとってのよい子であればよく、コミュニケーションの能力を育てることが難しくなる。子供が言葉を学習しなければならない重要な時期に、母親も子供も言葉を使わない文化的にたいへん貧しい環境で過ごすのである。家族が小さくなっていることに根ざす、子供たちの人とかかわる力の弱まりは著しい。相手の気持ちがわからない、自分の気持ちを相手に伝えられない、引きこもる、といったコミュ二ケーション能力の低下や言語能力の低下とこれらのいじめや不登校やなどの社会問題を生み出す温床となっている。

●消費の場となった家庭
雇用者家族の子供たちは家庭の周辺で親の仕事をする姿を見ることもなく、仕事から疲れて帰ってきて休息する父親の姿を見るだけとなった。(中略)サラリーマンの親の子供は、親の仕事を継ぐこともなくなり、親から仕事を教えてもらうこともなくなった。農地やのれんなど譲り渡すものがないサラリーマンの親は、親の満たされなかった職業への願望を、我が子に託すのである。良い学校を出て良い職業につかせることが父親の役目となり、子どもの学校の成績を上げることが家庭教育の目標となってしまうのである。家庭の学校化である。

●閉じられた家庭の怖さ
戦後の家族は、農業の衰退とともに都会へ移動し、孤立化し、地域の人々とかかわりなく、マイホームとわが子の世界に閉じこもってしまった。
地域社会の眼から自由になった近代家族は、わが家、わが子意識で閉じられ、完全な私的空間となり、子供にとって抑圧的な場所となる恐ろしい側面さえもつに至る。(中略)文化的な貧困や家族間の暴力や身体的、精神的虐待があっても、子供は家庭から抜け出すことはできない。時には虐待によって家族の中で命を落とす子供さえある。抑圧とストレスの中におかれたときに、子供はその柔軟な適応力をもって、意識的・無意識的に静かに抑圧に耐え続けたりするのである。
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密室家庭の中でも、子供は何とか適応しようと抑圧に耐え続け・・・と考えると、やるせない気持ちになります。近代家族は子育ての環境としては最もふさわしくない形だといえるのではないでしょうか。

ただこれだけ多くの問題を孕んだ近代家族、当然長続きするわけはなく、家族のかたちは大きく変化してきています。

以下(http://blog.miraikan.jst.go.jp/event/20160318211-3.html)より引用します。
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一般的な家族構成と言えば、みなさんはどんなかたちが思い浮かびますか?モデル的によく表されるのは、両親とその子どもだけで構成される”核家族”です。しかし、松尾先生が示されたデータ(平成22年度国勢調査)によると、全国に単独世帯は約1万7000世帯あり、これは全世帯の32.4%を占めるそうです。一方で標準的と考えられている夫婦と子どもからなる世帯は27.9%であり、実は単独世帯の方がかなり多いのです。しかも、この27.9%の中には、30歳~45歳の未婚男女とその親という世帯も増えていて、世帯構成だけでなく核家族の内実も変わってきています。
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家族形態をざっとあげても、3世代同居、核家族(両親と子供)、高齢者夫婦、母子家庭・父子家庭、別居家族、単身家族(?)とさまざま。家族のかたちも多様化・・などといいますが、実態は近代家族の崩壊過程であり、先行きが見えない状態になっているのだと思います。そんな中、私たち自身も「家族」のあり方を考えなければならない時にきているのかも知れません。

新しい動きでは、ルームシェアやハウスシェアなど、従来の家族関係に縛られない繋がりも増えてきています。また子供から高齢者まで多世代の共助住宅「ナガヤタワー」(http://www.nishinippon.co.jp/feature/life_topics/article/69416)の試みなどもあります。しかしまだ個人の集まり、家族の集まりにとどまっており、新たな家族像は見えてきません。

現代は、子供を生み育てるなら結婚、そして家庭という普遍法則があります。この家庭が子育てに最も適していない、というのはなんとも皮肉なことですが、これも近代の家族といかたちしか知らない故の不幸なのかも知れません。

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多くの国や地域における伝統社会では、父と子に必ずしも血のつながりは必要でなく、例えばヤップ島の事例に出てきた精霊のように、それぞれの社会が持つ何らかのつながりが父と子を結びつけています。つまり社会的な父の方が生物的な父よりも重要とされているのです。
一方で、精子や卵子が親子のつながりをあらわすという考え方は、実は近代の西洋社会で生まれた考え方であって、世界の当たり前ではありません。
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そもそも家族とは文化人類学では「居住の共同、経済的協働、生殖によって特徴付けられる社会集団」と定義されています。ひらたく言うと「住むところと家計をともにし、一緒に子どもを産み育てる人たちの集まり」です。

一旦、従来の「家族」という固定観念を取り去り、大切な子育て環境をどう実現していくかを考えていく先に、あらたな家族像が見えてくるかもしれません。

次回は西洋の家族観から脱して、自然な、当たり前の家族のかたちについて考えてみたいと思います。

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