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「子育て」と「子守」の違い~子どもの育つ姿を見守っていきたい。

「子育て」という言葉、今は普通に使っていますが実はごく最近のこと。おじいちゃんおばあちゃんの時代は「子守」といっていました。昔はお父さんお母さんは貴重な働き手、昼間は農作業で忙しく、その間おじいちゃんや子どもたちが「子守」をしていました。

「子育て」が使われるようになったのはおそらく明治以降。「教育制度」が布かれ「お国のために子どもを育てる」という考えが世に広がってからでしょう。そして現代のような子育て観が一般化したのは、核家族化がすすみ、母親が子育てを全面的に引き受けるようになってからだと思います。

でもこの「子育て」、「この子の将来のために」とか「社会で生きていけるように」とかいいながら、結局自分の子どもしか見ていないし、親の自己満足が大きかったりして、何やら怪しい感じがします。

今回はこの「子育て」と「子守」について考えてみましょう。

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画像は(http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/225beb801047dc934d973cc999e10a50)さんよりお借りしました。

【子守り】と【子育て】とは違う~高齢者の最後の役割=子守り(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=291713)より引用。
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>「子守り」という言葉は今は余り使われなくなっております。
「五木の子守唄」などで有名ですが、昔といっても十数年前ですが、近所の家の子供をおぶったり、抱いたりしていくらかの小遣いを貰っているような子供がいたものです。
「子もりっ子」などと呼んでいましたね。子供たちを集めては公園で遊ばせたりしていましたね。

>「樹木医」という職業があります。木のお医者さんですね。樹齢何百年などという古木を環境とか病気などから守っている人で、資格があるのだそうですが。
「桜」の木を守っている人を・・・・・「桜守」というそうです。

「桜を育てているのではない。」・・・・・と明言されておりました。
「桜守」とは、桜のそばにいて、いつも見守っていること。・・・・・・なんだそうです。

人間にも同じことが言えるのだそうです。

>「子育て」は自分の子供だけを見ている。だから見える範囲が狭くなる。結果として子育てを失敗する親が多くなる。
>「子守り」は子供のそばにいて、いつも見守っている。少し距離があるので見える範囲は広くなる。

>「近所の子供たちの子守りをする。」という表現はあっても、「近所の子供たちの子育てをする。」という言葉は
余り聞いたことがないです。
現代の親たちは、「子供を見守っていない。」と言われると、うなづけませんか。

>「桜守」・・・・桜の寿命は数百年といわれていますが、その桜を寿命が百年足らずの人間が見守っていく。
人間が見守っているのか、桜に見守られているのか、どっちなのでしょうね。

>桜の花は毎年同じように咲いているように見えますが、「桜守」がみていると、はなびらの数や大きさ、子房の成長具合などが違っているのだそうです。
—————————————-(以上引用)

「子どもを育てる」・・・何気なく使ってきましたが、よく考えると植木を育てるとかめだかを育てるとか、とても人工的は行為に感じます。目指すべき形があって、そこに行き着くように手を加えていく・・・みたいな。でも人間の成長はそんな単純なものではないと思います。
うまくいかなくて育児ノイローゼになったり、子どもが仲間にとけ込めなくなったりという問題もこの辺に原因があるのかも知れません。

もっと大きく構えて子どもたちを見守り、子供同士の関係や大人とのかかわりの中でみんなが育っていく姿を喜ぶ、そんな社会に舵を切っていければいいなと思います。

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