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家族ってなに?~今私たちが経験しているのは、明治時代につくられた「家族」。

「母性」「子供」「学校」「家族」は同時期に誕生した。

いきなり何のことかとお思いでしょうが、これらはすべて明治期につくられた言葉、概念なのだそうです。

たとえば
『「家族」という概念が日本にやって来たのは、明治時代のことだという。明治時代は西暦1868?1912年。100年ちょっと前、という感覚だ。familyの翻訳語として「家族」が誕生する以前の日本では、社会の最小単位は「家族」ではなかった……いま現在の私たちが経験している「家族」は、歴史的には特殊な(そして新種の)、存在の一形態に過ぎない』(http://news.biglobe.ne.jp/trend/0715/mes_150715_9764101004.html)

現代の私たちにとって、唯一無二、固い絆で結ばれている「家族」なるものが歴史的には特殊な存在だというのです。

一体何があったのか?もうすこし詳しく見ていきましょう。

以下(http://muse-a-muse.seesaa.net/article/429041084.html)より引用します。
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たとえば日本なんかにおいて「家族」という概念は明治以降に導入され、それは国民国家の誕生と期を同じくする。すなわち国民国家が「家族」なる単位を必要とし設定・普及したということ。それ以前は村落共同体的なところでいちおう世帯ごとに別れていつつも「村全体」という意識があった。プライバシーがあまりない反面、たとえば「子どもは村全体で育てる」みたいな感じだったり(cf.なので祭りの乱交時に生まれた子は子種が誰かわからなくても育てるとかふつーにあったのだろう)。

現在のような家族観、「他からはプライバシー的に分ける」ことを当然とした近代家族の家族観からだと考えにくいかもだけど、家族、というか共同体というのはまずもって生存のためにあって、そのためいろんなものを分けあっていた。なので生存-食料の確保なんかが一義にありプライバシー、プライベートみたいな感じはあまりなかった。
(中略)
つまり家族、あるいは生活を共にする共同体というのはもともと食料を確保するために生計を一にする目的のものだった。前近代社会のひとびとは「家族」という世帯のなかではなく、共同体規制のなかで生きていた。
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ではなぜ国家が家族という単位を必要としたか?というとひとくちには税のためといえるだろう。当時のヨーロッパに倣って国民国家がなんとなく有効だと判断した明治政府は「国民」を創設し把握するための単位として家族、より正確に言えば世帯を導入した。それによって国民国家的には皆兵が可能に。税収もぶらさがっていったのだろう。
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旧来の村落共同体に比べ、家族は世帯ごとに切り離され、村落共同体がゆるやかに担っていた福祉の役割は国家が担うようになった。家族は共同体から分離され国家に直接に接続されていった。そこでは「男は仕事に行って(税収を)稼ぎ、社会的再生産に寄与し、女は家庭を守る(産み育てる)」という性別役割分業が当然とされていった。その際に導入されたイデオロギーが恋愛(ロマンティック・ラブ)であったり、「良い母」的な母性イデオロギーだった。これらは国家によって直接宣伝されたとは言いがたいがゆるやかに社会の当然・通念となっていった。
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私たちが考えている「家族」はヨーロッパから輸入されたものだったのです。しかも家族の前提となる恋愛結婚や、家庭における母親像も合わせた3点セットで。
しかもこれらはイデオロギー~「かくあるべし」という価値観として社会に浸透していったところからして、それまでの生活文化や共同体社会とは異質の人工的なものだったのです。

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ロマンティック・ラブイデオロギーとは、「一生に一度の恋に落ちた男女が結婚し、子供を産み育て添い遂げる」、つまり愛と性と生殖とが結婚を媒介とすることによって一体化されたものである。結婚を媒介としてこの三点が揃っていることが求められたため、愛のない結婚、愛の無いセックス、結婚につながらない性交渉、結婚してない婚外婚の性、婚姻外で生まれる婚外子、愛している相手の子供がいらないと感じること、結婚しているにもかかわらず子供をつくらないことなどが不自然であると考えられ、非難の対象とされてきた。

母性イデオロギーとは、母親は子供を愛するべきだ、また子供にとって母親の愛情にまさるものはないという考え方のことである。「三歳までは母親が子供を育てるべきで、そうしないと子供に取り返しの付かない影響を与える」という「三歳児神話」などはこれに含まれるだろう。

家族イデオロギーとは、家庭を親密な、このうえなく大切なものとする考え方である。どんなに貧しくても、自分たちの家族が一番である、家族はみな仲がよいはずだという、「狭いながらも楽しい我が家」という表現にみられるような、家族の親密性に関わる規範である。

日本における母性イデオロギーは「良妻賢母」規範としてあらわれた。良妻賢母規範というと江戸時代からある儒教規範と思われがちだが、そうではない。「良妻賢母」という言葉も、「恋愛」という言葉と同様に、明治に入ってつくられた。1870年代には賢母良妻といわれ、90年代に良妻賢母という言葉に落ち着く。これは、家庭を守って夫を支え、なによりも次世代の「国民」を育成するという、母に寄る教育が大きな位置を占める規範だった。

「家庭」という言葉は明治20年代からもてはやされ、雑誌などであるべき規範となる。そして実際に大正期になるとその「家庭」の理想 ―「一家団欒」、「家庭の和楽」を実現することが可能な新中間層が現実に出現してきていた(小山、1999)。「家庭」とは、ある意味で新中間層的な刻印を推された家族のあるべき理想像となった。
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恋愛も、母性も、家族も、「かくあるべし」という価値観を無理やり導入したわけですから現実とすり合わず矛盾が出てくるのも当然でしょう。

そもそもヨーロッパの「家族」は、徹底した「個人主義」をベースにしたもの。彼の地では幾たびもの略奪・戦争で共同体が破壊され、バラバラの「個人」の集合となってしまいました。でもそれでは国家として統合できないので、共同体に代わって個人をまとめる最小の集団単位=家族をつくりあげる必要があったのです。

この「家族」なるもの、昭和~平成と時代が下るにつれてさまざまな矛盾が噴出してきます。離婚の増加、虐待、DV、引きこもり、介護の重圧・・・
また一方で単身者が増え、これまでの「家族」の形にも変化が現れ始めています。
次回は、これからの家族について考えみたいと思います。

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