- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

日本には「親」がいっぱいいた!~仮親、換え子制で先人たちが実現してきたこと

「親」といえば、皆さんは自分の「お父さん」「お母さん」を思い浮かべると思います。
でも日本には「産みの親」、「育ての親」、「名付け親」などいろいろな「親」がありました。また現在でも「義理の親」とか「相撲部屋のおかみさんは母親代わり」とか幅広いつかわれ方がされています。民俗学的にも、日本には、「実親」(=産みの親)以外の親子関係がたくさんあり、重要な意味を持っていたといわれています。

最近は、親が子を、子が親を殺めるような痛ましい事件がニュースになっていますが、実親だけを唯一の親子関係とする閉鎖性や、他の人たちが関われない密室性が、大きな背景としてに横たわっているように思います。

親だけでは子育てが難しい時代。これは現代に限らず太古の昔から人類が直面し克服してきた課題です。(「子育ての生物学~人類は「群れ」で子供を育ててきた」http://web.kansya.jp.net/blog/2016/04/4951.htmlも読んでみてください)

私たち日本人はそれをどう乗り越えてきたのか?
今回は、何でも親子にしてしまったおおらかな(それでいて理にかなった)日本の親子関係から探ってみましょう。

まずは日本にあった日本の仮親制度から。
とにかく何でも親にしてしまうから驚きです。

以下(http://higanzakura.blog107.fc2.com/blog-entry-111.html)より引用します。
———————————————
江戸時代の人々は、親だけでの子育ては難しいことをわかっていて、地域全体での子育て体制を作っていたという。

医療も発達していない時代で乳幼児の死亡率も高く、子どもを立派に成長させることは大変だった。
そのため、成長の節目節目の通過儀礼を大切にして、地域全体で子どもを見守る体制を作っていたが、それが「仮親」である。

これは、一人の子どもに、義理の親として何人もの大人が関わって地域社会の「絆」を深め、生涯にわたって子どもを見守っていくというものである。

「仮親」は、妊娠中に「岩田帯」を送る《帯親》からはじまり、出産に立ち会い、へその緒を切る《取り上げ親》(産婆とは別)、出産直後に抱き上げる《抱き親》、名前を付ける《名付け親》、赤ん坊を初めて戸外へ連れ出して行き会った人を《行き会い親》、赤ん坊が丈夫に育つように形式的に捨て、それを拾って育てる《拾い親》→後日、実の親が貰い受けるなど等、さらに成人するまでには何人もの仮親がいて、最後は結婚時の仲人まで親が存在していた。

そして、これらの親たちは、子どものセーフティーネットとして、生涯にわたって見守る役目を持っていたという。
———————————————
子供が成人するまでの節目節目で定められ、多くの大人たちが子供の成長に寄り添い、見守っていく仮親制度。
子供からすればたくさんの親がいて、産みの親と喧嘩したときは名付け親に相談にいったりできたかも。子育てに悩むお母さんも、仮親ネットワークがあればなにかと安心だったことでしょう。

そしてさらには、江戸後期、今の千葉県にあたる農村部では親子を取替えてしまおう、という「換え子制度」が実践されていました。

———————————————
江戸時代後期に、現千葉県旭市で農民を指導し、世界初の農業協同組合といわれる「先祖株組合(1838年)」を創設した大原幽学(1797~1858年)は、飢饉で荒廃した村人たちの心を取り戻すためと、未来を託す子どもの教育を兼ねて、「換え子教育」の実践に取り組む。

これは、6歳~14歳くらいまでの年齢の子どもたちを、1~2年位ずつ実の子と他人の子を換えて育てるというものである。

これは、格式やしきたりが違う家庭に子どもを預けて教育してもらうことであり、貧しい家の子は裕福な家へ、裕福な家の子は貧しい家へ預けられたという。そして、親たちが、どの子も我が子のごとく区別なく可愛がることで、人心の荒廃をくい止め、地域の絆を取り戻していこうというものである。
この換え子は、幽学の死後も明治期まで続いたという。
———————————————

かなり大胆な取組みです。貧しい家に預けられた裕福な家の子は嫌がらなかっただろうか?といらぬ心配をしてしまいますが、たぶんそれは大人の打算。親たちがわが子と区別なく可愛がってくれる、その一点で子供たちの心は満たされていたと思います。

むしろ親同士の信頼関係、村の子として全ての子を大切にするという大人たちの心のあり様が大きく問われたことでしょう。

とはいえ、現在でもお母さんたちの間では「お泊り」といって、短期の換え子(一晩程度の超短期ですが)があります。昔ほどではないにせよ、親同士の信頼関係と、「うちの子」に縛られない子供たちへの愛情があれば、現代版換え子制(=子育てネットワーク)の実現は十分可能なのではないでしょうか。


やはり人類は「群れ」で子供を育てる歴史を歩んでいるんですね。

 

 

[1] [2] [3]